婚外の相手を通して、私は自分の“夫への態度”と向き合うことになった。彼の置かれた状況は、我が家と驚くほど重なっていた。他人を通して自分や誰かを見てしまう——その鏡は、ときに残酷なほど真実を映し出す。

 

 

 

婚外の相手は「鏡」

以前、婚外の関係にあった人は、私の投影でした。
鏡をのぞき込むように、彼を通して私自身の不完全さや、不器用さを見ていたのです。
その姿は、私の弱さや足りなさを、外側から突きつけるものでした。

あの頃の私は、彼に映る自分の輪郭に、居心地の悪さを感じていました。
痛いところを突かれるたびに、
「これは私の欠けた部分だ」と知ることに、怖さを覚えると同時に、妙な安心もあったかと思います。

何度も喧嘩しながら、それでも彼に感謝していた部分もありました。
——これは試練なんだ。
この人とうまく関係を築くことで、私はきっと成長できる。
そんな感覚が、確かにあったのです。

今回の相手は「夫」の投影

そして今回の相手は——夫の投影です。
私が夫に向ける態度は、彼の奥さんが彼に向ける態度とよく似ていました。
彼の置かれている状況は、紛れもなく我が家と重なっていたのです。

私は夫に対して、時に意地悪で、理不尽な態度を取ることがありました。
自分が何をしていたのか、わかっています。
けれど、止められなかった。
引き返せなかった。

その冷酷さと非常さに、自分で自分が嫌になっていました。

時間が経つと、心の中では「ごめんなさい」とつぶやくこともあります。
でも、夫の耳に届くことはありません。

そんな私の心の奥を、今回の彼との会話が鋭く突いたのです。
彼の話を聞きながら、私は居たたまれなくなっていました。
——彼を通して、夫を見てしまっている。

修復はきっとない理由

もう、修復はしない。
夫が望んでも、私が「一緒にいたい」と思える人に変わるわけではないから。

彼が私のために変わる必要なんてないのだから。
それは、夫が悪いからではなく、私が変わってしまったから。

妊娠がわかったあの日、私はストンと気持ちが冷めてしまったのを覚えています。
それまで見て見ぬふりをしていた違和感が、水面に浮かび上がってきたようでした。

もしかしたら、あれはマタニティブルーだったのかもしれません。
けれど、理由が何であれ、一度見えてしまった違和感は、もう元には戻らない。

夫婦二人だったなら——
違った可能性はあったのかもしれないけれど。

他人の中に自分を見る瞬間

私たちはときどき、相手の何気ない仕草や声の調子、
ため息の混ざった沈黙の奥に、自分や大切な誰かを見つけてしまいます。

その瞬間、心の奥の扉が勝手に開き、
ずっとしまい込んでいた映像が、ふいに溢れ出す。

相手を見ているつもりで、実は自分の心の中を見ている——
そんなことが、ある。

そこに映るのは、今の自分だけじゃない。
過去に置いてきた自分や、もう手の届かない誰かの姿だったりもします。

ときには、それが温かい鏡になることもあるでしょう。
懐かしさや愛しさを思い出させてくれる鏡。

でも今回は、そうじゃなかった。
私に映ったのは、見たくない現実でした。

そこにいたのは、過去の私と、かつての夫。
そして、変わってしまった今の私。
優しさよりも冷たさを、愛しさよりも距離を選んでしまう私。

残酷な鏡の前で

一度、そこまで見てしまうと、もう目をそらすことはできない。
「元に戻る」という選択肢が、静かに消えていく。

それは悲しいというより、静かな決意に近い感覚でした。

他人の中に自分や誰かを見てしまう——
それは残酷だけれど、同時に、正直すぎるほどの真実でもある。

今回の彼との関わりは、私の心の鏡を磨きすぎて、
映るものがあまりにもはっきり見えてしまったーー
そんな感覚でした。