母の痴呆を目の当たりにしていると、

悲しみというよりも、

じわじわと滲み出る怖さ

を感じる。


「これ、自分にもいつか来るのかな」
そう思わずにいられない。


というより、


もしかしたら、

もう始まっているのかもしれない。



五十を過ぎた男なんて、若い人から見たら十分に“老い”のカテゴリーだろう。


少し前に言ったことを思い出せない、


名前が出てこない、


一日の中で“ぼうっと”する時間が長くなる。


そんなことが当たり前になってきた。


でも、若いころと違って、

誰ももう指摘してくれない。


「ちょっとおかしくない?」

と注意してくれる人は、いない。


それが、“年をとる”ということなのかもしれない。