私は子供の頃、太っていた。食べることが大好きで両親も喜ぶ私にたくさん食べさせた。大人は「ぽっちゃりしてて可愛いわね」などと言ったが、兄には「ブタ、デブ」と言われ、自分の体型を自覚し始めていた。そうして小学生になった頃、クラスの男の子と喧嘩をするような強気な性格だった私が喧嘩文句のなくなった相手にいつも言われるのは「デブ!」という言葉だった。もちろん傷ついていたし、ずっとコンプレックスだった。私は中学に入った時、ずっと文化系(ピアノや吹奏楽)だった自分を捨て、断固痩せるべく運動部に入ると決めた。だからその中学で一番練習がきついと言われていたバスケットボール部を選んだのだ。そして思惑通り、私はみるみるうちに痩せ、それ以降は他人から「デブ」の二文字を今に至るまで言われていない。もちろん、人の外見に対して傷つくようなことを言う人が一番悪い。だが、そんな正論と思えることを一生懸命その人たちに説いたって、世の中に“モデル“というものが存在し、ある一定の基準を示す外見の“美“が存在している限り意識を変えるのは難しいと思う。もちろん何かの病気やそのために服用している薬の副作用で痩せられない人もいるが、そうではなくてただ好きなだけ食べた結果太っている人に対して私は常日頃から言いたいことがある。「デブ」「ブタ(そもそも豚があのフォルムなのは別に怠惰なわけではないから私は豚に失礼だと思うが)」と言われて、「太ってますけど何か?私はこの体型である自分が好きだし、今の自分に満足してるの」と気にしない人はそう思えることは素敵なことだし、他意なくそのままでいいと思う。でももし心ない言葉に傷つくのなら、私は、相手や世間が、改心してくれるのを待つより、自分が痩せたほうが早いと思う。モデルみたいにならなくたっていい、人に突っ込ませる余地のないくらいの体型でいればいいのだ。それは同時に健康も保たれるし、入らない服はほとんどないし、悪いことはないように思える。私は痩せにくく太りやすい体質だから、痩せるのに相当努力をしたし、今も体型維持のために日々努力をしている。心の乏しい人たちに「そんなこと言わないで」って訴えるより“言わせない“方が簡単だ。体型は変えられる。自分がいいなら変えなくてもいいけど、傷つくならまず傷つかない努力をしたらいいというのが私の考えだ。そして傷つける側の人に言いたいのは思っている以上に言われた人の人生を変える二文字であることを覚悟していってほしいということだ。私は今どちらかといえば痩せている。だけどそんな今でも太ることへの恐怖なるものを抱いているし、もう少し痩せなきゃといつも思っている。私はストイック体質だから逆にその恐怖や焦燥感のおかげで自分を鼓舞でき、大好きな洋服をほぼ自分が求めるイメージで着られるし結果オーライだが、消えない傷であることは確かだ。

 

"自分の内側に灯りを灯すだけで、それら全てのコンプレックスや、今日の自分を作り上げるためにできた傷は、その人の魅力を引き出す個性になる"  -喜多川泰-

 

傷つくのは自分でもそう思っている「図星」だから。少なくとも私はそうだった。それは同時に卑屈な自分も生み出し、内面をも醜くする。努力でどうにかできる“自分でも思う欠点“は私は内面も含めて、なくしていきたい。