ももちゃんと、二人三脚。

ももちゃんと、二人三脚。

エンジェルガイダンスカウンセラー・ヒプノセラピスト
葉月のブログです。
2012年5月22日に、2歳11か月で光の世界に帰った娘、
百花と一緒に “二人三脚” で
天使ママさんのお手伝いをしています。

セッション のご説明は→ こちら へ。 (現在、セッションは休止中です)



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神社の神さまへ、愛を込めてラブラブ

もう一つブログ書いてます。 → 神さまと、二人三脚。 へ。






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以前は、みなさんのブログを 熟読させていただいていたのですが、

最近、少し忙しくしており、

ブログの記事を すべて拝読することが難しくなってしまったため、

『いいね』 を押さずに、こっそりと 読ませていただいています。

 

何年もずっと読んで下さっている方、

親しくさせていただいている方、

イベントに参加して下さった方のブログは、

今でも ほぼ欠かさず読ませていただいておりますウインク

 

ブログをフォローして下さっている方、

いいねを押して下さっている方、

本当にありがとうございますm(_  _)mドキドキ

 

やることに疎漏が多くて、本当に申し訳ないですあせる

 

 

 

ドキドキ ドキドキ ドキドキ ドキドキ ドキドキ ドキドキ ドキドキ ドキドキ ドキドキ

 

 

さて。

 

私が 生まれて初めて 神さまとお話ししたのも、

生まれて初めて 神さまの気を感じたのも、

大阪の少彦名神社、という神社でしたニコニコ

 

5年くらい前のことでしょうか・・・

 

 

神さまは、本当にいらっしゃるのだ!

 

 

ということは、私にとっては かなりの衝撃で、

それ以後、昨年くらいまでは、ずっと、

時間の許す限り、神社めぐりをしていたように思います。

 

 

 

 神社めぐりを始めたばかりの頃は、

まだ うまくエネルギーや声を受け取ることが出来ない神社も

たくさんありました。

 

 

だからこそ、

はっきりとエネルギーを感じられる神社、

神さまの声を聞き取ることが出来る神社が、

ありがたくて 仕方ありませんでした。

 

 

 

特に、エネルギーや声を受け取りやすかったのは、

素戔嗚尊(すさのおのみこと)を お祀りする、

京都の八坂神社と、

スサノオさまの剣を お祀りしている、

奈良の石上神宮でした。

 

 

出雲に行ったときにも、

大国主さまは、たった一言

 

少彦名と仲良くしてくれよ。 以上。

 

 

と声をかけて下さっただけでした笑い泣き

 

 

(せめて、もう少しメッセージを・・・と思って、

おみくじを引いたら、なんと、

相方と仲睦まじく

とか、そんな意味のことが書かれていました・・・汗

 

 

もう、ずっこけそうになりましたが、

出雲大社の近くにある八重垣神社に参拝しますと、

ご祭神であるスサノオさまが、

慈父のように優しいエネルギーを注いで下さり、

温かく言葉をかけてくださいました。

 

 

 

ですので、私にとって スサノオさまは

まさにヒーロー。

 

とても尊敬する あこがれの神さまなんです照れキラキラ

 

 

 

 

これまでに ご紹介してきた 古事記の中では、

スサノオさまは どうしようもない神さまとして描かれていましたが、

 

今回は、ついにビックリマーク

そのスサノオさまが スーパーヒーローになる お話です爆  笑

 

 

ドキドキ ドキドキ ドキドキ ドキドキ ドキドキ ドキドキ ドキドキ ドキドキ ドキドキ

 

 

 

高天原(たかまがはら)から追い出されたスサノオは、

出雲の国の肥の川の上流の鳥髪(とりかみ)というところへ

降り立ちました。

 

そこで、川面を見て ぼんやりと過ごしていますと、

川上から お箸が流れてきました。

 

「箸が流れてくるということは、この川上に、

人が住んでいるのだな。」

 

少し人恋しくなっていたスサノオは、

川を上って行ったのでした。

 

 

しばらく上っていきますと、

大きな岩のそばに、三人の人影が見えました。

 

 

若い娘を真ん中に はさんで、

おじいさんとおばあさんが 泣き崩れているのでした。

 

 

「お前たちは 何者だ?」

 

スサノオが声をかけますと、

おじいさんが このように答えました。

 

 

「私は この国の神で、オオヤマツミの神の子、アシナヅチと申します。

妻はテナヅチ、娘はクシナダヒメと申します。」

 

 

スサノオは、さらに問いかけました。

 

「なぜ、そのように泣いているのだ?」

 

 

「はい・・・

じつは、私の娘は、元々は八人おりました。

ところが高志(こし)に住んでおりますヤマタノオロチが

毎年毎年やって来ては 娘を食べてしまい、

とうとうこの娘たった一人になってしまいました。

今年も、ヤマタノオロチがやって来る時期となりましたので、

娘との別れが悲しくて泣いております。」

 

 

おじいさんは、そう答えると、

また 泣き崩れてしまいました。

 

 

「一体、そのヤマタノオロチというのは、どういうやつなのだ?」

 

 

「その目は真っ赤に熟れたホオズキのようで、

体がひとつに頭が八つ、尾が八つあります。

その体には、コケやヒノキ、スギなどが生え、

その長さは 八つの谷と八つの峰を渡るほどもあり、

その腹は膿みただれて いつも血を流しております。」

 

 

そこでスサノオは、

 

「よく分かった・・・。

私が来たからには、もう心配はいらない。

ところで、この娘を 私にくれないか?」

 

と、おじいさんに申し出ました。

 

 

「恐れ多いことではありますが、

あなたは一体、どなたさまですか?」

 

 

「私は日の神である天照大御神の弟、スサノオだよ。

今、天から下ってきたところだ。」

 

 

アシナヅチとテナヅチの神は、驚いて、

 

「恐れ多いことです。

娘を差し上げましょう。」

 

と答えたのでした。

 

 

そこで、スサノオは 娘を櫛(くし)の姿に変えると、

自分の髪に挿しました。

 

 

そして、アシナヅチとテナヅチの神に、

このように申し付けました。

 

 

「強い酒を醸すのだ。

そして 垣根を巡らせ、そこに八つの門を作り、

門には八つの台を置き、

その台ごとに酒を入れた槽(おけ)をおき、

酒をなみなみと注いで、静かに待っているのだよ。」

 

 

アシナヅチとテナヅチが 言われた通りにして待っておりますと、

いよいよヤマタノオロチがやってきました。

 

 

それぞれの首が 八つの門に頭を突っ込み、

がぶがぶと 酒を飲み干し、

やがて いびきをかきながら、眠ってしまいました。

 

 

そこで、スサノオは長い剣をさっと抜き放ち、

次々と八つの首を切り落としてしまいました。

 

 

胴体を切り、そして 尾を切りつけたとき、

カチッという音がして、剣の先が欠けました。

 

不思議に思ったスサノオが、その尾を割いてみたところ、

鋭い大刀が出てきました。

 

スサノオは、この剣にアメノムラクモの剣という名前を付けて、

天照大御神に献上しました。

 

この剣が後に、クサナギの剣と呼ばれる剣です。

 

 

 

さて。

 

スサノオは、ヤマタノオロチを退治した後、

櫛に変えていた娘の姿を元に戻し、

宮を作るべき場所を探しました。

 

 

そして、ついにその場所を見つけたスサノオは、

こう言いました。

 

「ああ、私は この場所が とても気に入った!

ここに来ると私の気持ちは とてもすがすがしい。」

 

それで、この場所を須賀と呼ぶようになったのだとか。

 

 

八雲立つ

出雲八重垣 妻ごみに

八重垣つくる その八重垣を

 

 

(雲が むらがり立つ出雲の国に建てた、

私たちの御殿。

そのまわりに垣根のようにむらがり立つ雲よ。

愛する妻と私を包み込むように

立ち上る雲よ。)

 

 

そして、アシナヅチとテナヅチの神を

この御殿の長となるように申し付け、

その名前をイナダの宮主、スガノヤツツミの神、

とお付けになったそうです。

 

 

 

 

 

少し長いお話でしたがニコニコあせる

 

このお話を読んで、私が感じることは、

自分の中にあるエネルギーを抑え込んではいけない、

ということです。

 

 

スサノオさまは、天界では 強大なエネルギーを 持て余し、

ろくでもないことに用いたため、

高天原を大混乱に陥れてしまいましたが、

 

もし、スサノオさまが その行為を反省し、

委縮して 自分の力を封じてしまっていたとしたら、

出雲の国での大活躍は なかったのではないか?

と思います。

 

 

それぞれの神さまにも、人にも、

その神、その人だけに授かった力があると思います。

 

 

その力を封じてはいけないし、

また、その力は すべての人で異なっているので、

自分以外の誰かになろうとすることも、

結局は 自分の力を封じることに なってしまいます。

 

 

神社へ参拝させていただきますと、

よく神さまから、次のような言葉をかけていただきます。

 

 

常に、あなたは あなた自身であるように努めなさい。

 

 

 

 

自分の中にある どのようなエネルギーも、

かけがえのない自分自身の一部です。

 

それを 抑え込んだり 見ないふりをするのではなく、

今は ネガティブな方にしか向けられないのだとしても、

スサノオさまのように、

いつの日か そのエネルギーを、

この世のために使うことができるように。

 

自分自身を慈しみ、大切に育んでいけたらな・・・と思いますうさぎクッキー

 


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さて、廣瀬大社の次に向かったのは、

私の大好きな神社、龍田大社です照れドキドキ

 

 

 

 

こちらの神社にいらっしゃるのは、愉快な風の神さまです。

 

ほんわか~としていて、

あまり ぐいぐいと押していらっしゃる感じではありません。

 

以前に、こちらの神社で花見をしていますと、

優しい風を送ってくださって、

桜の花びらが とても美しく舞い続けていました。

 

その様子が、本当に幻想的でおねがい

 

 

綺麗だ、綺麗だ!

 

と、感動していたら、

神さまも とても嬉しそうに

 

 

桜もいいが 紅葉もいいぞ。

また、紅葉の季節においで。

 

 

と、言葉をかけて下さって。

 

 

 

 

 

 

桜の花を見て感動しているとき、

その人は 桜の世界に受け入れられているのだし、

 

紅葉の鮮やかさに時の経つのを忘れているとき、

その人は 紅葉の世界に招き入れられている。

 

その世界に招き入れられるということは、

その世界と つながっている、ということだ。

 

 

そのつながりを 遠ざけるのは、差別の心である。

 

つながりたいと感じるなら、その存在の在り方、

自分と その存在との違いを、差別しないことだよ。

 

相手の今の在り方を否定せず、そのままに愛しなさい。

 

 

 

 

大切な人を光の世界に見送りますと、

愛する人に 触れられない、声を聞けない、見えない、

そのことが本当につらいものです・・・

 

 

悲しむこと、怒りや後悔などの感情を持つことは、

私はとても自然なことと理解していますが、

 

ただ、あちらへ旅立たれた方に、

生前と同じようなコミュニケーションを求めることは、

もしかすると、今の相手の在り方を否定している

ということなのかも知れません。

 

 

特別な能力』を手に入れて、

あちらの方と コミュニケーションを取りたい、

と願う方が 最近 私の周りにも多くいらっしゃると感じますが、

 

見えない世界の人の姿を見る、

見えない世界の人の声を聞く、というのは、

 

以前のように 姿が見えることではないし、

以前のように 声が聞こえる、ということではないように思います。

 

(私の個人的な印象です)

 

 

 

その違いを受け入れることが、

つながっていくための 第一歩なのかな?という気がします。

 

 


テーマ:

最近、少し忙しくしておりまして、

みなさんのブログに 足を運べておりませんあせる

 

自分のブログも なかなか更新できない中、

見に来て下さった方には、

心から感謝していますニコニコドキドキ

 

ありがとうございますドキドキドキドキ

 

 

 

昨日は 久しぶりにJupiterさんと一緒に寺社めぐりをしてきました爆  笑

 

 

来春、Jupiterさんと二人でセミナーを開催する予定ですので、

そこに向けてのアドバイスを 神仏からいただきたいな~、

と思いまして。

 

 

 

 

まずは、法隆寺です。

 

 

 

 
 
 

 

 

法隆寺の仏さまが 教えて下さったのは、

 

 

自分の思想信条と異なる言葉が聞こえてきたときであっても、

また、始めは言葉の意味が分からなかったとしても、

とにかく、その内容を虚心坦懐に聞きなさい。

 

その場では、言葉を ありのままに受け取り、

全てを聞き終わった後、

その内容を よくよく吟味しなさい。

 

 

 

要は、

聞くときには 極力自分自身のフィルターを薄くして、

聞くということに集中することが大事であり、

 

また、そのメッセージをすべて聞き終えた後には、

その内容が 本当に神仏などの高次の存在から伝えられたものなのかどうか?

 

(神仏ではなく、エゴの声を聞いてはいないか?)

 

しっかりと吟味しなければならない、ということだと思いますウインク

 

 

 

 

メッセージを受け取るのに、正解不正解はない、

という言われ方をすることもありますが、

 

自分は、

『相手の発信したメッセージを正確に受け取ることが出来ているのか?』

 

を、確認するためには、

 

ときには、

正解・不正解があるようなメッセージを受け取る練習をする』

ことも必要だと思いますし、

 

 

また、自分がメッセージを受け取っている その相手が

『本当に高次の存在であるのか?

自分自身や 自分以外のエゴの声を聞いていないかどうか?』

 

そこを確認するためには、

 

ある程度、心理学や宗教・哲学について 学んでおいた方が良いと、

思いますウインク

 

 

チャネリングの精度を上げていくためには、やはり

そういうトレーニングや勉強が 欠かせないものだ、と、

私はそう思っています。

 

 

 

Jupiterさんと 一緒に神社やお寺へ参拝するのは、

そのトレーニングの絶好の機会なので!!

 

 

チャンスは逃しませんチュー

 

 

 

メッセージを受け取った後は、

カフェで しっかりと答え合わせ&フィードバックをしました爆  笑

 

 

 

 

そして、法隆寺へ行った後は 廣瀬大社へ。

 

こちらの神社の神さまは、

私には、とても おだやかで ものしずかな神さまのように

感じられました。

 

 

 

 

 

 

しかし、こちらの神社では、思わぬ落とし穴がガーン

 

 

 

参拝客が少なかったため、

血に飢えた蚊の大群の集中攻撃にあってしまい、

 

 

頭の中は

 

「かゆい かゆい かゆい かゆい」

 

という、雑念でいっぱいに笑い泣き

 

 

私もJupiterさんも、

ゆっくり、じっくりと集中して 神さまの声を聞くことが

できなくなってしまいましたあせる

 

 

なので、これまた久々に、おみくじを引いてみました。

 

 

第一番 大吉爆  笑
 
おみくじというのは、
吉か凶かよりも、内容の方が大事ですが。
 
 

 

 

特に、何かを言われたわけではないけれども、

神さまの愛を感じて とても うれしくなりました照れドキドキ

 

 

 

神社で神さまからのメッセージを受け取った後は、

結構 このおみくじで、答え合わせができますので、

もしよろしければ、

みなさんも、トレーニングの際の参考になさってくださいねウインク

 

 

私は、こちらの神社へは、また蚊がいなくなった頃に、

改めて参拝させていただこうと思います。

 

 

 

さて、神社めぐりは、あと少し 続きます。


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昨日、GEOに行って、DVDを借りてきましたニコニコ

 

『禅』 っていうDVDなんですけど。

 

特に何も考えずに借りてきたのですが、

私の大好きな道元さんのお話でしたチュードキドキ

 

 

 

道元さんは、曹洞宗を開かれた、鎌倉時代のお坊さんです。

 

 

私が初めて道元さんに出会ったのは、

高校生の終わり頃か 大学に入ったばかりの頃だったと思います。

 

当時は 道元さんって、あまりにもストイックすぎて、

どちらかというと 苦手な方だったんですあせる

 

 

ですが、2年程前に

メッセージを受け取らせていただいたお子さんが、

どうやら 道元さんに ご縁のある方だったようで、

 

そのお子さんとのやり取りの中で

道元さんの お考えを 学ばせていただくうちに、

道元さんのことが 大好きになってしまいました。

 

 

 

 

 

一生懸命に修行して

人は仏になる、あるいは迷いを捨てて悟りを得る、

と考えるのは、浅知恵だよ。

 

人は最初から仏なのだし、

迷いだって悟りのうちなのだから。

 

悟りを求める心、

悟りは迷いよりも尊いものだと考える、

その心だってエゴなのだから。

 

あれより これが尊いと思う、

それと比べてこれが大切だと思うのではなく、

あるものは あるものとして 拝んで欲しい。

 

それが仏の見方である。

 

 

―NHK100分de名著道元『正法眼蔵』より、編集し、引用―

 

 

まあ、非常にざっくりとには なりますが、

このような考えを お持ちであった方のようですおねがい

 

 

 

ちなみに、これは 決して

 

『人間は最初から仏だから、修行など不要だ』

という意味では ありませんよ。

 

 

仏だからこそ、修行をすることができるのだ。

 

仏の世界を目指して修行するのではない。

 

全ての世界は 仏の世界であり、

全ての行いは 修行であるのだ。

 

 

道元さんは 修行の大切さを強く訴えていらっしゃいます。

 

 

 

 

 

道元さんの考え方は、

いつも 私にアドバイスを下さる 神社の神さま方の考え方と

とてもよく似ている、と思います爆  笑ドキドキ

 

 

 

 

 ただ、神さま方は

 

「人生を楽しみなさい。 人生を苦行には するな。」

 

と おっしゃいます。

 

全ての行為は修行であるからこそ、それを 楽しんでやりなさい。

 

私は、そういう意味だと解釈しています。

 

 

 

 

今日は、DVDの話なので、

道元さんや神さま方の思想については 深く突っ込みませんが、

 

 

物語の中で、まさに今、子どもを亡くそうとしている母親が、

半狂乱で道元さんに助けを求めるというシーンがあります。

 

 

 

「困っている人を救うのが、あんたたちの仕事でしょ?

この子を助けてください!」

 

 

と・・・

 

 

(このエピソードは、元々は お釈迦さまの逸話で、

いつか 機会があれば 改めて記事にさせていただきたいと思っています)

 

 

そのとき、道元さんは

その母親に 一つの学びを与えたのですが、

決して上から目線で

 

「苦しいだろうけれども、これがあなたの学びなのだから。」

 

というような 教え方は なさらないのですね。

 

道元さんは、その亡くなった子どもを抱き抱えて、

ただ 涙を流されるのです。

 

道元さんは 苦しんでいる人々と いつだって同じ目線で。

 

 

 

このDVDの中では、

道元さんを 中村勘九郎さんが演じられているのですが、

 

もう、ほんっとうに!!

限りなく優しい道元さんを演じられています。

 

 

 

そして、私は きっと 道元さんは、勘九郎さんの演じられたような、

限りなく優しい方であっただろうと思っています。

 

 

 

限りない優しさを お持ちで、

いつだって 苦しんでいる人々と同じ目線に立つことができる

道元さんだったからこそ、

 

あのように厳しい教えを残すことができたのだろう、

という気がしています。

 

 

 

厳しい教えというのは、

限りなく大きな愛で包み込まれているからこそ、

人の心の深い部分に響くのかも知れませんね。

 

 

 

またいつの日か、

永平寺に 道元さんに会いに行きたいなぁ・・・照れ

 

 

 

 

 

昨日の台北。

 

大きな虹虹が見えた!!

 

と、友人が送ってくれましたラブ

 

 

 

 

 

 

 


テーマ:

私たち 子どもを見送った親にとっては、

とてもなじみ深いお経の一つに、

 

『般若心経』 があります。

 

 

私も大好きなお経ですが、

 

般若心経の中に出てくる 『』 という概念を、

宗教学者のひろさちやさんは、次のように説明されています。

 

 

仏教の理論では、わたしたちが物を見るとき、

物体のほうから送られてくる光を

こちらが受け身の立場で受け取っているのではありません。

 

人間のほうから何かを発して、

その何かが物体に当たって跳ね返ってくるものをキャッチして、

わたしたちは物を見ているのです。

 

 

ひろさちやさんは、この、人間のほうから発する『何か』に、

『ニンシキ波』という名前を付けました。

 

 

わたしたちが相手をやさしく、あたたかい眼で見れば、

相手はいい人に見えます。

 

憎しみの眼で見れば、憎たらしく見えます。

 

それは、わたしのほうから発するニンシキ波が

違っているからなのですね。

 

(中略)

 

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」-と言います。

 

こちらがびくびくしたニンシキ波を発すると、

幽霊が跳ね返ってくるのです。

 

こちらの発するニンシキ波が普通であれば、

そのときは普通に枯れ尾花が跳ね返ってきます。

 

しかし、“枯れ尾花” ということばを知らない人には、

単なる「雑草」しか跳ね返ってきません。

 

 

 

(中略)

 

 

このように、仏教では、ニンシキ波の違いによって

物は違って見えると考えています。

 

物は、誰が見てもこうであるといった、

絶対不変のあり方をしていないのです。

 

見る人が違えば、物は違って見えるのですから、

そこで仏教では、物は

―「空」―

だというのです。

 

 

(―ひろさちやの般若心経88講―より 引用)

 

 

 

つまりね、

ひろさちやさんが説明された、仏教の考え方ですと、

地獄、極楽 という場所があるというよりは、

 

それぞれの方が発するニンシキ波によって、

自分のいる場所が 地獄になったり 極楽になったりするのですね。

 

 

 

 

 

 

先日、

りりさんが 涙、涙の日 という記事の中で、

 

 

 

私は、地獄に落ちてもいいです(笑)
 
階層も低くてもいいです(笑)
 
(中略)
 
だから、低い階層に
行っても私は
幸せなんです♡笑

 

 

と書いていらっしゃいました。

 

 

その記事のコメントに

 

 

私もりりさんがじごくと言う所にいかれるのなら
ボランティアでついていきます。

 

 

と お書きになった天使ママさんも いらっしゃいました。

 

 

私は、この記事と コメントを読んで、

とても 心が温かくなったんですドキドキ

 

 

もちろん、他のみなさんのコメントも、本当に温かくて照れ黄色い花

 

 

みなさんの発するニンシキ波は、

とても優しく温かいものですから、

 

 

みなさんの行く先が たとえ どのような場所であっても、

そこはきっと 素晴らしい場所となることでしょうねおねがい

 

 

 

だから、結局のところ、私たち人間の『学び』というのは、

 

自分の発するニンシキ波を

どのように優しいものに変えていくか?

 

ということなのだと思います。

 

 

そして、

 

優しいニンシキ波を発し、

自分の発した優しさを 自分で享受するということ。

 

 

自分のいる場所を

自分自身で 極楽という場所に作り上げていく ということ。

 

 

それが、『成仏する』 ということなのではないかな?

 

と、私は思っています。

 

 

こちらの世界で 生きている人も、

あちらの世界へ帰っていった人も。

 

 

 

私は、般若心経とは、

そういうことを教えてくれる お経ではないかな?

と思っていますウインク

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