最近、急激に人気を得た「祓い師」さんとの対談動画がありました(今もありますね)。少し前の記事に、「このお爺さんのご意見も参考に」と、当ブログにもリンクした覚えがあります。
この動画、初期の頃は、対談の雰囲気が非常に自然で、誘導的意思が感じられず、加えて、お爺さんの容貌が、あたかも山中に暮らす仙人のようであったことから不思議な安心感がありました。
数か月で、十数万名の視聴者登録を獲得されたとのこと。それだけ、今の時期を過ごす視聴者から共感を得られる配信内容であり、時代に求められる動画なのだな~と思って、時々拝見していました。(途中から違和感を感じて視聴を止めましたが(笑))
そして、先日、この動画配信のパターンが終了し、メンバーシップに移行したんですよね。月額3,000円で動画視聴が可能となり、その他の特典も多々あるようです。単純に、現在のチャンネル登録者数が10万名として、その0.1%がメンバー登録をすれば、月収3千万円ですね? そこまでいかなくても、0.01%が登録するとして、300万円/月です。
そうなってくると、「今までの配信は集客目的だったんだ」と言われ、さらに、「(このお爺さんが海外でやっていた)ビジネスは、こんなのだよ~」と紹介されることになるんですよね。ご丁寧に、過去の写真までアップされて…。
見方によっては、集客目的という分析も出来るかもしれず、有名になれば過去を穿られることもあると思います。しかし、何かを運営している側からすれば、「本当に、利用者は、それぞれに勝手なことばかり言うよね…」と、お客さんに対して呆れてしまう場合だってあります。
そこで、「当人の波動がそんな様だから同じような客を引き寄せたのだ」とか、「相手は自分の鏡だから内省あるのみ」とか思うにしても、「ええかげんにせぇよ!」というプチ切れ(ブチ切れではなく)の本音が、運営者側に生じるのも自然な流れではないかと思います。
この祓い師対談動画が、最初から収益化を目的としたものであったのか、それとも、収益せずにはいられない状況となったのか、そんなことは当事者にしか分からず、いろいろな憶測やご意見があることと思います。
しかし、収益化自体に焦点を当てて議論することは表面的、即物的であると感じます。そんなことよりも、収益化が、物事の解決をはかる拠り所になっていたり、あるいは、発展や進化の方法という状況を発生させていることに、現在の社会システム(資本主義社会)の虚しさを感じてしまいます。
なんでも、このお爺さんは、個体が持つ「愛の度数」をチェックしてくださるのだとか…。
ほぅ・・・それは、大変興味深い。
ありすサロンの壁には、「看護は愛」と書かれた色紙が飾られています。某神社で御朱印を書いている友人の書字で、文言の出所は、先輩教授(医師)の台詞です。
そんな記憶の流れから、「愛」および「度数」という言葉に反応してしまい、「ほ~ぉ…。愛(と名付けられたもの)に(人間ごときが)度数を付けられるのか? 他者のそれを測定するとは大胆なご企画! 恐れ入りました」と感じた次第です。
しかし、これまでの毎日の動画配信により、今やすっかり、このお爺さんファンとなった視聴者にとっては、「至福のジャッジ」になるのだろうと思います。
…というのは、ついでに、もうひとつ昔話を聞いていただくとわかると思うのですが、済州島で、T教会が日本女性信者を集めた研修会に参加したことがあります。
当時の参加費用は、確か5日間くらいのツアー研修で100万円だったか150万円だったか?(詳細は忘れましたが、参加費は、「献金」という名称だったと思います。)
それで、済州島に連れていかれました。
ありすは、信者ではなかったのですが、誰かが参加費を支払ってくれて、「貴女は幹部候補生になれる」と言われ、当時、先方は、小娘の洗脳に力を注いでいたのかと思います。
そして、その研修会場で見たものは…。
何百名という日本女性が講堂のような場所に集められ、教祖がその中央をゆっくりと歩いて来るのです。信者達は、教祖の広げられた手に触れると「原罪」が除去されると信じていて、我こそは! と歩道側に押し寄せるのです。
「ありすさん! ボーっとしてたらダメ! 貴女も触っていただかないと! 原罪が無くなるのよ!」と、付き添いの女性(←こういうのが居ました)に、背中を突き飛ばされて教祖の前に転がるようにつんのめった瞬間、教祖が何をしたと思いますか?
なんと、ありすの頭に伸ばしかけた手を、サッと引っ込めたんですよ!
それを見ていた付き添い女性曰く、
「あっら~…貴女って…。原罪が深くていらっしゃるのね。あそこまで行っておきながら、Moon(←教祖の英語名)が触らないなんて、何と罪深いのかしら。恐ろしいわぁ。」
とのことで、
「そうなの?! やっぱり、あたし、ダミアン」
…と、若き乙女(23歳、いや、26歳頃だった?)は、途方に暮れたものでした。
あ、こっちか?
あ、ちなみにですね、この宗教団体が言うところの「原罪」とは、アダムとイブ(エバ)がリンゴを食べたことが、つまり、兄妹間での姦淫の比喩であり、それによって、人類には性欲という罪が生じたという物語だったように思います。(ん? ちがったかな? 忘れてしまったので、正確な情報は、お近くに在住のT教会信者さんにお尋ねください。)
この兄妹間での姦淫こそが、エデンの園を追われた主要因ということが、教祖執筆の『統一原理』という教本にあって、これが、幼き日に読んだ『デイモスの花嫁』という、あしべゆうほさんの漫画作品と被るわけですよ。美奈子と書いて、「ビーナス」と読む。あれは、なかなかの名作ですよね?
それで、話がドンドン逸れて、何を言いたかったのかわからなくなってきましたよね? こんな調子の講義だったから、学生達から、「今日も『ありすイズム』にやられた(=うっかり熱心に聴いてしまった)」と言われていたのかもしれませんね。
あ、そうそう、思い出した。爺さんの有難さの話だった。
(ちがうだろ。洗脳の話だろ? 違うちがう、動画の話!)
ですから、毎日配信される動画を熱心に見ていると、そのうち、配信を心待ちにする体制となり、実際には会ったこともない相手をよく知っている気分となり、親近感が湧いてきます。これが、トシちゃんに入れ込んでしまう心理ですよね?
あ…たのきんトリオのトシちゃん&マッチね、もちろん。
もうひとりは、誰だった? やっくん?(ちがいます)
その「よく知っているトシちゃん」が、自分に値段を付けてくれるなんて、これはもう、「ハッとしてグッド!」で、信者にとっては大変光栄なことに他ならず、他者を押し退けてでも最前列に出て、ご栄光に肖(あやか)りたいと願ってしまうものですよね~。
…ということで、時間になりましたので、本日の講義を終わります。