——「女として見られたい」から、「私でいたい」へ

 
 

彼のことを「かっこいいな」と思う瞬間は確かにある。
年齢には到底見えない若さ、
横顔のラインは、好きな俳優に少し似ていて、ふとした瞬間に見惚れてしまうこともある。

 

だけど、不思議とドキドキしない。

異性として意識はするけれど、どこか緊張感がない。
「女として見られている」とわかっていても、身構える必要がない。

 

彼といるときの私は、ただ、私でいられる。

以前の私なら、物足りなさを感じていたかもしれない。


恋とは、ときめきであり、緊張であり、
自分の価値を「女としての魅力」で測るような、そんな関係に慣れていたから。

 

私はずっと、色気のある人に惹かれてきた。
視線ひとつ、仕草ひとつで、女を意識させてくるような人たち。


ドキドキすることこそが、恋の証だと信じていた。

 

でも——あのドキドキの裏側には、
選ばれるための私が、常にいたのだと思う。

 

気に入られたくて、少し無理をして、知ったかぶって、
欠点を隠して、年齢を感じさせないように努力して——

それでも不安で、張り詰めていた。

 

恋に夢中なふりをしながら、
実は「嫌われたくない」だけだったのかもしれない。

 

あれは、愛というより、承認欲求だったの?

確かに「女として見られていること」が、自分の存在証明だったことも否めない。

 

でも今の私は、ちがう。

彼の前では、うまく見せようとしない自分でいられる。
知らないことは「知らない」と言える。
疲れている日は、少しだけ甘えてしまえる。
それを恥じなくなった私が、そこにいる。

 

私を「女」として緊張させる視線より、
私というを、丸ごと受け止めてくれるまなざしのほうが、
こんなにも深く、優しく沁みるなんて——
知らなかった。

 

恋に求めていたものが、ゆっくりと変わってきている。

 

ドキドキよりも、呼吸が深くなるような感覚。
高揚感よりも、静かな安心。

 

恋に堕ちるより、心がほどけていくほうが、今の私には合っている。

 

それは情熱的な恋愛ではないのかもしれない。

でも確かに、人生の後半に訪れた、あたたかな奇跡のようなもの。

 

「ときめかないのに惹かれる」——かつては理解できなかった感覚。

今は、ただ静かに「好き」と感じている。

 

情熱的に求め合いたいと思っていた頃より、

この人を大切にしたいと思える今の方が、ずっと満ちている。

 

若い頃は、心がほどけるなんて、退屈に近いと思っていた。

でも、自分への愛も、彼への愛も、力が抜けた今のほうが心地いい。

 

恋に身を焦がした日々があったからこそ——

今、こうして焦がさずとも、心があたたかいと知れたのかもしれない。