7年間、私は“母”になることがなかった。

30代。
働いてもいない。
子供もいない。

どちらの親からも「そろそろどうなの?」と打診される日々。
けれど私は、その問いに真正面から向き合う気力も、自分なりの明確な答えも持てなかった。

あの頃の私は、まだとしても未完成だった。

ピンクマカロン

産婦人科に相談したこともある。
「本当に欲しい」と思った時、年齢的にもう待てないと思った時まで考えていい——
そんなふうに自分に言い訳しながら、どこか現実感のないまま時間だけが過ぎていった。

私にとって必要なご縁なら、自然に授かるのだろう。
人工的な方法や薬には、きっと頼らない。
だから、どこか自分ごとになっていない私がいた。

 

自分の未熟さや逃げ腰な部分も、うすうす気づいていた。
周囲の無言の圧力に流される自分も、覚悟できない弱さも、情けなく思っていた。

 

——人生なんて全部、放り出してしまいたい。

何もない、何もできない、何でもない私。
生きることへのビジョンも、持てなかった時期。

 

「今、もし妊娠が分かったとしたら、私は心から喜べるのだろうか?」

そんな問いが、心の奥でくすぶっていた。

 

子供の無垢さも怖かった。
子供の本質を見抜く純真さも怖かった。
未熟で弱くて何もできない私を、見破られる気がしていた。

 

「子供を諦めたら、ひとつ解放される」
「でも子供を産めなかったら、私は本当に“何もない私”になるのかもしれない」
形のないプレッシャーに押しつぶされそうな毎日だった。

ピンクマカロン

夫が帰国している短い時間に、思い切って話し合った。

「諦めてもいいよね」
「二人でも、きっと大丈夫だよね」

そう言いながらも、それさえどこか現実味がなかった。

ピンクマカロン

そして、また2ヶ月が過ぎ、夫の次の帰国が近づく頃。

ふっと心が軽くなった瞬間があった。

「夫が帰ってきたら、ペットショップへ行こう」
「犬を飼おう」
それで一件落着。


子どもを持たない人生も、二人で楽しく生きていける——
そう思えたとき、私はやっと自分を解放できた。

子どもを持つべきという見えない重圧、
できない私を責める心、
女は産んで当たり前という社会の声——

そのすべてを、「もう手放そう」と決めた。
私はやっと、産めない私もまるごと受け入れたのだと思う。

それは、諦めじゃなかった。
本当の意味で、自分を赦した日だった。

ピンクマカロン

数日後、洗面所に駆け込む。
今日のランチは何だったっけ?
食欲もなかったような気がする……
——あれ? まさか……

 

妊娠していた。
36歳の時。