一般的に30歳を過ぎたあたりから女性には聞きにくい質問がいくつかある。彼氏のこと、結婚のこと、子供のこと・・・。私個人としてはなんでも聞いてもらって構わないし、おそらく全てに対して正直に話すだろう。だが例えば2月に入社した会社の隣の席の25歳くらいの女の子。コロナ前に出社していた頃は、お話好きで気さくな子で、いろいろ話してくれた。彼女の恋愛の話を聞いたりもしたが、彼女が私に質問してこないことに途中で気付いた。私は年上の仲良い人が割と多く、そんなに年齢を考慮して質問を選ぶということをしない。だからその25歳の子にも何ら遠慮なく聞いてほしいし、普通のガールズ(私はレディースかもしれないが)トークをしたかった。だが恐らく彼女からしたら、30歳を過ぎていて結婚していない私に色々と聞きにくいのかもしれない。25歳の自分でさえ彼氏をつくることや結婚に焦っているのに、この人は更に自分より7年も経過していて、一体全体どういった精神状況なのか計り知れない…といったとこだろうか。ここまでくると色々あるんだよ〜ってむしろ話したい。彼女になら私のスピード離婚ストーリーも公開できたのに。私は自分に起きた不幸なるものをどんどん笑い話にしたい派だ。悲劇のヒロインには決してなりたくない。だが事がことだけに私以上に深刻に捉える友人もたまにいる。離婚をしたとき自分以上に相手に怒ってくれた友人たちには心底感謝しているし、そのおかげで自分の恨み節を抑えることができた。だが哀れまれるのはむしろ悲しい。人に哀れまれる人生を生きてるなんて切ないことこの上ない。私の人生を勝手にかわいそうなものにしないでほしい。だから私は同じことを人にしない。基本的に自分がやられて嫌なことは人にしないように努める主義だ。先日前の会社の、決して年齢を明かさない主義で未婚彼氏なしの推定40歳の女性と、1個上の女性と3人でランチに行った。そのときにその推定40歳の女性が彼氏を見つけたいという話をしてきた。私はとてもいいことだと思い、色々と質問したし、私も探してるんですと話は広がった。何歳になったって恋愛はしていいしすべきだし、パートナーを探すことは何一つ恥ずかしいことだとは思わない。私は彼女に「子供は絶対ほしいんですか?」と聞いた。彼女はすんなり「絶対ではないな。」と答えた。その人は不快なそぶりは見せなかったが、その話を別の人と話していたら、「え、その質問大丈夫?私だったら絶対できない。」と言われた。そこで私はわからなくなった。自分の問いが相手を不快にさせたのか否か。私だったら遠慮される方が嫌だ。だが“この人は40過ぎてるし、高齢出産だし、子供ができる身体かもわからないし、触れてはならない話題“とすべきだったのだろうか?考えても考えても彼女本人に聞かないとわからないことだけれど、やっぱり私は聞いたことを後悔はしてないし、したくない。子供を望むか、結婚を望むかの質問は私の中では“価値観“に対する質問だ。「そろそろ子供作りなよ」とか「結婚しなよ」というのは価値観を押し付けた謎のアドバイスで、私の中では無神経な発言に値するが、“何も聞かない“というのもまた要らぬ気遣いで失礼に値すると思う。とはいえ、これは受け取る側の人次第だ。ある友人はよく旦那さんとのほっこりエピソードを話してくれる。それは私にとっても微笑ましいことでその友人が幸せなのは羨ましい気持ちはもちろんあるが、同時に嬉しい。その友人に、他の友人が私に遠慮してるみたいで、全然旦那さんとのこと話してくれないことを話したら、「○○(私)は綺麗だし、これから全然出会えると思うし、何も心配してないから、自分の幸せエピソードを遠慮なく話せる」と言ってくれた。純粋にそう言われたことがすごく嬉しかった。そして同時にたとえ恋愛がうまくいかなくとも、私の人生に希望を持ってくれている人がいる限り、絶対に綺麗であり続けようと誓った。

"他人への気遣いで大切なのは、話を聞いてやること" −ビートたけし−

もしかしたら意味が違うかもしれないが、私は聞かない気遣いより聞く気遣いをしていきたい。 私の会話の境界線は人によってはアウトになり得るが、自分のものさしで“要らぬ気遣いと無神経“の間くらいを絶妙に攻めていこうと思う。そしてもしそれがアウトラインだったら、きちんと心を込めて謝罪しよう。