甘い言葉には、なぜこんなにも早く心が反応してしまうのだろう。
久しぶりに、その感覚がやってきた。
SNSを眺めていると、AIで自動運用して何もしなくてもお金が入ってくる——そんな投資の広告が目に留まった。
その響きは、まるで遠くから微笑みかける幻のようだった。
私は昔から、未来の自分を描くのが早い。
それは想像力というより、願望に形を与える速さだ。
ほんの数秒で、手に入れた後の生活が鮮やかに映し出される。
期待と高揚感に包まれると、他の音は消えてしまう。
かつての私は、そのまま飛び込んでいたレベルで魅惑的な内容。
けれどもう、一呼吸置ける私。
過去の経験が私の中に作った、小さな防波堤。
調べても、確かな証拠は見つからない。
綺麗すぎる広告は、どこか虚ろに見えた。
今の私には響かない。
その時、前の彼の言葉がよみがえる。
——ももは騙されやすいからな。
付き合い始めから何度もそう言われてきた。
それは私の「見抜かれたくない部分」を、あっさり指摘されたようで少し嫌だった。
作品づくりを本格的にビジネスとして動かし始めた頃もそうだ。
展示会やセレクトショップでの委託販売の話を嬉々として語る私に、返ってきたのはやはり同じ言葉だった。
信じたい心は、可能性という光をまっすぐに見つめる。
疑う心は、その光に落ちる影を忘れないよう囁く。
どちらも欠かせない。
けれど長い間、私は信じたい心の方を優先してきた。
その結果、何度も痛みを経験してきた。
そして今、二つの心のあいだに「呼吸」を置けるようになった。
それは、勇気を持って飛び込む代わりに、勇気を持って立ち止まるという選択。
ほんの一拍でも、その間があれば見えるものがある。
今回、その投資の広告を見ている私は、随分離れた場所から見ている。