彼は、私の強がりや見栄、ちょっとした知ったかぶりまで——
すべて、わかっているような顔で聞いてくれる。
笑ってくれて、茶化さず、否定せず、
ただ「そういうところも君だよね」と、受けとめてくれる。
その在り方に、私はいつも救われている。
前の彼は、プライドの高い人だった。
経営者としての自負があり、確かに彼には彼なりの重責があったと思う。
でも——
私の言葉や経験は、どこかで否定されていたような気がする。
アートのこと、心のこと、スピリチュアルな感覚。
彼にとっては曖昧で、“証明”できないものだったのだろう。
「で、それは何に繋がるの?」
「続けてるの? ちゃんと成果出てるの?」
そう問われたとき、私はいつも言葉を失った。
一度、作品を見せたことがある。
彼は「わかりやすいタイトルがいいよね」と言った。
それは正論だったかもしれない。でも、私は少し悲しかった。
私の世界は、彼の中では“理解不能”なものだったのだ。
今の彼は違う。
「すごいね!」「そんなこともやれるの?」と、
私が気後れしそうになるほど、まっすぐに興味を持ってくれる。
だから私は、力まずに話せる。
見てみたいと言われたら、自然に作品を見せられる。
「わかる/わからない」よりも、
私が大切にしていることを、同じ目線で面白がってくれるから。
「知らないことは、知らない」
「できないことは、できない」
そんなふうに、素直に言える私がいる。
そして彼もまた、無邪気に「それ、教えて?」と聞いてくる。
知識の差や、立場の上下じゃない。
ふたりとも、ただ一緒に“知っていく”ことを楽しんでいる。
そんな関係が、ただただ心地いい。
彼の少し頼りないところも、
何でも取っておくところも、
以前の私だったら「無理」と思っていたかもしれない。
「彼にはかっこよくいてほしい」
そんなエゴが、きっと騒いでいただろう。
でも今は——
そういうところも「かわいいな」と思える。
むしろ、嫌いになる理由にならない自分に気づく。
それが、なんだか嬉しい。
ふたりで並んで座ったカウンター席で、
お店の人に「楽しそうですね」と言われることがある。
ちょっと照れたけれど、それはたしかに事実。
私も、彼も、よく笑っていた。
まるで、長年連れ添った夫婦のように。
未熟さをお互いに認め合い、補い合い、笑い合える関係。
異性としてドキドキするわけじゃない。
けれど、心は深く、やわらかく、ほどけていく。
ふと、こんなふうに思う。
——こういう人と夫婦になっていたら、
私はもっと楽に、生きられたのかもしれないな。
でも、それは後悔ではない。
きっと私は、ようやく「安心できる関係」という感覚を
自分の中に育てはじめたばかりなのだ。
恋をしていた頃は、
「好き」と「不安」が背中合わせだった。
会えない日が続けば、嫌われたのではと疑い、
連絡が遅いだけで、心がざわついた。
でも今の私は、会えない日も、連絡がこなくても、
どこかでちゃんと安心している。
逆に、不安がないことに、戸惑う瞬間もある。
——これって、満たされているってこと?
——それとも、そんなに好きじゃないの?
そんなふうに自問することも、正直ある。
でも、答えはきっとこうだ。
これは 「好きの新しい形」。
焦がれるような熱ではないけれど、確かにそこにある温度。
誰かに埋めてもらうことを手放して、
自分の中にある安心とともに、愛せるようになっただけ。
それが、今の私が体験している 愛の原型なのかもしれない。
そんな関係が、この歳になって初めて訪れるなんて——
人生って、
やっぱり面白い。