ここのところ、ウチの魚達は、食欲旺盛で、びっくり 気温の急変には、気を付けないといけないけど、梅雨だというのに、曇天止まりだったり、一瞬の通り雨だったり、今年も、梅雨は短く過ぎてしまうんだろうかね・・。
どんな人も、なんとなく考えたことがあるんじゃないかと思うのが、「自分とは」何者なんだろう? 考えたことのない幸せ者さんも、考えてみるといいんじゃないかと思う。
自分で、悩むことから逃げて、お医者さんに薬を処方してもらってたりする者も少なくないと思ってるけど、それじゃ何も始まらないことにも、真剣に目を向けるべきだと思う。
何が悲しいって、自分のことを真剣に考えて、思ってくれる人がいるとき、その人を寂しくさせているってことに気が付かない自分でいることが、先々、きっと、思いっきり悲しいものだけを残してしまうことになるから・・。
ココロのテーマを設定して書いてきたのが、まずは、「安らぎ」を感じる感覚を身につける。
ココロの中の世界にとっては、これも自分作りの一部だった。
そして、自分の原点を探る旅をして、ちいさな社会である家族との繋がりで芽生えた、自分という感覚を見つけに行った。原点から、また、はじめられる。そこは、そんな場所になるから・・。
さてさて、「自分」って何者?
いくら年を重ねてようが、なくとも幼い人もいたり、その逆もあったりする。
どうも、年齢を重ねるだけでは、分からないような気がするね。
自分とは・・・
「安らぎ」の感覚を自分の中に覚えた人は、次に、その感覚の広がりをゆっくり感じられるようになる。まずは、疲れだったり、味だったりするかもしれない。
この感覚を覚えるだけでも、どんなに難しいか・・。
なぜって・・。元の参考できる感覚が自分の中にないからだ。無いものを、ひとつひとつ感じとっていかないといけないから、はじまりの感覚は、思い返すのが、「難しい」ってことになる。でも、それは、感覚を忘れてしまっただけだから、もっと原点を目指せれば、そこから、広げることができるだろう。
そうです 自分とは ・・ ずっと発展途上な 存在。
どう変わって、どう広がってくか わかんない存在なのです。
ただただ、自分をやってくしか方法がない・・。
つまずきながら、立ち止まりながら、また、もどって一から始めることもある。
今、いる存在が、自分ってことになる。
感じて、その存在の中で、何かが動いている。 それが自分・・。
この、ただ自分をやることは、そんなに簡単なことじゃない。
だから、迷って当たり前で、つまづいても、当たり前、立ち止まっても当然、また、もどってはじめればいいから・・。
たどる線路がなかったりするから、一人じゃ世界が築けないでいる。 誰かに、自分の何かが刺激されて、動くから、また、感じることができる。
このブラックボックス的な自分の中は、広げていくのが、むずかしいけど、無限な可能性が、そこにはある。
ゆっくりしか広げられないけど、無限に広がる ・・。
どんな幸せが広がっているかな・・。 ただただ、自分をやる シンプルで、先の見えない道のりは、自分次第で、どんなにも広がる。
わからないから、たのしいんだ。 そんなことを考える。