といっても、我らが恩師、福澤諭吉先生のことではなく。

 

何十年も夫婦関係をやっていても、波長が合わないという話。

 

カミさんとの波長。

 

具体的には、

 

その例1;「あたしお掃除するわ」と言い出したとき、自分でクリーナーかけるということではなく、こちらにクリーナーをかけろよ、ということの命令形。

 

その例2;「風呂掃除するわ。」、「ゴミ捨てるわ。」というのも、同様に自分がやるということではなく、こっちにそれをしろ、という命令形。

 

こういうことに、いちいち逆らわない。相手がごちゃごちゃ言いだす前に、こっちから勝手にやり始める。結局掃除なんて、この狭いマンションの中を掃除したとしても、大した時間は掛からない。それよりも、自分のペースでさっさとやったほうが気持ちいいしな。わかっていて何もせず、相手の機嫌を損ねるほうが後味悪い。

 

時々こいつ、一体どんなつもりでパート先で仕事してるのかと思うこともある。が、そこも、いちいち言わない。干渉しない。我々は互いのことを過剰干渉しない関係が心地よいのだなと悟る。お金の使い方、時間の使い方、等距離で計測しているものは何もない。お給料の使い方とかも。今は年金生活と、多少の給料もらう生活だが、現役時代もお金の相談したこと無い。尤も、今も僕のキャッシュカードはカミさんが握っている。と言っても、管理なんかしていない。僕は僕でクレジットカードと、pasmoのオートチャージがあるため、勝手に好きなもの買って済ましているので、困らない。また、常にそこそこのcash-on-handと、株式あるので、基本的にお小遣いには困らない。年間配当があるのでそれで充分である。

 

洋服は、カミさんが服装にうるさいので、夏冬バーゲンセールのときに、買いたくもない洋服をかなり購入する。靴もだ。時々、一人で好きなスペインカジュアルブランドを代官山へ見に行くことはある。

 

渡辺淳一氏が、「男と女の間にはどこまで行っても、渡れない川が流れている」と、なにかの作品で言っていたがまさにその通り。若いときは理解できなかったが、今になって痛感する。また親父は、「夫婦は2心2体で、一心一体ではないので、お前もよく覚えとけ。」と言っていた。

 

そう割り切れば、夫婦関係なんて気楽なもんだ。元々2心2体なんだから。世の中の悲喜劇は明らかに二人の勘違いから始まる。