ピンクマカロン

「すごく愛されている」とわかっているのに、どこかで“愛されている自信”が持てない。
そして、相手を好きになればなるほど、不安も大きく膨らんでいく——。

そんな自分の心のクセと、私は長い間付き合っている。

 

ピンクマカロン

頭では「きっと大丈夫」「愛されている」と理解していても、心のどこかで不安が消えない。
その理由は、きっと失うことへの恐怖なんだと思う。

大切なものが大きくなればなるほど、「もしこれを失ったら…?」という思いも大きくなる。
その根っこには、子どもの頃に親から受け取った愛のスタイルが深く関係している。

 

私の親は、無条件に愛情を注ぐタイプではなかった。
「できて当たり前」「できるとすごい」「何かを達成すると褒めてくれる」——
でも、その褒め方もどこかぎこちなかった。

思い出したように言葉にされたり、大袈裟だったり。
素直に喜べないまま、「本当に?これでやっと認めてもらえるの?」と
どこか疑いながら期待する自分がいた。

 

褒められた時の一瞬の高揚と、期待したが故の失望——
この繰り返しが、心に深く刻まれている。

 

ピンクマカロン

「できる」「認められる」で愛を感じてきたから、
恋愛でも、無意識に役割成果で愛をつなごうとしてしまう。
もし相手の愛が遠ざかった時、「何がいけなかったんだろう」「足りない部分があったのかな」と自分の中に理由を探し始めてしまうクセが、いつの間にか染みついている。

 

本当は、愛に条件なんてないはずなのに——
条件付きの愛が、心の奥に今も根を張っている。

 

ピンクマカロン

少し視点を変えて考えてみると、
「愛されること」は本質的には他人の問題(=相手がどう思うか)で、
「愛されていると感じること」は自分の内側の問題(=自分がどう受け取るか)だと気づく。

 

どれだけ外からの愛を受け取っても、
心の器にヒビがあれば、その愛はどこかにこぼれていってしまう。

 

だからこそ、他人の愛を“完全に”受け取るには、
「自分で自分を愛する」ことが何よりの土台になる。

 

ピンクマカロン

でも、今の私は——
過去のそんな自分も、できない自分も責めることはなくなった。

 

苦手なことも「まあ、仕方ないよね」と受け入れられるし、
時には「よく頑張ったね」と、自分で自分を褒めてあげることもできる。

 

ちょっと勇気がいることや、後回しにしていたことにも
「今の私なら、少しずつでもやってみよう」と挑戦できる。

 

できなかったことよりも、できたことに目を向ける——
その小さな積み重ねが、自信や自己肯定感につながるのを知っているから。

 

こうして私は、親からもらえなかった“無条件の承認”を、
自分自身で与えていくことを学んでいる。

 

アラフィフの今だって遅くない。

 

“親の愛”から“自分の愛”へ、静かにバトンを渡す旅の途中にいる。

 

ピンクマカロン

それでも、好きが大きくなればなるほど、不安も大きくなる。
心のどこかにまだ、小さな子どもの私がいて、
「このままの私で、本当に愛され続けていいの?」と問いかけている。

 

きっとそれは、これまでの人生で何度も繰り返してきた
期待と失望のサイクルの名残。

 

でも、もう知っている。

 

たとえ不安がやってきても、「できない自分」も「うまくできた自分」も、
どちらも丸ごと愛してあげればいい。

 

親からもらえなかった無条件の愛を、今は自分の手で育てていく。
その積み重ねが、いつか「愛される不安」よりも
「愛される安心」を自分の中で育てていく土台になるのだから。