晴れの休日。少しだけふり返り。 | なっつのブログ

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アラフィフ独り身、飲むのが好きなぐうたら女性の日記。

今日はこちらは晴れ。

 

暑さもそこまでではなくなったし、秋らしく爽やかな気持ちのいい天気。

 

こんな天気の日は早く家事しなきゃなんだけど例により…ぐずぐず。

 

なんかダメな手だなとは思うけど、今日は冷蔵庫にあるやっっすい白ワインに手をつけて面倒に思う気持ちをごまかして勢いつけてやっちゃおうと思っている。うん、ダメだなー。😓

 

まあこんな日もあるさ、とダメダメな自分を許す。(いや、甘やかす?)💧

 

今週は、仕事では内容こそ変われど人から見たらきっと相変わらずくだらないようなことで悩んでいる。けれどまあどうせやらなきゃいけないときにはやらなきゃなんだからやんなきゃな、とか思っている。

ま、やろう。A^_^;)🌟

 

そして…

 

ちょっとここ2ヶ月ほどの、実家に帰ったときのことを書きたくなって、振り返り。

(おととし亡くなった母のこともすこし含んでます。)

 

まずはこの夏の、8月のこと。

職場で有能な若い子が辞めてほかにも一人続けて辞めて、ほんとの本当に人手が足りなくなり

自分的には吐きそうなくらいせわしなく忙しく感じたのですが😓そんな中

 

自分の仕事では特にお盆休みはないので、お盆周辺の定休の日に、田舎の実家に帰って墓参り&お墓の草むしり…などしました。

 

私が帰ったその日の何日か前には兄が帰っていて、兄妹3人の誰もができておらず荒れ放題だったお墓を掃除(←というか…茂りに茂った草木の伐採というか。😅)をしてくれていたので、自分はそれでもまだ残っていた雑草をぼちぼち引き抜くくらいでよかったのですが

 

その残ってた雑草たちが思うよりむっちゃ、根強くて。😓🌿💧💧💧広く深い範囲に硬い根を伸ばしまくっていたので💧🌿🌿🌿

 

ごく小さいピッケルみたいなの?(←なんていうの、片方が小さいくわみたいで、反対側にちょい尖った掘れる部分がついてる金属製のあれ…😅)ま、まあ、実家に置いてたちょっと掘れる道具とか持ってって使ってたのになかなか根の底まで到達できず

 

猛暑で、昼前のむあっとうだるような熱気(←11時ごろに行ってた)に汗がまさに滝のように流れる中、がつんがつん土を掘ってたら途中立つたび立ちくらみしだして、しかも意識もブラックアウトってゆーんですか?…ふうっと遠のきかけたので😵🌀🌀🌀

 

『これここで気を失ったらまじ、熱中症でわたし○ぬ❗❗❗😱🌟🌟🌟』と…。

ホントに身の危険を感じたので😰💧ある程度のところで切り上げ、残りは翌9月のお彼岸中の定休日にまた帰って片付けたことでした…。😅

 

8月のその日は、山に向かってちょっと登ったとこにあるうちのお墓から、下って駐車場に置いてたレンタカーまでたどり着いた時に手にもすこししびれを感じていて、ごく軽度の熱中症になりかけていたのだと思いますが

 

幸い、水分は経口補水液を持っていってて飲んでたし、車の中でエアコン効かせてすこし休んだあと実家に戻り、またちょっと食べて寝てたらきちんと回復しました。😅

 

着てた服はけっこうな雨に降られた時のようにもーうびっしょりのぐっしょぐっしょだったので(かぶってた野球帽も汗じみがついてしっとりしてた…😅💧)

着替えてあとは、日陰だらけで涼しい家の庭の草むしりなどをして過ごしました。

 

昨年の同じころは、おととしの冬亡くなった母の初盆で

お坊さんを家に呼んでの法事をすることになっていたので、その前の日から兄と二人で一緒に帰り、家の片付けや掃除をしたり、父の初盆ときに使った大きな灯籠やらお盆用の段になった飾り棚?(←なんて言ったっけかあれ😅)を組み立てたりあれこれ飾りつけたり…

 

当日はまた早めに兄と示し合わせて帰って、お供えもののお膳やらお団子やらなすにきゅうり、ほかお花やらなんやらあれこれあれこれ用意して、そのあと姉家族と、兄より後で来た兄の家族と一緒に法事を迎えたことでした。

 

なんか、お盆らしい家族の集まりって感じでにぎやかだったな。

となんとなく、振り返ってしまいました。

 

初盆法事の当日は、凝り性の兄と段取りの甘い私とで作業をしてたので、お坊さんの来る時間ぎりぎりになってまだ作業が残ってたのを

自分達よりすこし遅い時間に家に着いた姉に手助けしてもらってなんとかなったんだっけ…。😅

 

兄がネットで調べたりして凝りに凝った初盆の大がかりな飾りつけは、来てもらっていたご住職が読経を終えたあとに『(お盆で)色んなお宅に伺ったけれど、お宅が一番立派です。すごくよく飾られていますね~❗』とお褒めの言葉を下さり、兄が嬉しがっていたっけ。(笑)

 

 

…それと比べると今年は、ひとりでの墓掃除やお墓参り、実家でもひとりで過ごして

 

父や母ともう話すことのないひとりの家は、広いし静かで。

家の庭仕事なんかは自分の性にあっているみたいですごくいい気分転換にもなるんだけど、やはりすこしさびしいなとも思う。

 

あと、お墓参りは…

 

少子化もあるだろうし、田舎でお墓の手入れをする後継者になる人がもう少なくなってるのかなって感じで

 

お盆の時はまあ真っ只中の日よりちょっとずらした日じゃないと行けなかったからわかるんだけど、秋のお彼岸は中日祝日が休みだったからその日に行ってたのに

 

10時半くらいの時間のせい???なのか途中手入れもされず草が生い茂って伸びっぱ、蜘蛛の巣もたくさん張ってる登り道のなか…いや登ってから周辺に広がるお墓を見ても、全く全く、人けがなくって…。😓💧💧💧

 

いい歳でもこれはなんかこわいよ、と思いました…。(^_^;)

 

ま新しいお花が供えられてるところも少しは見かけたんだけれども。なんかこう、これはそのままで置かれているなって感じのところが思うよりすごく、多くて。

 

実際うちのすぐ下のお墓などは

父が元気で家族みんなでお墓参りに行ってた頃なんかは『ついでに』と父がこちらの方まで伸びてきていた草木などを刈ったりしていたのですが

 

いまやそのお墓は、草木の中にまさに『埋もれて』いてよく見えない状態だったりします…。😓

 

この墓地は、田舎の中ではまだ栄えていて人も多い、町なかの部分にある山…のふもとにあるのですが、ごく下のほうのお墓は道路に面した低いところにあってお花もわりと供えられていたけれど、あとは山に沿って、石を埋めこんだセメントで固めたようなちょっとがたがたした細い道をけっこう歩いて登っていく形になるので

 

年配のかたなんかは体力的にあんまり上まで上れなくてお墓参りできない、とかもあるだろうなとか思いました。

 

あとはちょっと暗い話だけれど

父も母もいなくなり、同時に『その二人に接していた自分』という自分のなかの一部分も、二人がいなくなることでこれから先は出すこともないんだなというか

 

親にとっての子供である自分、親に対して出せていた自分の一部分、が親がいなくなったらそれも共に永遠に無くなるのだな、とかそんな風に思ったりします。

 

親との会話がもう思い出の中だけのものになってしまったのがやはりすこしものさびしい。

 

あと…父については自分が想像していたよりも病床の父にこまめに会いに行けていたけど(父が入院していた病院が、いま自分が住んでいる地方都市の中でも自分の住んでる所に近い場所にあったので。私は車を持っていないので自転車で20分くらいだったかな…のその病院によく行っていました。まだコロナの前だったし。)

 

母については、田舎のグループホームに兄妹で話して入れていたので

 

いい年してお金もなかった私は、田舎に帰ることもあまりせず

そういうことを、後悔します。

 

ただ、どんな人でもみんな、順当に行けば親を見送るのだし

 

沈んだ想いにとらわれて自分の生活がおろそかになったらそりゃダメだろうとか思うし

もともと自分は優しくて情が厚いような人間でもないので、そんなに深く考えないようにして自分のことだけよく考えてしまいながら毎日過ごしてるなーとか思いますけどね。

 

なんかまあこれも日記に書いたのは、ぐち吐きたい感覚と似たようなものかな。💧

 

で、思ってたことを吐き出せたところで

 

やっと家事に取りかかろうと思います。😅

 

怒涛のド長文、もし読まれたかたいらしたらありがとうございました&ほんとうにおつかれ様でした。😌🍀✨

 

今までサボったけど、まだ陽のあるうちにたくさん家事しなきゃだわ❗😅🌟🌟🌟