惹かれるのは、その背中の孤独
「経営者が好き」——そう言うと、どこか打算的に聞こえるかもしれない。
けれど、それでも私は言いたい。
私は、経営者という生き方に惹かれてしまうのだ。
なぜなら——
若い頃から「しっかりしてるね」「姉御肌だね」と言われてきた。
経営者タイプ、と冗談まじりに言われることもあった。
実際、そういう可能性が私の中にもあったんじゃないか、と今でも思う。
けれど私は、その道を選ばなかった。
あるいは、選べなかった。
だからこそ、
自分にはなれなかった“生き方”に、私は密かに惹かれてしまうのかもしれない。
肩書きに恋をしているわけじゃない。
私が見ているのは、その人の背中。
何を抱えてきたのか、何を乗り越えてきたのか。
言葉で語られるより前に、沈黙の中から滲み出るものがある。
他人のせいにせず、自分の選択で立っている姿。
責任を背負いながら、それを武器にしない誇り。
孤独を連れて歩きながらも、それを誰かで埋めようとしない潔さ。
その在り方に、私は美しさを感じてしまう。
私が惹かれるのは、強さではない。
強くあろうとする姿に宿る、気づいてはいけない脆さだ。
それを見せまいとする意志の輪郭が、色気を生む。
私は、守られたいわけではない
ましてや甘えたいとも思わない
その人の視界に入らなくてもいい
……そう言い切ってしまいたいところだけれど。
本音を言えば、守ってもらえるなら安心するし、
不器用でも、たまには甘えてみたい。
私だけを見ていてほしいと思わないわけがない。
けれど、そういう願いを口にせずにいられるような関係が、
私にとっての理想なのかもしれない。
ただ、風を受けて歩く背中を、少し後ろから見ているのもいい。
その足音に呼吸を合わせて、黙って並んで歩く距離にいるのもいい。
沈黙の中に宿る強さ。
責任と孤独を引き受けながらも、
それを誰かに背負わせようとしない在り方。
あの沈黙をまとった背中に、時折、どうしようもない色気が宿っていると感じる。
それはスーツでも、笑顔でもない。
背中の空気に、息を呑んでしまう瞬間がある。
私はきっと、そういう人にしか惹かれない。
それはもう、好みではなく、美学。
あるいは——性癖という名の、私の哲学。
背中で語る人に惹かれるのは昭和世代だから?