ももちゃんと、二人三脚。

ももちゃんと、二人三脚。

エンジェルガイダンスカウンセラー・ヒプノセラピスト
葉月のブログです。
2012年5月22日に、2歳11か月で光の世界に帰った娘、
百花と一緒に “二人三脚” で
天使ママさんのお手伝いをしています。


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前回の記事の続きです。

 

この記事は、映画『ライオン少年』のネタバレを含みますのでご注意くださいね。

 

 

 

この映画の主人公である阿娟(アチェン)は、貧しい少年です。

体も貧弱で、獅子舞に向いているとはいいがたいです。

 

 

そんな阿娟がひたむきに獅子舞に向き合う姿を見て、仲間たちや師匠の生き方も大きく変化していきます。

 

人生に対する緩やかな諦めの中で、怠惰に生きていた仲間たちは、目標に向かって友と心を一つにする喜びを知り、

店の客や妻に罵倒されながら、うつむき加減にぼんやりと生きていた師匠は大好きな獅子舞を子どもたちに教える喜びを知ります。

 

生活のために夫に獅子舞をやめさせた師匠の奥さんも、かつてないほど生き生きとして幸せそうな師匠の姿を見て、自分の夫に対する接し方を省みることになります。

 

 

阿娟からお年玉をカツアゲして、阿娟が獅子舞を始めるきっかけを作ったライバルチームの青年も、阿娟が悲しみを抱えながら出稼ぎに向かう様子を見て、複雑な顔をしていました。

 

その後、青年は阿娟が足を痛めていることに気付いた際、阿娟の代役を務めることを申し出たり、阿娟が登ろうとしている塔の支柱が外れた時には、すぐに池に飛び込んで支柱を立て直そうとしたりしていたので、彼も彼なりにさまざまなことを考えたのでしょう。

 

 

 阿娟と関わることを通じて、物語中の多くの人々の生きる姿勢が変化していったのです。



 

 

他人を変えることはできない。

できるのは自分を変えることだけである。

 

という言葉があります。

 

ですが私は、自分自身を変えることもとても難しいものだと思います。

 

 


むしろ自分も他人も『変える』というよりは、何かのきっかけがあって自然と『変わっていく』ものなのではないでしょうか?

 

 

そして私は、そういう人々がより良い方向に変わっていく『きっかけを与える』ことこそが、神仏の起こす『奇跡』なのだと思います。

 

 

 

 

 

阿娟が出稼ぎに出た後、師匠や仲間たちが必死にお金をかき集めて決勝戦に出場することを決めたのは、

「テレビで生中継される獅子舞大会を阿娟が見てくれるかも知れない」

という、ほんのわずかな可能性を信じてのことでした。


少しでも阿娟の力になりたい。


そう考えた彼らは、かき集めたお金の一部を阿娟の家族に手渡し、遠慮して断られる前に脱兎の如く走り去りました。


 

 

師匠や仲間たちを取り巻く状況は何一つ変わっていないのだけれど、彼らの意識はそのように大きく変化していったのです。

 

 



 

私は自分の損得のためではなく誰かの幸せを願って行動することの喜びを知った人と、知らないままの人の人生の満足度はまったく異なると思います。

 



阿娟の父親が意識を取り戻すという『奇跡』が(おそらくは)起こらなかったように、仲間たちや師匠も急に裕福になったりすることはないでしょう。


これまでと同じように、日々は過ぎて行くのでしょう。



ですが、誰かのために行動する喜びを知った彼らは、人生を終えるときに


「ああ、とても大変だったけれど、よい人生だったな。」


と満足できるような気がするのです。




過酷な人生を生きた阿娟や彼の家族は、もしかしたら人生の終わりにも『良い人生だった』とは思えないかも知れません。


けれどもあちらの世界へ帰ってから、自分がどれだけ多くの人々の心に影響を与えていたかに気付いた時に、やはり


「苦しみばかりの人生だと思っていたけれど、自分の人生にはこんな素晴らしい面もあったんだな。この人生を生きて良かったな。」


と思えるような気がするのです。




 

ただそのようなことを言えるのは、私がこの物語の登場人物ではなく、映画の観客として第三者の立場で見ているからにすぎません。



自分が苦しみの中でもがいている時、あるいは自分の周囲の人が苦しんでいるのを間近で見ている時に、そんなふうに客観的に物事を見ることはとても難しいです。



だからこそ、客観的な立場にいる神仏の視点が重要なのだと思います。

 


神仏が何か特別な『奇跡(物語の中で阿娟が願ったような奇跡)』を起こして人を助けてくれることももちろんあるのでしょうが、それはそう頻繁に起こることでもないと思います。


ただそれは『神仏が何もしてくれない』からではなく、『神仏なんて本当は存在しない』からでもなく、

基本的に神仏というのは、私たちがより良く生きるための気付きという『奇跡』を与え、そしてこの世界の当事者であるがゆえに客観的に物事を見られない私たちに対して客観的な立場からアドバイスを送る存在だからなのだろう、と私は理解しています。



そのように考えた時、この獅子舞の物語はたくさんの奇跡に溢れた物語だったということができますし、

それと同様に私たちの生きるこの世界もまた、奇跡に溢れた世界だということに気付くことができるように思います。


 

ちょこちょこと暑い日もありましたが、それでも11月に入ってだいぶ涼しくなってきましたね。

 

今年の夏はやたらと暑くて通勤以外ではほとんど家から出られなかった反動で、涼しくなってからは頻繁に寺社巡りをしています。

 

 

そちらの記事も書きたいのですが、今回は映画の話を通して、‟奇跡”について書こうと思います。

 

 

奇跡について考えることは『神仏とはどういう存在なのか?』について考えることにもつながりますので、お時間とご興味のある方は、私の長話にお付き合いくださったらとても嬉しいですウインク

 

 

 

 

 

一昨日、Amazonで予約注文していた『ライオン少年』という映画のBlu-rayが届いたので、さっそく観てみました。

 

 

 

 

 

 

 

中国南部独特の、まるで格闘技のように激しい獅子舞をテーマにしたアニメ映画ですウインク

 

この記事には映画のネタバレがありますので、これからこの映画を観る予定のある方は、ご注意くださいね。

 

 

 

物語は、中国の片田舎で暮らしている貧しくて痩せっぽちの少年阿娟(アチェン)が、一人の少女との出会いをきっかけに獅子舞の舞い手になることを決意するところから始まります。

 

獅子舞チームを結成する仲間や師匠になってくれる人を探し出し、何だかんだあるものの(←雑!)予選会を突破し、広州で開催される本戦への出場権を得る阿娟ですが、

出稼ぎに行っていた父親が事故で意識不明になって働けなくなり、阿娟は獅子舞を諦めて父親の代わりに出稼ぎに出なければならなくなってしまいました。

 

 

物語の中には、阿娟が仏さまに祈りをささげるシーンが折に触れ出てきます。

 

 

「父親が怪我をしたのは僕の祈り方が悪かったからだ。」

 

「神仏は本当にいるのかな?

いるならどうしてこんなことになるんだろう?

どうすれば奇跡は起きるんだろうか?」

 

 

と涙を流す場面は、共感される方もいらっしゃるかも知れませんね。

 

 

そして獅子舞への想いを封印した阿娟が、ある日街を歩いていると、ちょうどそこで自分が出場するはずだった獅子舞大会が開催されており、かつての仲間や師匠が出場していることに気付きます。

 

仲間たちのピンチを見て、大会に飛び入り参加した阿娟は見事に決勝進出を決めます。

 

そして決勝戦で、阿娟はこれまで誰も成功させたことのない大技にチャレンジします。

 

奇跡のような大技を成功させれば、父親の意識が戻るというもう一つの奇跡が起こるかも知れない。

 

そんな奇跡が起こることを願って阿娟が技にチャレンジし、完ぺきな形ではないものの、何とか成功させ、父親の手がほんのわずかに動いたところで映画は幕を閉じます。

 

 


 

結局、阿娟の父親の意識は回復したのだろうか?とか、

技は一応成功したように思えるけれど、阿娟は池に転落してしまったので失格になったりしていないだろうか?

 

とかそんなことが気になりつつ、エンドロールを眺めていたら、数秒だけ映画の続きのような場面が挿入されていました。

 

 

阿娟はどこか(おそらく仕事)へ出かけていくところで、部屋のベッド脇の壁には阿娟が幼い頃の家族写真と獅子舞大会で優勝したことを窺わせる写真が貼ってある…という場面です。


窓から上海タワーが見えているので、阿娟がいるのは田舎の実家ではなく出稼ぎ先ですね。


 

そこから、阿娟たちは失格にならずに見事に獅子舞大会で優勝したことと、父親はいまだに仕事に行ける状況にはないことが推測されます。

 

 

 

そのことから、阿娟が願ったような奇跡(=父親の意識が回復する)は起こらなかったのかな、と思います。

 

 

 

だけど、本当に奇跡が起こらなかったのか?と考えると、私はこの物語の中でたくさんの奇跡が起こっていたように思うのです。

 

 

 

 

次の記事に続きます。

 

昨日は神戸方面の参拝ツアーでした。

 

参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。

 

 

 

昨日はあまり写真を撮ることができなかったので、この記事の写真は主にツアーの二週間ほど前に下見に行った時のものです。

下見に付き合ってくださったママさんも、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

最初に参拝させていただいたのは、高速神戸駅の出口を出てすぐのところにある湊川神社です。

 

御祭神は楠木正成公です。

 

正成さまは穏やかかつ爽やかで、素敵な神さまだなあ!と感じます。

 

今回は神社から神社への移動に時間がかかる参拝ツアーだったため、神さまとゆっくりとお話しすることはできなかったのですが、

下見に行った際にこんな感じの意味のことをおっしゃっていました。

 

 

心がざわざわするのは、そこにあなたにとっての学びがあるという印だよ。

 

だから、『心がざわつくのは悪いことだ。平常心であらねば!』と無理矢理心を鎮めようとするのではなく、自分の学びとは一体何であるのか?

それをしっかり見極めようとする姿勢が大切だ。

 

そういう姿勢で生きるなら、心がざわつくのは決して悪いことではないと思う。

 

逆に、心がどれほど凪いでいたとしても、その凪いだ心で物事を正しく見ようという姿勢を持たないのであれば、その凪に意味はない。

 

ざわつきにも凪にも、それ自体に意味はないのだ。

 

まあ、どちらもうまく活用することだな。

 

 

 

 

 

続いて参拝させていただくのは、三国志演義でおなじみの関羽を祀る関帝廟です。

 

湊川神社から関帝廟へは阪急電車で移動するつもりだったのですが、地元の天使ママさんから

 

「湊川神社から関帝廟へは歩いて行けますよ!」

 

と教えていただいたので、みんなでおしゃべりしながら徒歩で関帝廟へ移動しました。

 

 

 



 

今回の参拝ツアーで一番楽しそうにされていたのは、こちらの神さま方でした照れ

 

参拝ツアーでは、参加してくださったみなさんに楽しんでいただくことが何より大切だと考えていますが、こうして参拝させていただいた先の神さまに楽しんでいただけるのも本当に嬉しいことです。

 

 

 

ここで、みんなでおみくじを引きました。

 

日本の神社とはおみくじを引く際の手順が違っていまして、おみくじを引いた後に、ポエと呼ばれる巨大な柿ピーのような木片を二つ転がして、そのおみくじで正しいのかどうか?神さまに最終確認をします。

 

ポエには表面と裏面があり、ポエの片方が表、片方が裏ならば、「そのおみくじで良し」の意味、

両方とも表、もしくは両方とも裏が出た場合は「もう一度、おみくじを引きなおしなさい」の意味となります。

 

 

おみくじは自分で箱にお金(200円)を入れて、自分で棚から番号のおみくじを一枚取り出します。

 

 

 

 

 

え?中国語(漢詩)読めないよ・・・と思われた方も大丈夫!

 

 

 

 

 

裏面に日本語訳が書かれています。

 

 

 

上差しが下見の際に引いたおみくじで、下下差しは今回引いたおみくじです。

 

 

imageimage

 

 

 

上吉というのは、日本のおみくじにはありませんね。

 

上吉と大吉ではどちらがいいんでしょうね?

 

ちなみに、この後参拝した西宮神社ではを引きましたよ。

 

なので、いつも書いていることなのですが、おみくじは吉凶ではなく、そこに書かれているメッセージの内容を大切にしてくださいねウインク

 

 

私が言われているのは、どちらのおみくじも同じことで

「お前は少彦名命に、本当に!めちゃくちゃ助けられてるんだぞ‼️ だから、ちゃんと彼の言うことを聞きなさい。」

 ということですねてへぺろ

 



最後に参拝させていただくのは西宮神社です。

 

 

百花を見送って少し時間が経った頃、

心を突き刺すような激しい痛みではなく、

「娘のいないこの世界で、私はなぜ生きているんだろう・・・」

みたいな気持ちになっていたあの頃、

こちらの神社の神さまにどれほど慰められ、励まされたか分かりません。

 

だから、コロナ禍が明けて参拝ツアーを再開するときには、まずこちらの神社へ天使ママさんたちをご案内させていただけたら・・・と思っていました。

 

 

参加者さん宛のメッセージも、こちらの神社の神さまからいただきました。

 

 

ちなみに、昨日はこんな感じのことをおっしゃっていました。

 

 

東西南北、いずれの方角にも道は伸びている。

 

どの道を行ってもいいが、道を外れないようにしなさい。

 

道を外れると、“労多くして功少なし“だよ。

 






 最後に、お土産を持って来てくださった参加者さんもいらっしゃって、ありがとうございました❗️


桃🍑柄のかわいいタオル、大切に使わせていただきますね爆笑飛び出すハート


そしてたくさんのお菓子やコーヒーは、さっそくいただきました❗️

とってもおいしかったです照れ



 

また、ときどき参拝ツアーを企画しようと思っておりますので、今回の記事で興味を持ってくださった方がいらっしゃいましたら、ぜひ次回ご参加くださいねウインク

 

おはようございますニコニコ

 

 

神社参拝ツアーですが、満席となりましたので、これで受付を終了させていただきます。

 

本当にありがたいことに、予想していたよりも多くの方からご連絡をいただきました。

 

参拝ツアーを複数回に分けるか、みんなでわいわいと参拝させていただくか?はこれから考えたいと思いますが、現時点までにご連絡下さった方は、みなさんご参加いただけますドキドキ

 

詳しい連絡は、後ほどさせていただきますね。

 

 

取り急ぎ、お礼申し上げます。

昨日、下あごの親知らずを抜歯しました。

 

 

前回の診療時にレントゲンを撮ったら、歯茎の中に横向きに埋まっている親知らずの根元が下あごの神経に接しているとのことで、急きょCTも撮ることになりました。

 

通常どういう抜き方をするのか?あまり良くは知らないのですが、普通に抜くと神経を傷つける可能性があるとかで、歯茎を切開し歯の頭を破砕してスペースを作り、下あごの骨に穴をあけてそこから棒(?!)を差し込み、作ったスペースに棒で歯をスライドさせて引っこ抜くとか、そんな感じの説明がありました(めちゃ、うろ覚えですがあせる

 

 

 

抜歯の前夜は、そわそわして心が落ち着かなかったので、少彦名さんに

 

「ね、ね、何事もなくスムーズに終わりますよね?」

 

と尋ねたところ

 

・・・目を閉じて、心を無にして耐えろ。

 

なんて言われてしまって

 

「こ、怖~!ガーン 聞かんかったら良かった・・・」

 

と、大後悔しました。

(『大丈夫、心配しなくてもすぐに終わるよ』みたいな返答を期待していました)

 

 

 

でも百花は入院中、あの小さな体で、大きな手術に何度も耐えたんだもんな・・・

それを思い出すと、ももちゃんがあんなに頑張ったんだから、私も頑張らないとな。と自然とそう思えて、心穏やかになりましたウインク

 

今回のこともそうですけど、日常生活の中で、百花に励まされることは多いです。

 

 

 

なので、腹をくくって手術に臨めたのですが、実際に受けてみると手術というより

「あれ?口の中で土木工事でも行われてるのかな?」

て感じで・・・

 

 

先生「はーい、今から振動させま~す。」

ぎゅい~ん、ぎゅい~ん

ゴリゴリゴリゴリ・・・メリメリッ、バキバキッ!

 

何やら焦げくさい臭いがするし、ほっぺたは引っ張られるし、あごは押さえつけられたり引っ張られたりで、体を持っていかれないように必死で体中の筋肉に力を入れて耐えないといけないし。

 

 

しかも、なかなか抜けなくて、

 

ぎゅい~ん、ぎゅい~ん

ゴリゴリゴリゴリ・・・バキッグキッ!

先生「うーん・・・。もう一回振動させま~す。」

 

この流れを10回ぐらい繰り返しました。

 

 

 

もう、先生の「うーん・・・」を聞くのが怖くて怖くて仕方がない笑い泣き

 

え、もしかして苦戦されてる感じですか?

長引きそうですか?

麻酔途中で切れたりしませんよね?

 

と、ずっとビクビクしていました。

 

 

 

当初、2泊3日で入院して全身麻酔でって提案されていたのを断って、部分麻酔の日帰りにしてもらったんですけど、あの日の私に教えたい!

 

「先生の『うーん』にメンタルやられるから、全身麻酔で寝てるうちに終わらせてもらった方がいいよ!」

 

えーん

 

 

 

すっかり疲労困憊して、ヨロヨロしながら病院を後にしたのですが、帰りに母が運転する車に乗り、放心しながら外を見ていたら、病院を出てすぐのコンビニの駐車場に、桃と桃太郎のマークのついたトラックが止まっているのが見えました。

 

「ああ!ももちゃん、応援してくれてたんやな!」

って、その瞬間、抜歯でつらかったことなんかは全部吹っ飛んでしまって、すごくほのぼのした気持ちで帰宅することができました爆  笑音譜

 

 

 

全身麻酔なら2本同時に抜いてもらえたみたいなんですが、部分麻酔の日帰りだと1本ずつになるようで、2か月後にもう片方の親知らずも抜かないといけなくて気が重いのですが、その反面、きっとまたももちゃんが見守って応援してくれるのだろうと思うと、ウキウキしてきます照れ