それから自然と週に何回かはプールに足を運ぶようになっていった。
こういうときで人見知りって発揮するもんだなぁってつくづく思う。
あれから数回由依さんの姿を目にすることはあってもああやって会話したのは最初のうちだけ。
あのときの衝動的な行動を少しは今の自分に分けてやりたい。
こう聞くと、由依さん目的で通ってるだけに聞こえるかもしれないけど、それは違う。
といってもそれも楽しみのひとつではあるのだけど。
あの日、由依さんの華麗な泳ぎをみて帰って、疲れた身体を入念にマッサージしながら思った。
あんなふうに泳げるようになりたい。
最初はダイエット目的で通うつもりだって、面倒くさそうならもうそれっきりにするつもり程度の決心だったけど。
一人の華麗なショーを見た途端に人が変わったみたいに水泳に対して真剣に取り組もうって思えるようになった。
インターネットでいろいろ泳ぎについてコツなんてのも調べてみたりした。
クロールは水面に並行にして浮くようにして泳ぐ、だとか。
息継ぎは差し出したもう一方の肩に頭を乗せるようにして軽やかに行うだとか。
全てが初心者の私にはどれもが一つ一つステップアップとなる情報ばかりだった。
その中でもやっぱり教科書として取り入れたい教材はすぐそばにあった。
由依さんの泳ぎを実際に生で見てみる。
それが私にとって今一番目にしたいなによりもの宝典だ。
「っぷは!」
だいぶ長いスパンで泳げるようになった気がする。
最初の頃はとにかく身体全体に力が分散しきれてなくて、手と足をひたすらばたばたさせていただけだったみたい。
もう少し力を抜いて水を掴むようにして泳いでみると楽になるって。
これはネット情報だけじゃなくて由依さんの泳ぎを見ながら参考にさせてもらった。
水泳って泳げると楽しいんだなぁって思う。
最もあの人レベルで泳げるようになるまではまだだいぶ先のことになりそうだけど、少し上達しただけでこれだけ達成感を得ることができるのだから。
努力してみて進歩することができればたとえ少しだったとしても充実感が付いてくる。
プール全体をゴーグル越しに見渡してみる。
今日は由依さんの姿はまだ見えない。
まあ、週に何回か夕方に目にする程度だったから今日現れるかどうかだってわからないけど。
少しでも上達した自分の泳ぎを見てもらいたくなったのか、プールサイドに入ったらいの一番に由依さんの姿を探している自分がある。
「ふふ」
まるでこれだと恋してる人間みたいじゃないか。
想像してみて独りでに微笑みが漏れてしまった。
まだ会話なんてのも一回切りだし、そもそも私は彼女のことを全くと言っていいほど何も知らない。
それなのに、寝ても覚めても由依さんのことが頭に出てくるようになった。
一体、なんなんだろこれ。
プールに浸かったまま思わず首をかしげたものだから、ぱちゃっと片耳が水につかってしまって可笑しくってまた一人笑いした。
それにしても今日は泳いでいる人が多い。
混雑してる。
隣りのレーンはもちろん、6つある全てのレーンが埋まっている。
こんなことは今まででは初めてのことだった。
唯一、一人だけで泳いでるレーンは私の5レーンだけで、それ以外は複数人が共有して使用していた。
まあいいや。
今日はまだまだ体力も余ってるし腕に疲れも少ない。
一人のうちにできるだけたくさん泳いでおこう。
そう思って水中で壁をキックして向こう岸に向かって腕を突き出した。
その後、2、3往復かして端で休憩してるときだった。
「理佐さん」
この何往復かくらいで結構身体にこたえていた私はその呼びかけに反応が遅れた。
「理佐さーん」
「っえ!?あ、はい!」
「全レーン埋まっちゃってるんでここ入ってもいいですか?」
「え、え」
「どうです?」
「あ、えっと…だいじょうぶ!」
「ありがとうございます」
ニコッと微笑んでその声の主はするりと目の前の水に飛び込んだ。
由依さん登場。
しかも今日はまさかまさかの同レーン。
いきなりの出来事に心臓がばくばくして弾けそうだった。
由依さんは水中からぷかっと頭を出して軽く私におじぎして壁にキックを決めた。
競泳水着の薄い生地からはみ出た腕太ももふくらはぎ全てが真っ白で凄くきれい。
なぜだか一番にそんな感想が頭から湧いて出てきてしまった。
じゃなくて…
あのとき以来の会話。
それも今度はお互い水着と水泳帽に身をつつまれた状態でのことで、それがまた何か別の高揚感に包まれた。
いつもならプールサイドの上か別のレーンから見るその人なんだけど、今日は縦方向に進んでいく姿が貴重に感じられた。
それにしても速い、美しい。
するするとまたたく間に向こう岸にたどり着いては華麗に水中でターンを決めてこっちに戻ってくる。
感激だ。
さっきまで必死になって泳いでたせいか、相まって心臓がどきどきする。
こうしてはいられない。
念願の由依さんと一緒に泳ぐ、もとい自分の泳ぎを見てもらえる絶好の機会だった。
さっきまではもう疲れたから上がろうかななんてひっそりと思っていたけど、由依さんの登場で気分が晴れた。
私も遅れをとらないように壁をキックして水中へ駆け出した。
「っぷ」
感激だ。
ターンを決めた由依さんが対面からするすると迫ってくる。
私は邪魔にならないように右端に寄りながらクロールでひたすら肩を動かした。
真ん中付近ですれ違う瞬間、また心臓がどきりとした。
まさかこんなにも早く、由依さんと一緒になって泳げる日がやってくるとは思ってもみなかった。
背中ごしに由依さんのオーラを感じ取って、向こう岸にたどり着いて私も見様見真似でターンを決めた。
今度は前身いっぱいにオーラを感じ取ってそちらへ向かって突き進む。
必死に肩を回転させて手のひらを水面に打ち付けた。
そのときだった。
ピリッとした痛みがふくらはぎに走って身体全体が鉛にように重たくなった。
「えっ!!」
気づいたときはもう遅くて、右ふくらはぎにまるで鉄の輪っかでも嵌め込めたかのように水中へと引っ張られた。
「あふっ!」
溺れる…
右手左手必死になってばたばた空中で掻き出そうともがくも、意識とは反対側へ引き寄せられていった。
苦しい…
誰か、助けて
もう何も考えられずに頭真っ白で身体全体がカチコチに固まりかけていたとき、腕を掴まれた。
優しい温度が二の腕にまとわりつく。
目をぎゅっと瞑っていたせいかその正体はわからなかったけど、体温と心地よい香りが確信に迫った。
「由依さん…」
「力抜いて」
「…う」
「そう、手ぶらーんさせてみて」
「…は、い」
「そう、その調子」
「ハァハァ」
「一旦上がろうか?」
由依さんに手を引っ張られるまま、プールサイドへと引き上げられた。
なんだろう、この感覚。
さっきまで足突っ張って全身が岩みたいにガチガチに固まっていたのに、由依さんに掴まった瞬間にすーと引いていって、なんだか上手く表現できないけど、とても。
とても心地がよかった。
続く。