ももちゃんと、二人三脚。

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エンジェルガイダンスカウンセラー・ヒプノセラピスト
葉月のブログです。
2012年5月22日に、2歳11か月で光の世界に帰った娘、
百花と一緒に “二人三脚” で
天使ママさんのお手伝いをしています。


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神社の神さまへ、愛を込めてラブラブ


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早いもので、百花を見送って来月で10年になります。

 

昨日、お一人の天使ママさんと気持ちの変化の話をしました。

 

今私たちは、山へ行ったり神社へ行ったり花を見たりすることをとても楽しんでいます。

日常生活を楽しむということは、当時は考えられなかったことです。

 

あのころと比べて悲しみは減ったのだろうか?と考えると、悲しみは少しも減っていないような気がするけれど、

一方で、のたうち回るような苦しみと痛みは日々着実に減っていっているような気がします。

 

だけど、苦しみと痛みが減った分、無力感や虚無感みたいなものは却って増えたようにも感じます。

 

そして、そんなふうに感じてはいるけれど、本当に私の心の中で何かが減ったり増えたりしているのだろうか?

 

全然分かりません。

 

 

自分の心は自分のものであるはずなのに、コントロールすることもできなければ、変化を正確に把握することも、それを言葉で表現することもできません。

 

心って、本当に不思議なものですね。

 

 

 

 

心といえば、

先日も、心というものは不思議だ不思議だ・・・とか、そんなことを考えながら、大和八木にある入鹿(いるか)神社へ参拝して来ました。

 

 

 

 

追記:

ここより上の文章で書いた『心』とは主に感情のことであり、

ここから下の文章で書いた『想い』とは主に思考のことなので、多少意味合いが違っています。

ややこしくてすみませんm(_  _)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神社に着く数百メートル手前から、神さまの熱烈歓迎のエネルギーが伝わってきました。

 

神社へ行って神さまにここまで歓迎されたのは、正直初めてです。

 

ちなみに、こちらの神社の御祭神は乙巳の変で殺害された蘇我入鹿(そがのいるか)公です。

 

山背大兄王を死に追いやったとか、天皇家を軽んじて国政を牛耳ったとか、専横を極めたとか、日本史の教科書ではボロクソに書かれていますが、実際は決してそうではなかっただろう、

この人はものすごく賢くて正義感が強くて、立派な人だっただろう、と私は思っています。

 

 

 

 

入鹿さまは、こんなふうな意味のことをおっしゃっていました。

(すごく分かりにくくて難しい表現があったので、私なりに、多分こういうことなんだろうな、と噛み砕いた表現に書き換えています)

 

 

生きるということは、『何か』を発するということだ。

何かをしたり考えたりすると、それが魂に記録される。

 

その人が『何を願って』そのような行動をとったのか?

あるいは『何を恐れて』行動しなかったのか?

そのような『想い』の一つ一つがすべて魂に記録されていくのだ。

 

その自分自身の『想い』の向いている方向や大きさを自分自身で把握しておくことは、とても大切なことだ。

 

自分自身の想いを正確に把握できるとは限らないが、それでも自分以外にそれができる者など決して存在しないのだから。

ゆえに他者に自分の想いが『どのように評価されるか?』はまったく重要ではない。

 

生きている人間の困ったところは、そんな頼りない他者の評価を自分自身の評価よりも正しくて重要だと思い込んでしまうところかも知れないな。

 

人生全体では、膨大な量の『想い』を発することになる。

そのすべての『想いの記録』こそが、その人の生き様、魂の在り様を表す。

 

神仏や亡くなった人には、あなた方が人生で発してきたすべての『想いの記録』が正確に見えているよ。

 

見えているのだから、ごまかすことなどできるはずもない。

 

だから、神の評価は生きている人間の評価と違うのだ。

 

 

 

入鹿さまが教えて下さったのは、

一つには自分の心を理解することは難しいが、それでもそれは自分にしかできないことなのだから、絶対にやるべきだ、ということ。

 

そして、人が『何を成し遂げたか』ということよりも、『何を想って』それを成そうとしたのかの方が大事だ、ということ。

 

若くしてあちらの世界へ帰って行った方々や、

うちの百花のようにまだ幼いうちに帰ってしまった子たちでも、

こちらの世界にいる間に、何も想わなかったという人はいないでしょう。

 

たとえ産声を上げて生まれてこなかった命であっても、

お腹の中からだけであってもこちらの世界を感じてみたいとか、この親の元に生まれたいとか、

もちろんそれぞれのお子さんによってその『想い』は違っているのでしょうが、

何かしらの『想い』があったからこそ、こちらの世界に命を授かったのだと思います。

 

 

それだけのことか・・・と思われるかも知れないけれど、

もしかしたら それが私たちの魂にとっては何よりも大切なことなのではないか?

 

入鹿さまの話を聞いていて、そんなことを考えました。

 

 

 

そして、『神社で神さまに願いを叶えてもらうための参拝の仕方』みたいな本も売ってたりしますが、

実際のところ、神さまが見ているのは そんな上っ面の作法ではなく(作法が大切でないという意味ではありませんよ)、

その人がこれまでに どんな『想い』を発しながら生きてきたか?ということなんでしょうね。

 

 

 

入鹿さまのエネルギーは、強くて朗らかで、線がしっかりしていて、さらさらしているように感じられました。

触れていて とても心地の良いエネルギーです照れ

 

エネルギーを説明するのは難しいですが、要は、ものすごく頼りになるお兄さんという感じです。

 

 

 

近いうちに、絶対にまた入鹿さまに会いに行こうと思います。

 

 

 

前回の記事の続きです。

 

 

藤原宮跡から天香具山へ向かっています。

 

体中で春を満喫ラブ

 

 

香具山へ登る前に、ふもとの畝尾都多本(うねおつたもと)神社に参拝します。

 

 

 

 

 

こちらの神社の御祭神は、哭澤女神(なきさわめのかみ)です。

 

 

イザナミさまを亡くしたイザナギさまが泣いて泣いて、その涙から生まれた神さまだと言われています。

 

 

 

 

 

 

 

千年以上も前から、

大切な誰かを見送った人たちは この森で涙を流してきたのでしょう。

 

藤原宮のすぐそばに、別れの涙を流す場所があるというのは、

当時は現代よりずっと死が身近なものだったからかも知れません。

 

それでも愛する人を失う悲しみの大きさは、千年前、いえイザナギさまイザナミさまの時代から何も変わらないのでしょうね。

 

 

 

拝殿です。

拝殿の裏にご神体の井戸があります。

 

 

 

 

 

 

神社の片隅にある石。

 

個人的には こちらの方がご神体っぽいなぁ、と感じます。

 

 

 

 

 

では、いよいよ天香具山に登ります。

 

 

 

 

 

 

私たち以外、誰も登っていません。

 

 

スミレが咲いていました。

 

 

頂上には国常立(くにとこたち)神社があります。

 

こちらの神社の神さまは・・・・・・無言・・・

 

話をしてくれないというより、

神さまの目に私の存在自体が映っていないように感じます。

 

 

それぞれの神さまには役割分担があって、

こちらの神さまは、もしかしたら一人一人の人間と向き合うタイプのお仕事ではないのかも・・・?

国家守護とか・・・?

 

まあ、実際のところはよく分かりませんあせる

 

 

 

 

朝登った畝傍山が見えます。

 

 

天香具山には さまざまな伝説が残っていて、

伊予国風土記には、天から降ってきた山が地上に降りるときに二つに分かれ、そのうちの一つが伊予国の天山となり、もう一つが大和の天香具山になったと記載されています。

 

また香具山には、月を産んだとされる月の誕生石という大きな石があります。

 

月の誕生石、見に行きたかったのですが、主に体力的な理由で今回は行きませんでした。

 

また機会があれば行ってみようと思いますニコニコ

 

 

 

山を下りかけたところに天香山坐櫛眞命(あめのかぐやまにいますくしまのみこと)神社があります。

 

 

櫛眞命=天児屋根命とする説もあるそうですが、

これは、たぶん違っていると思います。

 

 

何より神さまのエネルギーが全然違うので、

「別の神さまですビックリマーク

と断言したいところですが、一応ふんわりと

「たぶん、違うと思います。」

くらいにしておきます爆  笑

 

 

ただ櫛眞命さまも、ものすごく優しい神さまです。

 

天児屋根さまは、気品あふれ出る・・・みたいな感じがするのですが、

こちらの櫛眞命さまは、もう少し好々爺感があるといいますか・・・

 

 

私と一緒に参拝したお二人のママさんに向かって、

 

「ここまで よう来たね。本当に あなたたちはいい子や、いい子や。」

 

と相好を崩して、頭をよしよしとなでていらっしゃるような、そんな感じの神さまでした。

 

 

ここにいるだけで、すごく幸せな気持ちになります照れ

 

誰かに愛を注いでもらうって、こんなに心が満たされることだったんだな・・・と思います。

 

 

双方が肉体を持った人間同士だと あんまり実感できないんですけど、

片方の魂が肉体という殻に入っていないと、愛情ってものすごくダイレクトに伝わるものなのかも知れないですね。

 

 

 

 

 

 

すっかりこちらの神社の神さまのファンになってしまったので、

これからはときどき参拝させていただこうと思いますラブ

 

 

 

耳成山に登る時間はなかったので、また次の機会にチャレンジしたいと思いますウインク

 

 

 

先週、たまたま都合が合った天使ママさん二人と一緒に大和三山へ行ってきました。

 

大和三山というのは、

畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)、天香具山(あめのかぐやま、あまのかぐやま)の三つの山のことですウインク

 

 

 

大和三山の前に、橿原神宮へ参拝します。

 

 

 

 

 

 

 

橿原神宮の神さまは、てきぱきとしていて とても親切な神さまだと感じます。

 

神さまご自身がとても親切な方なのですが、

他人に対して親切にしたいと願う人間のことが大好きな神さまだと思います。

 

誰かに親切にしたいと思う気持ちが たとえ空回りをしていて、人間本人は自分のことをうまくできないダメな奴だと思っていても、

神さまから見れば、かわいくてたまらない存在です。

 

そういう人に会ったとき、普段はきりっとした神さまの目尻が思いっきり下がるように感じます照れ

 

 

 

 

 

 

 

さて、いよいよ大和三山に登ります。

 

畝傍山は橿原神宮のすぐ裏手にあります。

 

 

ここが登山口です。

 

 

上りは道がとてもきれいに整備されています。

 

 

頂上へ到着。

標高199.2mです。

 

 

標高が低いので、山頂からの景色はこんな感じです。

普通に下の道を走っている車の一台一台がはっきり見えます。

 

 

 

 

苔とかシダがたくさん生えているので、嬉しくなって夢中で写真を撮りました爆  笑

 

 

 

 

夢中で苔の写真を撮る私・・・を隠し撮りしていたママさんスター

 

私、こんなに楽しそうにしてたんですね口笛

 

 

 

下りの道は、岩だらけでした。

 

 

 

 

山を下りたら、

藤原宮跡でソーシャルディスタンスを取ってお昼ご飯です。

左奥に見えているのは耳成山です。

 

 

 

ちなみに、大和三山の位置関係はこんな感じになりますウインク

 

 

 

 

 

休憩したら、次は天香具山に向かいます。

 

11月の寺社巡りで最後に参拝させていただいたのが、春日大社です。

 

 

 

 

おすすめの神社なので、メインは最後に・・・

と思っていたら到着が遅れてしまい、駆け足の参拝になってしまいました。

 

 

 

ちなみに、こちらの神社のおすすめポイントは、いろんなタイプの神さまと一度にお会いできる、ということですウインク

 

 

 

例えば、我が子を見送った悲しみや痛み、それ以外にも心の中に湧き上がってくるネガティブな感情、

そういったものに一番寄り添って下さるのは天児屋根(あめのこやね)さま(と、その奥さんの神さま)だな、と感じます。

 

 

我が子を見送った心の痛みだけではなくて、

「結局、自分はどんなに頑張っても報われないんだな・・・」

みたいな虚しい気持ちになった時にも、

 

 

そうじゃないよ。

あなたの頑張りを、私はいつも見ている。

あなたがどれほど頑張っているのか、私は全部知っているんだよ。

もしかしたらあなたの望む形では、結果は出ないのかも知れない。

それでも努力が報われないなんて、決してそんなことはないんだ。

だから大丈夫だ。

 

 

みたいな感じのことを言って下さったり、

また、こんなことはあまりないかも知れないですが、

誰かに対する嫉妬で黒い感情が湧き上がってきたときなどでも、どんな状態の方が参拝されたとしても、

目の前にいる人を絶対に否定なさらない神さまだな、と感じます。

 

 

昨日私は、ある方の「人が歪むには理由がある。」という文章を読み、本当にそうだなあ!と強く共感したのですが、

 

天児屋根さまは『人が歪んでいる』という その状態を見るのではなく、歪みの背景にある理由だけを見つめて下さり、

その歪みによって生じる心の痛みに全力で寄り添って下さる神さまなのかな、と感じます。

 

 

ですので、

「こんな自分なんかが神社へ参拝したら、神さまに怒られるかも知れない・・・」

とか、そんなふうに考えている方が もしいらっしゃいましたら、私はまず初めに天児屋根さまをお祀りしている神社へ行かれたらいいのではないか?と思いますウインク

 

 

「自分には神さまの声は聞こえないし、神社へ行っても何も感じられないよ。」

と思われるかも知れませんが、それでも、

「ああ、人生が苦しくてたまらないけれど、ここの神社の神さまは今、全力で自分に寄り添って下さっているのだな。」

と信じることで、また何とかしばらくこの世で踏ん張るエネルギーが湧いてくるかも知れません。

 

 

ところで、私の住んでいる場所のすぐ近くに天児屋根さまご夫妻が降臨なさったという伝説のある山があります。

 

その山のふもとには、もちろん天児屋根さまをお祀りする神社があります。

枚岡(ひらおか)神社という神社です。

 

大阪から近鉄奈良線を使って春日大社へ参拝される場合、途中の枚岡駅を降りてすぐのところに枚岡神社がありますので、

もしお時間にゆとりがあるようでしたら、ぜひこちらの神社へも参拝なさってくださいね。

 

 

 

次に、ある程度心の状態が安定していて、『何か始めたいことや、やり続けたいことがあるのだけれど、どうしても続かない』

というときにアドバイスを下さったり、背中を押して下さったりする武甕槌(たけみかづち)さまがいらっしゃいます。

 

 

これは、私自身が感じていることなのですが、

人間というのは自分が生きるのにちょうど必要なだけのエネルギープラスほんの少しの予備のエネルギーしか持っていません。

 

だから、『誰かのために何かをしたい』と考えて、予備のエネルギーを使って何かを始めることはできますが、

それを継続しようとすると、エネルギー切れを起こしてしまうことがあるように思います。

 

そういう時には、外部からエネルギーを補給する必要があります。

 

例えば、誰かに注目されたり、励ましてもらったり、褒められたりするのも良いエネルギー補給になります。

 

もし『自分は承認欲求が強いタイプだ』とか、普段はそうでもないんだけど『今は承認欲求が高まっている気がする』と感じている方がいらっしゃったら、

私は、その方の性格の問題ではなく、その方がエネルギー切れを起こしているのだと思います。

 

 

でも、他人ってなかなか自分のことを見てくれないし、褒めてもくれませんよねあせる

 

そういう時には、ぜひ武甕槌さまのところへ参拝なさってくださいウインク

 

武甕槌さまは、エネルギーに満ち溢れた神さまです。

 

神さまが『あなたがやろうとしていることは、なかなかいいね!私も応援したいな』と思われたなら、エネルギー補給をして下さるかも知れません。

 

拝殿の前に立った時に、自分のやりたいこと、やっていることを伝えて、武甕槌さまに励まされている自分(神さまに頭をぐりぐりされたり、背中をバーンと叩かれたりする様子?)をイメージしてみるといいかも知れませんね。

 

『かも知れません』ばかりで申し訳ありません。

 

私の経験上ですが、やろうとしていること、やっていることは、立派なこととか大それたことでなくても大丈夫ですビックリマーク

 

 

 

 

最後に経津主(ふつぬし)さまです。

私には、経津主さまのことを説明するのが一番難しく感じます。

 

 

例えばなのですが、ずっと日本に住んでいた方が海外に生活拠点を移されたとき、

「今まで常識だと思っていたことは、あくまでも『日本の常識』だったんだな。」

と気付いた、というような話を耳にすることがあります。

 

常識というか、人間は誰でも『〇〇はこうあるべき』や『△△はこうなのだ』という思い込みのフィルターを通して世界を見ています。


『日本の常識』というのも、多くの日本人が共通して持っているフィルターということですね。

 

 

経津主さまは、そういうフィルターをぶち破って下さる神さまだな、と感じます。

 

 

フィルターが厚ければ厚いほど、人間は生きづらくなるように思います。

 

ではフィルターが薄い人は生きやすいのか?というと、

生きやすさにはフィルター以外の要素もたくさんあると思うので、一概には言えませんが、

それでも『フィルターが厚いと、人は生きづらく感じる』というのは間違いないことだと思います。

 

ですので、私は経津主さまは生きづらさを減らす手助けをして下さる神さまだと思っています。

 

ただ、ずっと長年自分が正しいと思い込んでいたことをぶち破るには、それなりの出来事が必要でしょうし、

フィルターがぶ厚ければ分厚いほど、破るためには大きな揺さぶりが必要になると思います。

 

ですので、春日大社にお祀りされている四柱の神さまの中では、向き合うのに一番覚悟が必要な神さまかな、と思います。

 

 

 

ただ、思い込みのフィルターを破るというのは、神さまにとってもかなり大きなエネルギーを使う仕事だろうと感じます。

 

とんでもなく力の強い神さまですが、それでも決して神さまのエネルギーは無限ではありません。

 

その限りあるエネルギーをたくさん消費して人間のフィルターを破って下さるのは、神さまの人間への大きな愛情があってこそだと思います。

 

本当に素敵な神さまです照れ

 

 

もし、

「経津主さまにはお会いしたいけれど、フィルターを破る勇気はないよ・・・」

という方がいらっしゃいましたら、拝殿の前でその旨を伝えた上で

「経津主さまにお会いできてうれしいです。」

ということだけお伝えすればいいのではないかと思います。

 

 

寺社巡りの記事のはずが、神さま紹介記事(神社の紹介ですらない汗)となってしまいました。

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

(↑↑↑内容からして、

これは武甕槌さまからなのだろうな、と感じるおみくじでした爆  笑

 

 

 

 

神さまをどのように感じるか(あるいは感じないか)というのは、ものすごく個人差があるところだろうと思いますが、

私に感じられる春日大社の神さまは、こんな感じですウインク

 

 

みなさんのご参考になれば幸いです。

 

 

 

11月の寺社巡り、興福寺を出た後は お昼ご飯の時間ですニコニコ

 

 

 

 

私は、柿の葉寿司と三輪そうめんが付いてるランチメニューにしました。

 

とてもおいしくて大満足でしたが、

欲を言えば、柿の葉寿司をあと二つくらい食べたかったです!!

 

 

向かいのママさんが食べていらっしゃった、牛乳鍋も すごくおいしそうでしたよ

 

 

 

 

お腹がいっぱいになったところで、東大寺へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
南大門の金剛力士像は、いつ見ても格好いいです
 
 
 
 
 

大仏殿周辺はものすごい人混みでした。

 

コロナの感染者が激減している時期ではありましたが、

できるだけコロナに感染するリスクは減らしておこう という判断で、

大仏殿はスルーすることにして、代わりに二月堂と三月堂(法華堂)へ参拝しました。

 

 

大仏殿にいらっしゃる大仏さまのエネルギーは、とても温かく、そして舞い散る花ふぶきのようで、ものすごく癒されますよ。

 

 

今回は残念ながら参拝することができなかったのですが、

もしまたみなさんとご一緒できる機会があれば、ぜひともご案内させていただきたいな・・・と思います。

 

 

 

 

 

image

 

 

 

 

二月堂からの眺め。

 

左上に ちょこっとだけ見えているのが大仏殿の屋根です。

 

 

 

 

 

 

・・・じつはみなさんとお話しするのに夢中で、これだけしか写真を撮っていなかったので、

ここから下は私が先月一人で参拝した時の写真になりますあせる

 

 

 

 

 

お水取りの準備が着々と進んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、大阪や奈良に住む人間にとって、

春を告げる行事と言えば やはり、ここ東大寺 二月堂で行われる“お水取り” でしょう。

 

 

お水取りの正式名称は“修二会” と言います。

 

本来は、修二会の最中 井戸から水を汲み上げ、観音さまにお供えする儀式のことをお水取りというのだそうですが、今ではすっかり

 

修二会=お水取り

 

という認識になっています。

 

 

 

 

お水取りは、こんな行事です。

 

 

 

今年も現在、修二会が行なわれていますウインク

 

 

 

 

 

 

 

このお水取りに関して伝わっている伝説が、ちょっとおもしろいです

 

 

 

 

昔々、修二会を行う際に、

実忠和尚という方が 全国の神さま方に東大寺に集まっていただけるようにお願いをしました。

 

大勢の神さま方が続々と お集まりになる中、

若狭の国の遠敷(おにう)明神という神さまだけが いらっしゃらなかったのだそうです。

 

・・・で、修二会も終盤に差し掛かったころ、ようやく遠敷明神がお見えになったのですが、

 

集合時間に遅れてきた理由が!!

 

 

「すまんビックリマーク つい魚釣りに夢中になって、来るのが遅くなってしまったんやえーん

お詫びに、観音さまにお供えする水はこちらで用意させてもらうから許してなビックリマーク

 

 

ということで、遠敷明神さまが二月堂のほとりに水を湧き出させて下さって、そのお水を観音さまに奉ったのだそうです。

 

 

うっかりミスの多い私としては、何だかとっても親近感を覚えるエピソードです。

 

 

二月堂の裏手には、この遠敷明神をお祀りした遠敷神社もあるんですよウインク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは不空羂索観音像をお祀りしている三月堂(法華堂)です。

 

仏像の向かいに大きな畳敷きの椅子があって、ママさんたちと一緒にここに座って、ぼぅっと仏さまを眺めていました。

 

 

羂索を用いて、あらゆる衆生を救って下さるという仏さまです。

 

 

 

もちろん、

 

「苦しいから助けて下さい!」

「私は、こういう助けが欲しいです!」

 

と、しっかり主張できる人もいると思いますが、

中には 自分からは助けを求めることができない人、あるいは自分にはどんな助けが必要なのか分からない人も、たくさんいらっしゃると思うんです。

 

興福寺の千手観音さまにしても、こちらの不空羂索観音さまにしても、

そういう方に対して、どんどん観音さまの方から手を伸ばして下さったり、羂索で引き上げて下さったりするのかも知れないな、と思います。

 

 

 

観音さまからは圧倒的な救済パワーが溢れ出ているのに、

なぜか三月堂全体では、まったりほっこりした柔らかーい優しーいエネルギーになっています。

 

 

私たち親も ここでは妙に和んで のんびりと過ごしてしまったのですが、

子どもたちも一緒に、緩~い雰囲気でくつろいでくれていたんじゃないかな?と思います。

 

 

ちょっとのんびりし過ぎて、その後のスケジュールが駆け足になってしまいましたあせる

 

 

 

 

 

寺社巡りの記事は、次で最後となりますニコニコ