長女は、まるで魔法を使うかのように、人生を軽やかに謳歌している。
その姿は私にとって、ときに羨望の対象であり、ときに純粋な喜びでもある。
私自身の人生を振り返ると、三十歳を過ぎるまで、苦しみや葛藤に満ちていた。
母との関係、自分の身体に蔓延るコンプレックス、消えない怪我の後遺症――
解決しないまま、人生は「課題」だけを積み重ねていった。
そんな私にとって、長女の誕生は予想外のご褒美だった。
結婚して七年、もう出産は諦めようとした矢先、彼女は私のもとにやってきた。
初めて「自分より大切な存在」に出会い、人生が静かに反転した。
長女の周りには自然と友達が集まる。
どんな新しい環境でも、その日のうちにたくさんの友達を作って帰ってくる。
私には持ち合わせていない、不思議な「技」を、彼女は当たり前のように使いこなしているみたいだ。
自分が大好きで、メイクやファッションにも自信を持ち、自分を可愛く表現することを躊躇しない。
自分磨きを怠らず、楽しんでいる。
私はというと、ずっと「自分をきれいに見せよう」とすることが苦手だった。
女の子らしさをアピールすることが、どこか気恥ずかしかった。
写真で可愛く写ろうと、化粧をしたり、髪型を整えたり、表情を作ったり、そんな努力もうまくできなかったし、そんなあざとく振る舞う自分を許せなかった。
きっと、母の厳しい視線――「女として生きる」ことへの遠慮や怖さが、どこかに残っていたのかもしれない。
しかし、長女は違う。
やりたいことをやりたいように、軽やかに選び取る。
高校生活も大学生活も満喫し、目の前の人生を“自分のもの”として味わっている。
そんな彼女を見ていると、心の奥から「羨ましい」と思う。
私にはできなかったことばかりだからだ。
でも、同時に気づくのは――
彼女が自由に生きる姿が、私自身をも変えているということ。
最近は、メイクやファッションについて一緒に話をして、私自身も“楽しむ”ことに少しずつ心を開きはじめた。
先日はサングラスとメガネケースを購入した。
「ママ、楽しんでるね」
と言われたとき、素直に嬉しかった。
かつての母のように、「あなたのために私は我慢している」
――そんな無言の圧力だけは、絶対に伝えたくなかったから。
娘は親の私を“変える力”を持っている。
親子の関係は一方通行ではなく、相互作用で連鎖しているということ。
私が娘を育てるのと同時に、娘が私の人生を解き、新しい価値観で世界を見ることを教えてくれる。
思えば、長女は私に「楽しむこと」「自由であること」の大切さを見せてくれている。
「自分の人生を、自分の手で面白くできるんだよ」と、無意識に伝えてくれる。
まるで、「ママも私と同じように、生きていいんだよ」と肯定してくれているみたい。
気づけば20年の子育てを経て、私は「相手の成長を見守る」という愛を知ることができた。
そして長女の人生を見守りながら、同時に自分の成長にも立ち会っている。
親子とは、互いの人生の可能性を引き出し合う存在なのかもしれない。
子どもを通じて、親もまた、自分自身を学びなおす。
これまで私が与えてきたと思っていた愛情は、実は娘から返される新しい生き方だったのかもしれない。
今日も私は、娘の背中を眺めながら、少しずつ自分の人生を好きになっていく。
