まったく戦争をしらない私が、
この日に戦争がらみで記事を書くことが、
あまりにも失礼な気がしますが、
すみません、今日は、あえて。
私は、父方の祖父母に会ったことがありません。
母もありません。
祖母は、満州から幼い三人(父たち兄弟)を連れて
日本に戻り、その数日後、亡くなったそうです。
(極度の疲労と栄養失調)
祖父は、遺骨すらありません。
日本でない場所で、戦争がらみで亡くなったと
聞いていました。
軍人でしたから、戦死なのだろうと
思っていました。
ただ、ずっと“戦争がらみで”という言い方が
気になっていました。
はっきりしたことを知ったのは、
ドラマで「不毛地帯」を見たときでした。
初め、シベリア抑留のシーンだったころ
てっきり観ると思っていた父が
すっと席を立ち、いなくなりました。
なぜだろうと思っていると、
祖父が、シベリア抑留の末、亡くなったことを
初めて母から聞きました。
そりゃ、見るわけないですよね。
それから、シベリア…つまりロシアのどの辺りに
祖父が眠っているのか、知りたかったのですが
父には聞けませんでした。
ある日、なんとなくネットをしていたとき、
ふと思い立って、祖父の名前を入力してみました。
厚労省の抑留死亡者名簿のページにヒットしました。
そこから、死亡した場所を知ることができましたが、
死亡年月日や
埋葬箇所はわかりませんでした。
ただ、同姓同名の他人かも知れません。
でも名前を見つけた瞬間、涙が止まらなかった。
ただ、父にはまだ確認できずにいます。
太平洋戦争が終結し、66年。
多くの失われた命やものの上に今があることを
忘れないように。
年に一度、この日はひっそりと祖父母を
想いたいと思います。