ももちゃんと、二人三脚。

ももちゃんと、二人三脚。

エンジェルガイダンスカウンセラー・ヒプノセラピスト
葉月のブログです。
2012年5月22日に、2歳11か月で光の世界に帰った娘、
百花と一緒に “二人三脚” で
天使ママさんのお手伝いをしています。

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神社の神さまへ、愛を込めてラブラブ

もう一つブログ書いてます。 → 神さまと、二人三脚。 へ。






 

 

前々回は、こちらの本をご紹介させていただいておりました。

 

その続きになりますウインク

 

ちょっと面倒くさい話になることをお許しください。

 

 

 

 
 

私が、この本を紹介させていただこうと思った理由の2つ目は、

サコさんがこの本の中で、『肌の色の問題』について、

経験なさったこと(正確には、サコさんの息子さんが経験したこと)について書いていらっしゃったこと、

そして それをどのように解決されたのか、

についても書いていらっしゃるからです。

 

 

 

 

サコさんは、日本人の奥さんとの間に二人の息子さんがいらっしゃるのですが、

その次男さんが、小学校で

 

「頭モジャモジャ」

とか、

「リトルオバマ」

と、からかわれるようになったのだそうです。

 

 

 

サコさんは、

次男さんの学校でワークショップを開催することを決意されます。

 

その中で、サコさんは敢えて肌の色というタブーを遊びに変えて、

子どもたちと遊んだのだそうです。

 

 

「ナスビタコさんは、なんでそんなに黒いの?」

 

(ナスビタコというのは、ウスビ・サコをもじった、小さな子供向けの、サコさんの愛称です)

 

そのような質問に、サコさんは、こう答えます。

 

「テニス焼けやでえ」

「ここまで黒くするの大変やでえ」

 

 

 

 

・・・えええ?びっくりあせる

 

そんな説明、有りなの?

 

 

タブーに切り込んでいくにしても、

事実に反することを言ってもいいのだろうか・・・

 

 

私は、少し戸惑ってしまったのですが、

このワークショップが終わるころには、ナスビタコさんは、

子どもたちみんなの憧れのヒーローになっていて、

 

自分は、

「絶対にナスビタコさんになりたい」

 

と言い出す子までいたのだそうです。

 

 

子どもたちは、サコさんのことが大好きになって、

サコさんの家に遊びに来るようになり、

一緒に料理をしたり、パーティーをしたりして楽しんだそうですチュー

 

 

そして、このワークショップをきっかけに、

次男さんも、その周りの子たちの態度も 大きく変化したのだそうです。

 

 

 

 

 

 

人種差別だけではなく、

あらゆる差別問題(例えば、障害者への差別など)をテーマとした学びが行われるとき、

多くの場合、

 

「すべての人の命は平等で、

すべての人の命はかけがえのないものであるから、

差別をしてはいけない。」

 

という観点から 学ぶことが多いのではないかと思います。

 

 

この方法は、

無難なやり方ではありますが、

実際、このようなやり方で、

 

「差別はいけないのだ。」

 

と、心に刻み込むことができるのは、

もともと差別意識の無い子だけなのではないか?と思います。

 

 

というのも、

4年前に、重度の障害者の施設で、

元職員の男が多くの障害者の方を殺傷するという事件があり、

 

この犯人の男が

 

「障害者を『安楽死』させれば、世界平和につながる」

 

という特殊思想を持っていたことが分かっていますが、

 

この男も、かつては

 

「障害者の命も、大切なかけがえのないものだ。」

 

と語っていたのだそうです。

 

ですが、本人によると、

それは 心からそう思っていたのではなく、

 

「(学校で先生から)そう教わったので、

そう答えるべきだ、と思ったから。」

 

なのだそうです。

 

 

また、この事件のニュースには、

 

「障害者の存在は社会の迷惑だから、排除すべし。

という犯人の言葉には一理あるのではないか?」

 

という趣旨のコメントも、複数付いていました。

 

 

 

 

 

百花が重度の障害と病気を抱えていたこともあり、

私はこの事件のニュースを見るたび、

そして、このような心無いコメントをうっかり見聞きしてしまうたび、

怒りで体がぶるぶると震えます。

 

 

 

健常者でも、事故にあったり病気にかかったりして、

障害者になることがあります。

 

その場合、

それまでは価値があったその人の存在に、

急に価値がなくなってしまうのでしょうか?

 

 

障害者だけではなく、

働けなくなった老人も年金を食いつぶすばかりで価値がない、

という人もいます。

 

若くて働ける人には価値があったのが、

年を取って働けなくなったら 価値がなくなってしまうのでしょうか?

 

 

 

子どもを産めなくなった女性に価値はない、

とか、

同性愛者には生産性がない、

とか、

 

 

 

 

『社会の役に立たない人(社会に迷惑をかける人)には価値がなく、存在しない方がよい』

 

 

 

 

という考え方そのものが、完全に誤りだと思いますが、

それ以前に『社会の役に立つ』とは、そもそもどういうことなのでしょう?

 

 

人間が社会の役に立つ方法は、

 

『働いてお金を稼ぎ、税金を納められること』と、

(将来税金を納める)『子どもを産むこと』、

 

たった それだけしか無いのでしょうか?

 

 

 

 

私は、言葉を発することができず、

自分では座ることもできなかった百花が、

出会った多くの人の心を動かし、

その人がより良く生きるためのきっかけとなったことを知っていますが、

 

それは、社会の役に立ったとは言えないのでしょうか?

百花は ただ税金を食い潰すだけの、迷惑な存在でしかなかったのでしょうか?

 

 

 

 

 

自分自身、いつなんどき事故や病気で価値を失うかも知れず、

また、年を取れば 否応なしに価値のない存在になる・・・

 

そんなのは、

決して生きやすい社会でも、成熟した社会でもないだろうと、

私は思いますし、

 

もし、世界を そういうふうにしか見られないのなら、

その人は ずいぶんと生きにくいだろうな・・・

とも思います。

 

 

 

 

 

たった一つの角度から物事を眺めるのではなく。

どれだけ多くの角度から眺めることができるか?

 

 

それは、『生きやすさ』と密接な関係があると思います。

 

 

 

ですが、新たな物ごとの見方を

本当の意味で手に入れるのは 簡単なことではありません。

 

 

通り一遍の教え方で手に入れられるものではないのです。

 

 

 

 

そのことを、サコさんはよくご存じなのでしょう。

 

だからこそ、

敢えてタブーを犯すような教え方をなさったのかな?

と思います。

 

サコさんの並外れたコミュニケーション能力の高さがあって初めて成り立つやり方かも知れませんが、

 

サコさんに出会い、サコさんを大好きになった 子どもたちは、

将来、決して黒人を差別するようにはならないんじゃないかな?

と私は思います。

 

 

それは、

 

「黒人差別は 許されないことだから」

 

ではなく、

黒人=大好きなスーパーヒーロー、ナスビタコさんの仲間

 

だから。

 

 

 

 

結局のところ、新たな見方を増やすためには、

自分と異なる者(物、こと)に興味を持ったり、

好きになったりすることしかないのかも知れません。

 

そして好きになったら、先入観を捨てて想像力の翼を広げていくこと。

 

どんなに好きになっても、

相手をありのままに見ようとせず、

自分の都合のいいように解釈しようとするスタンスでは、

絶対に新しい見方は手に入りません。

 

 

 

 

たとえば、

 

『白人が黒人より優れている』

 

なんていうのは、

白人ではなく有色人種である多くの日本人からすれば、

物事の見方以前の、

時代遅れの非常に愚かな思い込みに過ぎない、

ということを理解するのは、実際、さほど難しくはないでしょう。

 

 

(だからこそ、サコさんの次男さんの学校でも、

簡単なワークショップ程度で問題が片付いたのだ、

と言えるかもしれません)

 

 

ですから、

海外の『BLACK LIVES MATTER』関連のニュースを見ていますと、

『白人の命も黒人(そして、それ以外の有色人種)の命も

等しい価値がある』ということを

腹の底から理解できないでいる白人が、まだまだ多い・・・

ということに驚いた方もいらっしゃるかも知れません。

 

 

 

 

 

けれども、迷惑を掛け合うことを良しとする文化があって、

自分の家に(お金を稼ぐという意味での)仕事をしていない大人がたくさんいるという国から日本に来たサコさんからすれば、

『人に迷惑をかけてはいけない』と、自分も他人もがんじがらめにしてしまう日本人の考え方には違和感を覚えるし、

 

 

『日本社会全体の問題でもある自死の問題を、

個人の責任にして、責めてしまう日本人』

にも違和感があるというのです。

 

 

 

そこのところを、

私たちは もう少し真剣に考えなければならないと思います。

 

 

 

 

私には、社会にとって『役に立たない存在』『迷惑をかける存在』とみなされる方の人権を否定する人、

自死した方の魂の尊厳を犯すような発言をする人は、

 

黒人を差別する一部の白人と同じように思えます。

 

 

あまりにも想像力を欠いている、と言わざるを得ません。

 

 

 

 

自分とは異質の存在への想像力と思いやりを持つこと、

自分がまだ手に入れていない、物ごとの別の見方が存在するかも知れない、

と自分の心を顧み続けること。

 

結局のところ、それが自分自身の生きやすさにもつながっていくのではないか?と思います。

 

 

 

生きやすさについて書いている途中なのですが、
ちょこっと脱線しますニコニコ
 
 
普段からちょこちょこと参拝させて頂いている地元の神社へ、
今日も参拝してきました。
 
 
この頃 少し忙しくて、気持ちが せかせかしていたからか?
 
神さまは、こんな意味のことを おっしゃってました。
 
 
 
 
そんなに急がなくても大丈夫だよ。
 
だってお前、急いで動くのは苦手だろ?
 
 
何と言おうかなぁ・・・
人にはそれぞれ、自分の実力を最大限に発揮できるペースというものがあってだなぁ。
 
最近は、スピードさえ上げればパフォーマンスが上がると勘違いしている者が多いが、
せかせかして できることって 実際、ぜいぜい雑用ぐらいだぞ。
 
 
自分が最も創造的であれるペースは、その人にしか分からないのだ。
 
きびきびと動いていれば、そりゃあ周りからは
「あの人は 頑張っている」
と、評価されるかも知れない。
 
だけど、そのペースが自分にとって、本当にベストなのかどうかは
周りの人には決して分からない。
 
そこでだ。
 
人の目を意識して、
「すごい!」
と言われるペースで活動するのか。
 
あるいは、他人にどう評価されようとも、
自分が本当に実力を発揮できるペースで活動するのか・・・
 
お前は、お前のペースで動け。
 
 
 
 
 
この世界で生きている限り、
時間というものは非常に重要なので、
急がなければならない場面がほとんどだと思います。
 
 
ですが実際には、スピードばかり求めるよりも、
自分が一番実力を発揮できるペースで動くことが最も生産性が高く、世の中のためになるのかも知れません。
 
 
許される範囲内で、
自分にとって一番心地よいペースで動けたらいいですねウインク
 
 
 
 
下矢印 下は、3年前の今日、私が書いた記事です。
 
やっぱり、自分は 本来、のんびりした人間なんだなあ・・・
と思いました爆  笑
 
 
 
 

 

この間、記事

 

 

で維摩経のことを書いたら、
りりさんが、記事の中で紹介させていただいた、
ひろさちやさんの本と 釈迦と維摩の両方を読んで、

感想を書き送って下さったばかりか、


私が欲しかったのに買えなかったNHKの100分de名著のテキストを見つけ出して、

私とZEaL★さんの分まで発注して下さいました。

 

下矢印 この本です。

 

 

 


嬉しくて、泣きそうになりました笑い泣き


葉月さんやZEaL★さんが 面白いって言うなら、きっと何か良いところがあるに違いないから!
って…

 

自分が面白いと思うことを共有できただけでも嬉しいのに、
りりさん、私ことを信頼してくれたんやなぁ!って思うと、

感動が二倍です。


 

 

りりさんだけではなくて、

他にも何人もの方が維摩経の本を手に取ってくださったこと、

本当に嬉しいです。

 

本を読んでくださったみなさん、ありがとうございました!!

 

 

 

調子に乗って(←単純)、

もう一冊本を ご紹介させていただきますねウインク

 

 

 

 

 

この本の著者、ウスビ・サコさんは、

アフリカのマリ共和国出身で、

現在は京都精華大学の学長をなさっています。

 

日本語を含む5か国語+関西弁のマルチリンガル、

視野が広くて頭がいい、

でも、この人の真髄は、コミュニケーション能力の高さだと感じます。

 

 

 

この本のことを紹介したいと思ったポイントは2つあって、

1つは、この本の中でサコさんが『日本の若者の自死問題』について触れていることです。

 

私は、サコさんの言葉が自死のすべてを言い尽くしている、

とは決して思いません。

 

あちらへ旅立たれた お一人お一人が、

言葉では言い尽くせない事情を抱えていらっしゃっただろうと思います。

 

ですが、外国に生まれた方だからこそ見える、

日本の抱える問題を 指摘されていると思いますので、

その一部を抜粋して ご紹介させていただきます。

 

 

 死という選択をしてしまう人たちの背景をじっくり見つめ、

それでもなお、

「自殺は本人たちの責任だ」

と言えるだろうか。

 

 日本では、パターン化されているものに当てはまらないことを

「悪い」と捉える価値観が正当化されているように思う。

 

 そんな社会では、パターン化されているものに合わない人は、

「自分は生きる権利もない」と思い、追い込まれていくのが自然だ。

 

言いかえれば、社会が追い込んでいく。

そういう側面があるはずだ。

 

 命を絶つ前に、その人は誰かと話をする場がなかったのか、

ということも考えてみた。

 

 だがおそらく、今の社会構造の中でどこかに相談しても、

最終的には

「おまえ、もっと頑張れ」

と言われる羽目になるだろう。

「引きこもっていないで、とにかく社会に出てみたら?」

とか何とか言われるのかもしれない。

 

 社会が悪いのに、その社会に出ろとは、どういうことやねん!と言いたくなる。

 

 みんながパターン化された思考で、

社会構造が今のままで変わらない限りは、

悩んでいる人たちが自分の状況を改善するのは難しい。

 

 

 

もしかすると、

ここだけを読んでもピンと来ないかも知れません・・・

 

でも、サコさんが育った家は、

お父さん、お母さん、サコさん、妹、弟の五人・・・

に加えて、親戚が十人あまりと、知らない人が十人あまり プラスその他の人々(←みんな、サコ家の居候)が住んでいて、

 

みんなで子どもたちを育てる、という社会だから、

悪いことをしたら、家にいる知らない大人にも叱られるんだけれども、

サコ少年が心の中で思うことは、

「この人、一体誰やろな?」

だったとか、

 

学校の先生に、親たちがワイロを渡す。

その理由は、

「自分の子の成績を悪く付けて欲しいから。」

(子供は、学校より地域社会で育てる方が立派な大人になる、

という社会通念があるので、早く学校からドロップアウトさせて、

地域社会で育てたいと考える人も多いそうです。)

とか、

 

あとは、友達は 迷惑をかけ合うのが当たり前、

迷惑をかけてナンボ、かけられてナンボ。

それが友達なので、日本の友達関係を見たら、

「いったい、何のための友達なの?」と戸惑う・・・とか。

 

 

 

 

そのような社会が、日本の社会よりも優れている

という意味ではなく、

 

日本社会には優れたところがたくさんあるんだけれども、

あまりにも、生き方に縛りが多くて、

そこから少しでも外れてしまうと、

責められてしまうから、ものすごくしんどそうだ・・・と。

 

 

日本の自死の問題は、個人の問題ではなく、

社会全体の問題ではないか?

 

と、サコさんは言います。

 

私も、そういう側面は確かにある・・・と思います。

 


 

 

今回のコロナ騒動でも、

不注意で コロナウイルスに感染した人が ネット上でつるし上げられていたり、

仕事を追われた、とか、

引っ越しをせざるを得なくなった、とか・・・

 

 

もちろん、自粛できるところは自粛し、

マスクや手洗い、ソーシャルディスタンスが大切なことは、

言うまでもありませんし、

感染して入院しているのに、ピザの宅配を頼んだとか

看護師さんをアゴで使っている・・・なんて記事を読みますと、

めちゃくちゃもやもやして、つい

「重症化して、死ね!」

と思ったりしますが(←いえ、本当は そこまでは思いませんが)、

 

 

自分は一生懸命我慢して、ちゃんとしてるのに、

一部のちゃんとしていない人が感染を広げた、

という怒りはあるかも知れません。

 

でも、そういう考え方が行き過ぎると、

自分自身も 生きづらくなるような気がします。

 

 

日本人よ、もっと肩の力を抜こうぜと、私は言いたい。

 

と、そう、サコさんは締めくくっています。

 

 

 

まだ、タイトルの“どうしたら、生きやすい世界になるのか?”に、たどり着いていませんが、

思いのほか長くなりそうなので、続きは、また書きますニコニコあせる

私の妹が亡くなったとき、

父は仏教関連の本を読みあさったらしく、

私が子供のころ、父の本棚には仏教の本がたくさんありました。

 

 

 

 

私は本を読むのが好きだったので、

それらの本を中学生のころ、よく読んでいました。

 

 

 

二冊の本を除いては。

 

 

 

 

私の記憶が確かならば、読まなかった本のうちの一冊は

この本で 下矢印

 

 

 

 

 

 

 

もう一冊は 下矢印

 

 

 

 

 

だったのではないか? と思います。

 

 

 

 

タイトルが あまりにも素っ気なくて、

中学生の心には響かなかったんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

で、数か月前、

この二冊の本のことを ふと思い出し、

急に維摩経の本が読みたくなりました。

 

 

読みたくなったのは維摩経限定で、

阿含経は 今のところ特に読みたい気持ちになっていませんあせる

 

 

 

 

 

で、アマゾンで維摩経の本を検索しましたら・・・

 

 

 

 

 

 

現在は絶版となっていますが、

なんと、過去に

宗教学者のひろさちやさんが 維摩経の本を書かれていたことが分かり、

古書なので、元の値段よりは高くなっていましたが、

注文しました爆  笑

 

 

 

 

この本が、もう、とにかく面白くて!!

 

私がこれまでの人生で読んだ本のうち、

面白かった本ランキングのベスト10には 間違いなく入っています。

 

それで、

 

「他にも もっとたくさんの維摩経の本が読みたい~!!」

 

 

と、アマゾンで良さそうな本を検索したのですが、

残念なことに、多くの本が すでに絶版となっていました。

 

 

 

なので、良さそうだな…と感じた何冊かの本を

図書館で借りて来ましたウインク

 

 

 

借りてきた本を読んでみて、

特に面白かったのが 下矢印

 

 

 

 

 

 

読みながら、こみ上げてくる感動を抑えるために、

ときどき本から顔を上げては 呼吸を整え、

再び、読み進めなければなりませんでした笑い泣き

 

 

この本は、私が人生で読んだ本のうち、

感動した本ランキングのベスト5に 間違いなく入っています。

 

 

 

 

読み終わったとき、

あまりにも 感動が大きくて、

 

「ああ! この感動を誰かと共有したい!!

維摩居士(維摩経に登場する人物)について、誰かと語り合いたい!!」

 

と思いました(←はなはだしく迷惑な人笑い泣き)。

 

 

 

 

でも、他人から勧められた本を読むのって、

たぶん、ものすごく面倒くさいことですよねあせる

 

(しかも、読み終わった後、議論することが前提・・・ 笑)

 

 

 

ZEaL★さんは 忙しい方だし、読書家でもあるので、

読む本くらい、ご自身で選ばれるだろうから、

私は、出しゃばったマネをしない方がいいだろうな・・・

 

と、もちろん そうは思ったのですが、

 

 

 

「私は ZEaL★さんと どうしても!維摩経の話をしたい!

それに維摩経の内容は、ZEaL★さんの心に 絶対に響くはず!!」

 

 

という思いに打ち勝つことができず、

厚かましくも、ZEaL★さんに 釈迦と維摩を ご紹介させていただいてしまいました。

 

 

 

そうしたら ZEaL★さんが、

 

 

「釈迦と維摩ですか?

その本は今 アマゾンのカートに入っていますニコニコ音譜

 

 

と、おっしゃいました。

 

 

 

以心伝心過ぎて、なんだか泣きそうになりました・・・

 

 

 

 

 

結局、この本は 絶版になっているうえ、

ある程度状態の良い古書となると、

ものすごく値上がりしていたので(そのころ、6000円台)

 

結局ZEaL★さんは、別の維摩経の本を購入されたようですが、

維摩経の本でありさえすれば、別にどの本でもいいんです照れ音譜

 

 

 

嬉しいなあチュー

 

楽しみだなあ照れドキドキ

 

 

 

 

そして、ここまで書いていて、今、ふと思い出したのが、

今日は、亡くなった私の妹の誕生日だ、ということです。

 

 

妹が亡くなったことがきっかけで、出会った本の記事を、

その妹の誕生日に書いていたんですね。

 

 

 

百花が、今の私を さまざまに助けてくれているということは、

今更書くまでもないことですが、

 

もう、何十年も前に見送った妹も、

ずっと、頼りない姉を陰から助け続けてくれていたのかも知れません。

 

 

 

絆というのは、切れてしまったように思えても、

そもそも、相手と うまく絆を結べていたのかどうかさえ よく分からなくても、

やっぱり ちゃんと繋がっているものなんだな・・・

 

と、朝から感じて またまた何だか嬉しくなりました照れ

 

 

 

 

妹の誕生日に気付いたことで、ちょっと脱線してしまいましたがあせる

 

 

 

ものすごく ざっくりと説明させていただきますと、

維摩経とは、

 

維摩居士という在家のおじいちゃんが、

お釈迦さまの 超優秀なお弟子さんたちや菩薩さま方を、

きちんと仏教の考え方に則った上で、

片っ端から論破していく。

 

そして、ついに この世界で最高の叡智の存在である

文殊菩薩さまと維摩おじいちゃんとの戦い(もちろん、舌戦)の火ぶたが切って落とされた!

 

さあ、その戦いの顛末や いかに?!

 

 

みたいな内容です。

 

(あくまで、うわべ上の説明ですが)

 

 

 

まだまだ読んでいない維摩経の本があるので、

どんどん読み進めていきたいと思います。

 

 

機会がありましたら、

またいつか、維摩経の記事を書けたらいいな、と思っていますが、

 

私が書いたのでは、維摩経の魅力の何十分の一かしか、

お伝えすることができないと思いますので、

ご興味をお持ちくださった方が、もし万一おられましたら、

よろしければ、一度読んでみてくださいね爆  笑ドキドキ

 

日本では端午の節句といえばカレンダー通りの5月5日ですが、

台湾や中国では旧暦の5月5日なので、

今週の木曜日が端午の節句、端午節(ダンウージエ)でしたニコニコ

 

 

今日の台湾華語教室では、端午節の直後ということで、

端午節と ちまきの話になりました。

 

 

 

 

「葉月、なんで端午節に粽子(ちまき)食べるか知ってるかー?」

 

と、先生に聞かれましたが、もちろん知っています爆  笑

 

 

 

 

 

春秋戦国時代の中国の詩人で、政治家でもあった屈原が、

周りの人々に自分の想いが受け入れられず、

悲しみと絶望のあまり、川(汨羅)に身を投じてしまいました。

 

 

屈原は、庶民に非常に慕われた人だったので、

川の近くの住民は、

 

「屈原さまの体が、魚たちに食べられてしまわないように、

魚に ご飯をあげようではないか!」

 

と、竹筒に米を入れて、川に投げたんだそうです。

 

 

以後、5月5日は、屈原の供養として

竹筒ご飯を投げ込むのが その地域の習慣になっていたそうなのですが、

ある年、屈原の霊が現れて、

 

「あのなぁ、せっかく お前たちが竹筒に米を入れて投げ入れてくれても、

わしが食べる前に龍が供物を食べてしまうんや笑い泣き

だから、手間をかけさせて悪いんだけども、

厄除けのせんだんの葉で ご飯を包んで、紐で縛って、投げ入れてくれんかな?」

 

 

住民たちは、屈原に言われた通りのやり方で、

供物を作るようになって、これがちまきの始まりになった、と言い伝えられているようです。

 

 

 

自分たちが、尊敬し、慕っていた屈原が自死した時、

その地域の住民たちが、真っ先に考えたことが、

 

「屈原さまの体を、魚に食べさせるわけにはいかない!」

 

ということだった、というのが 私には何だか嬉しかったです。

 

 

 

屈原の政敵たちが目を光らせて住民たちを監視していたかも知れません。

 

彼らに睨まれれば、住民たちの命など簡単に闇に葬られてしまうでしょう。

 

それでも大好きな屈原さまのために、人々はちまきを作ったのでしょう。

 

二千数百年前の出来事が、今の時代まで伝わるというのは、

このちまき作りが、相当多くの人々に支持されたからなのかな、

と思います。

 

 

 

 

古代中国の歴史って、面白いな、と思います。

 

立派な経歴を積み重ね、たくさんのお金を手に入れて長生きしても、

石をもって追われるような最期だった人もたくさんいますし、

 

若くして自死した人でも、めちゃくちゃ愛され、

神さまのように慕われている人もいます。

 

 

 

中国の歴史を学んでいて思うことは、

「生きることも、死ぬことも、めちゃくちゃ自由だ」

ということです。

 

 

 

日本人の『人間はこうあるべきだ』みたいな小さな思想は、

簡単に吹き飛ばされてしまうでしょう。

 

 

昨日ニュースになっていた、中国発の

「便秘解消のために肛門にウナギを入れたら、

腸壁を食い破られて、えらいことになったガーン

みたいな記事は、正直ドン引きですがあせる

 

 

政治的には自由度が皆無であっても、

思考の自由度の高さが、

こういう クソくだらないニュースにもなる一方で、

大きな悲しみを抱える者にとっては、

救いになることもあるかも知れないな、と思います。