数年前からなんかモヤモヤするなってことがある。女子が「女子だねー」「女子力高いー」って言ってくる時なぜだか小馬鹿にされているような気がするということだ。例えば私はカフェ巡りが趣味のうちの一つなのだが、カフェを本当に好きになったのはバンクーバーに留学中で、ある朝ルームメイトとあるカフェにいき、コーヒーを一口飲んだ時に「なんて幸せな時間なんだろう」と思った瞬間から、自分の好きな雰囲気のカフェを見つけることが楽しみになった。だが、“カフェに行くのが好き“というと決まって「女子だねぇ」と言ってくる女子がいる。カフェが好きなことに性別は関係ないだろうといつも思う。女子が言うその言葉の裏には「男ウケ狙ってるの?私はそんなこと考えてないからなぁ」のニュアンスが含まれているように感じる。私は歌手のaikoが好きで声のトーンも合うのでよくカラオケで歌う。以前会社の女の子にカラオケで何を歌うのか聞かれたのでaikoとか、と答えたところ「でた。合コンで男子ウケする定番じゃーん」と言われた。そんな風に思ってaikoの歌を聞いたことも歌ったこともなかったので心底驚いたし心外だった。結論、「女子だね」「女子力高い」などのコメントをする女子は男ウケを逆に意識し、そして意識することを必死に隠したい、もしくは自分の怠慢を認めない人たちだ。男ウケを意識することを恥じれば恥じるほど、格好悪い。いっそいかにそれを意識して頑張っているかを公にした方が気持ちがいい。私は自分の趣味嗜好が男ウケするかどうかなど本気で考えたことがないが、外見はよく考える。髪型で言えば、オン眉パッツンやマッシュヘアにしたいと思うがロングで前髪を流している方が男ウケがいいと考え、髪を切るまでにいつも迷う(結局やってしまうが)。服もそうだ。カジュアルやモードが好きだが、例えば最初のデートの時はできるだけ一般ウケしそうな無難なものを選んだりする。可愛い・綺麗と思われたいという意識は常にあるし、私の場合は中身がある一定の男性にしかハマらない自覚があるため、とりあえず外見は良く見せる努力をし続けようと思っている。そうすることが恥ずかしいことであるとは微塵も考えたことがない。外見に限らず、あらゆる面で自分を磨いている人を見て“女子力が高い“ではなく、“美意識が高い“と思う。

"化粧をしない女に、明日はない。香水をつけない女に、未来はない"  −ココ・シャネル−

異性のために着飾ったり、努力をすることは何も恥ではない。堂々と男ウケを狙ったらいいのだ。ちなみに私はココ・シャネルのこの言葉を見てから、出かける時は必ずシャネルのヘアミストをつけるようになった。