お久しぶりです。引退ブログ前にブログ書く機会があったのですがが、なんやかんやで書き忘れてしまい、ラストブログとなってしまいました。
先輩方の引退ブログとか見ていつか自分も書くのかと思っていたら、ついに書くこととなりました。引退して4週間くらい経ちますが、いざ改めてキーボードに思いの丈を書くとなると感慨深いです。
自己紹介遅れました、前主任の吉武正太です。
自分の気持ちを文字にして伝えるののが正直苦手ですが、頑張って書いていこうと思います。
まず差し当たって、OB、OGの皆様
常日頃より名大水泳部をさせてくださりありがとうございました。自分が主任を務める際に、人数が足らずゲーム練などの実践練習ができない中で皆様とゲームを行うことができたことは試合に出られない我々にとって非常に有意義な練習となっていました。自分たちより技術のある相手に対してどう立ち向かうかという現行チームの大きな課題攻略のためにご協力いただきありがとうございました。次回は自分も一OBとしてプレーさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
以下、過去の振り返り
正直なこと書いてみます。
・大学一年生
なんとなく水泳部に入り、水球の体験を5月からさせられて、2個上の玲音さんに「もう選手登録しておいたから」という言葉を間に受けて、水球も始めたのが多分きっかけだったと思います。覚えている限りでこれがスタートだったとしたら、その時よく自分は水球やろうと思ったなと今になって思います。結果、今満足しているので、3年半前の自分は正解だったのかと振り返ってみれば感じています。
そこからはめちゃきつかった。今の慶秋が頑張っている姿を見ると、シンプルにフルで練習に参加できているのがすごいと思います。
シンプルに泳げず体力、スタミナがたださえ無かったので怒られてばかりで、これはやばいと思った記憶が今でもあります。同期でプレイヤーいないっていうのも結構キツかったですね。
そんなこんなで2月過ぎて母親が体調崩し、家のことをやらなくていけなくなり、当時の自分のキャパが限界を迎え、一旦夏で水球をやめました。
辞める際に相談に乗ってくれた玲音さんには今でも感謝しています。この時相談に乗ってくれたから、もう一回やろうと思えました。
・大学二年生
プールサイドで水球面を見ているとやっぱりすごいなーと、かっこいいなーと長いこと思っていました。学年が上がりしばらくしてから、母の体調も治り、もう一回水球やろうという思いが次第に強くなり、確か名阪線の3日前とかに、もう一度やらせてくださいと言って、前代未聞だと思いますが、水球面に復帰することとなりました。急になんやねんと思われたと思いますが、今一度やらせてもらえて当時の先輩、同期、後輩の皆さんに感謝しています。この日から、もう一回やってやると、遅れを取り戻さんという勢いでめちゃめちゃモチベーション高く取り組めたと思います。
ポジションは自分からキーパーやらせてくださいと玲音さんに頼んだ記憶があります。相談に乗ってくださったことへの恩返しが一番にあり、シュートを止める姿に対する憧れももちろんあり、自分の体格を活かしてチームに一番貢献したいという思いのもと選んだポジションでした。
いざやってみて、難しいし、ボールは上手く投げれないしと不出来なことばかりで見返してみると酷かったです。特に10月の三重県戦で碌なプレーができていないのが酷かったです。七大戦で先輩たちの勇姿を見ているということもあり。なおさら自分が情けなかったです。
そんな自分のゴールキーパーとしての転機になったのは全国公だったと思います。そこでの試合で周りからナイスキーと言われたり、自分のプレーが得点につながったり、出場した試合で勝利に貢献できた瞬間を味わえたのが今でも思い出すくらいに嬉しかったです。 もう一回この気持ちを味わいたいというのがプレーのモチベーションになってました。
・大学三年生
プール使用禁止期間を空けて、練習生も増えて、練習も活気付いて中インも終わりいざ七大戦ということでしたが、一勝もできず先輩を引退させてしまったという悲しみが大きかったです。リードしている場面で、ここぞという時に止められないことが多く、自分がなりたいキーパー像から大きく離れていたと思います。できるだろ、っていうことができていなかったと思います。そして新体制で主任を任せてもらうことになりましたが、人が足りない等状況に対して上手く対処できなかったです。完全に主任として実力不足でした。部員各位にはとても迷惑かけたと思いますし、だんだんと自分のモチベーションも下がっているなと思っていました。大会にも出れず、関西のウインターにも阪大の太一のおかげで出させてもらえたのに、チームをまとめることができませんでした。そして鈴鹿合宿になりまして、ここでもやはり練習不足から練習生のみんなにプレーで怒られることが多かったです。でも年上の自分にしっかりと要求をぶつけてくれるのは本当にありがたいことだっと思います。慧にはめちゃくちゃ指導してもらった思うのでマジで感謝してます。四年生になったらしっかりしようという意識の芽生えがここから起こりました。
・大学四年生
いよいろラストイヤーということで、妙な感じでした。シンプルに人はいるのかという不安が大きくて最悪名阪、中イン、七大戦出れないのではと思っていましたが、二人入部してくれてなんとか大会出場が叶いました。名阪では中盤までいい勝負してましたし、自分もここぞいう時にセーブできて、プレーしえいてめちゃくちゃ気合い入っていました。阪大の太一とも仲良くさせてもらった、同期のプレイヤーがいない中で、ああいう風に話せたことが実はとても嬉しかったです。太一ありがとう!
名阪が終わり少し気の緩みがあったからか、モチベーションが下降してしまい、最後の最後で上手く部をまとめることができなくなってしいました。雰囲気も良くなく、このまま終わるのかというところで、練習生のみんなと話し合う機会があり、そこで今一度本気でやろうという決意、やる気を再びみなぎらせることができました。練習生のみんなにはマジで感謝してるので、今度会ったら直接ありがとうを伝えたいですね。ネタではなくそれぐらい感謝しています。助けてくれて本当にありがとう!
そして迎えた七大戦。初日は作戦がハマる場面もあり、4勝1敗と久しぶりに勝利することができてとても嬉しかったです。試合中の雰囲気だったり、得点を決めた後の盛り上がり、等々、プールの中で一人で感動してました。自分がやりたかった水球ができているという実感がすごくて、ひたすらに楽しかったです。みんなで掴んだ勝利っていうやつですかね、たまらなかったです。2日目は2戦とも大差で負けてしまいましたが、フィールダーのみんなが一生懸命泳いで点を撮ろうとしている姿は後ろから見ていて、くるものがありました。ピリオドが終わるたびにもう終わるのかと怖さもありましたが、全体止めてやるという思いのもと最後までプレーすることができたと思います。
終わった後に謙さんに肩を叩かれた時は流石に泣けてきましたね。
以上3年半の振り返りでした。
最後の最後に自分の最高潮を持ってこれたのはよかったです。
同期にプレイヤーがいないのは確かに辛かったですが、それが自分のアイデンティティでもあったので今になってみれたば自分のユニークポイントです。最後の大会が最高に楽しめて、心の底から水球最高と思えました。それもOB OGの方々、同期、後輩、練習生のみんなのおかげです。
一人一人へのメッセージは直接引退式で言えたらと思います。
本当にお世話になりました。
今後はみんな恩返ししていきたいと思います。
思い出の写真たち