前回、カメラの望遠レンズについて
「あってもいいかもね」と妻から言われたら(言質を得たら)
望遠どころかズームもできない(iPhoneのカメラで言うと2倍に相当する写り方)
ただただ前から欲しかったレンズをなぜか買っていたことをお伝えししました。

 

 

あのレンズは大活躍しています。
稼働もそうだし、何よりもレンズが変わったことに
妻も娘もまだ気づいていない
写りもきれいな上に、過度に主張しないとても優秀なレンズなのである。

実に買ってよかった。
しかしである。来年の春には娘の卒業式を控えている事実は変わらない。
家を出るときや、校門の前、卒業式後の運動場などなどでは前回買ったレンズで充分に撮影できるだろう。
さぞかし可愛く、そして美しく写るはずである。
問題なのは体育館の中だ。
体育館と言えば、卒業証書を受け取るステージがあり
卒業生の席があり、在校生の席がある
そしてやっと保護者の席である
さらに私たち夫婦は常に最後列に位置することになるので
意味不明に早く行かれる早起きされる保護者の方々よりも距離は遠くなる
実に困ったことになるのである

というわけで沼にどっぷりハマっている私はレンズ選びを継続していた
今よりも遠くを写せるレンズをちゃんと探していた
慣れないメルカリなんてものにも手を出して
安価に手に入れる方法を模索していたのである
前回、約束したものとは違うレンズを買ってしまったとはいえ、追加で望遠レンズを買わないと

「望遠レンズを買う」という
妻との約束を守れないことになってしまう。
約束を守りたい、ただその一心でレンズを探していた。

と言っても、候補となるレンズはそもそもそんなに種類があるわけではなく
そこまで探す必要はなかった。

YouTubeとかひたすら見る必要もなかった。
あとは価格との相談だけで、手頃価格のものを掴めるかどうかである
そんなことは分かっていた。
分かってはいたが、それよりも強く私の心には分かっていることがあった。

だからこそ中々買わなかった。抗っていたのである。


今よりも遠くを写せるレンズ

私は欲しいと思ってないということである。

私の欲しいレンズはそれじゃない
欲しくないものを調べていれば、他の欲しいものを買ってしまうのは、至極当然のことではないだろうか
だって別に欲しくないんだもの

 

約束した手前、今より遠くを写せるレンズを探しながらも

今より遠くを写せるレンズなんて要らないのになーと思っていた

そもそも単に(私が撮りたいと思う)遠くを写すだけであれば

カメラを買ったときに付いてきたレンズで充分なのだ。
そう、充分なのです。
結構ズームできるんですよ、肉眼で見た感じの5倍以上ズームできる!
と言っても伝わらないでしょうが
動物園で猿山のおサルさんの目をアップで撮影できるくらいには余裕でズームできるのです
これ以上のズームと言えば

それはもう野鳥を撮影するレベルの望遠レンズである
そんなレンズは私にはまだ必要ない
撮りたいのは鳥ではなく娘である。すぐに飛んでいくのは同じだが。

だいたい体育館でもっとズームできたら、という環境が良くない
たいがい卒業式の体育館は暗いのである
暗くないと感動が高まらないもの
暗い体育館で、お手頃価格の、今よりも遠くを写せるレンズで写真を撮っても、暗いぼんやり写真が残るだけである
なぜ暗い写真になるのかレンズの仕組みは説明できないが
明確かつ簡潔に言えることはある
カメラのレンズというのは、遠くを明るく綺麗に写すには
たくさんのお金を差し出さなければならないルール
になっているのだ
*私の使っているカメラ用で20万円とか

 

 


お前が下手くそだから、とか
工夫すれば写せる、とか
そんな自称セミプロの意見は受け付けない
こっちは卒業式で遠くにいる娘のきれいな写真を撮りたいわけではない
娘の卒業式をちゃんと肉眼で見たいし、カメラではなく娘に集中したい
そんな中、オートでぱぱっと見たままのスマホよりも綺麗な写真を手軽に撮りたいのだ
*パパとママ、夫婦だけにね

そんなパパにとっては、遠くを明るく綺麗に=お金
リンゴが木から落ちるくらいの絶対的なルールである

そして時期が悪い
子供たちがまだ幼稚園生くらいであれば
手頃な価格の今よりも遠くを写せるレンズを買っていた
世の中にダブルズームレンズキットが溢れている理由がよくわかる

10年前にしつこくダブルズームレンズキットを勧めてきた家電屋の店員さんは
もしかしたら本当に親切で言っていたのかもしれない
重くなるしどうせ使わないから嫌だ、とか言ってごめんなさい

幼稚園生であれば今後
運動会などの屋外でのズームが活躍する機会が何度とある
しかし下の子である娘でも、もう小学6年生である
来年には中学生
そろそろ父親は迫害され始める年齢である
運動会こないで』とか言われかねない
そんなことをたくさん考えていた
己を見つめ続け考えていたら
気づいたらまたぜんぜん違うレンズを買っていた
また、ズームできないやつ

35mm換算で85mmのf1.7単焦点という
カメラに興味のない人にとっては
意味不明の呪文魔法のような紹介文である
説明しているようで全く説明になっていない
鼻につくコンサルのような言い回しである
東京ドーム換算で甲子園の6-4-3ゲッツー、みたいに

何が言いたいのかわかりにくい

とても簡単に言えば、私が買ったのは
女性が最も美しく可愛く写る構成のレンズである
*諸説あり

 

パナソニック(Panasonic) 単焦点 中望遠レンズ マイクロフォーサーズ用 ルミックス G 42.5mm/ F1.7 ASPH. / POWER O.I.S. ブラック H-HS043-K

 


これくらいわかりやすくしてくれたら、カメラへの敷居も下がるし
何よりも周囲の理解も得やすい
妻や娘の目を気にしなくてもいいだろう
1個しかなかったものが3個に増えていることに気づかれない方法とかを考えなくても済むのである

レンズ沼に抗うとか言いながら、すでに2個も買っていることに対して
ぜんぜん抗ってないじゃないか、とか思っている人があるだろうか
しかし決してそんなことは無いのである
数ではなく率で考えてほしい
確かにすでに2個も買っている、今後も買うだろう
しかし、その何倍、何十倍、何百倍と堪えているのだ
「ああ、もうこのボタンを押せば家に届いてしまう」
(そして請求が来る)
という状況を無数に乗り越えている
その中のたったの2回である
充分に抗っていると評価せざるを得ない

 

ちなみに、ではあるが前回買ったレンズは

目で見たまんまをそのままの感じで写す

ズームできないやつである

そして今回買ったレンズは

目で見たまんまを1.7倍大きい感じで写す

ズームできないやつである。

前回買ったレンズはズームできないから

もう少し遠くを大きく写せる

ズームできないレンズを買ったのである

 

 

 

金ドブなんじゃないの?

っていうか

バカなんじゃないの?

とか思いましたか?

最初からズームできるレンズ買えば1個で済むじゃないと。

そらそうだろう、うちの妻や娘もそう言うだろう。

そして説明しても理解しないだろう。

だから黙っているのである。

 

それに、前回買ったレンズや今回買ったレンズで写る大きさの写真は

カメラ買ったときに付いてきたレンズ1本で撮れるからね、あれはズームできるから。

別にレンズをいちいち交換しなくても

最初から持ってるレンズをクルクル回せば望みの大きさで写してくれる。

 

 

でもこれはルールだから

遠くだけでなく、近くであっても明るく綺麗に写すためには

お金を差し出さなければならないルールだから!

それに今回買ったのは

妻と娘を最も美しく可愛く写すためのレンズですから。

(もちろん息子も)



しかし前回に引き続いて、気づいたらレンズを買っていたという現象が起きた。
これはもうハンターハンターで言うところの

具現化系の修行と同じではないだろうか
*クラピカの鎖みたいな
もしくは

流れ星を見た瞬間に3回言えるくらい常に考えている、とか。
それくらいに素敵な現象なのではないだろうか。

今春のカメラ購入と今回のレンズ購入を通して
この気づいたら買っていたという不思議現象について学ぶことが多かった
この現象のメカニズムについて言語化することに成功したのだ
次回はこの気づいたら買っている現象の仕組みについて語りたいと思う