私はひたすら走っていた。
一時間なんて軽はずみに口にしたのはいいけど、現実的に考えてそれは難しい。
だって由依の住む場所からは、行きつけの歯医者までだって決して近くない。
それ相応の時間配分をしても、どうしても片指が折れるくらいの時間はオーバーしてしまう計算だった。
「少しくらい遅れたっていいじゃん」
って、おぜならそう言うかもしれない。
けど、たぶん待ってる。
由依はただの数十分でさえ私が戻ってくるのを心待ちにしているに違いない。
左手に巻いた腕時計はもう針が12を越していた。
あと乗り換え1回…
こんなときに限って、駅のホームが混雑していてなかなか乗り込めないなんて…
この調子じゃなんとか頑張ってもあと20分はかかるだろう。
怒るかな…?
一時間って言ったのに、遅れて着いたら。
まあそれでもいいか。
あとで謝るしかないよね。
結局、由依のマンションに戻ってきたときは約束の時間を40分もオーバーしてしまっていた。
朝来たときと同じようにエントランスから呼び出しボタンを押す。
これでもかなり急いできたから、時期外れの汗をかいてしまった。
「あれ?」
出ない。
おかしいな…
もしかして、遅れてきたから怒ってる?
一時間って言ったのに、嘘だ、って。
柄にもなく拗ねてしまったのだろうか。
頭を捻っているとたまたまマンションの住人が通りかかったから、友達に用があるって伝えて通してもらう。
ふたたび由依の部屋の前まで来てチャイムを鳴らしてみる。
2回
それでもやっぱり出ない。
恐る恐るドアを引いてみると、鍵はかかって無くてすんなり開いた。
「ゆいー?いるよね」
戻ってきたよ…って、申し訳無さが出たひっそり声で部屋の様子を伺ってみる。
不自然なくらいシンと静まっている。
「由依?」
もう怒られるのを覚悟の上で部屋の中まであがりこむと、名前を問いかけたその子はベッドの上で目を閉じて横たわっていた。
「…あら」
すやすやって。
20歳になってもこうやっているとまだまだ子供っぽいよねって、そんな感想を抱いて部屋を見渡してみる。
さっきよりもっと綺麗になってる。
アロマの優しい香りだけは時間を置いてもそのまま残っていて、それでもって由依のが若干混じっていた。
待ちくたびれて寝ちゃったのかな?
「遅れちゃってごめんね」
返事を返してくれないのはもうしょうがない。
これもまた可愛らしい愛嬌だろう。
遅れてきた事実がこうやって普段見せない素顔を引っ張ってきてくれたなら、それは大きな収穫だったに違いない。
私はさっきまで由依が座っていた座布団に腰を下ろして由依のいるベッドを背中につけた。
机の上に綺麗に並べて置いてある雑誌を手にとって開いた。
無音のはずのそこで、優しいハーモーニーを肌に感じながらページを捲り始める。
「おなかすいた…」
ぐうって音が鳴って、そういえば今日何も口にしてないなってぼんやりと思い出した。
正面に見えるシンプルな時計の針はカチカチと快調にペースを刻み続けてついに16時を追い越してしまっていた。
背中ごしに寝息をたてている子はまだまだ同じ体勢のまま。
さすがに雑誌3冊くらいじゃ3時間は保たなかったな。
もう飽きちゃったよ
背中をひねってベッドにもたれ掛かる。
かわいい寝顔…
「ゆいー、そろそろ起きない?」
もう起きるよね?
そんなにたっぷり昼寝しちゃったら夜寝れなくなるよ。
小さい子供をあやすように語りかけてみるけど、なかなか起きてはくれない。
「そうとう疲れ溜まっちゃってるのかな?」
しまいには頭の上をぽんぽん撫でてみる。
それでも可愛い寝顔はぴくりとも反応しない。
「もう起きないと、”ぽんぽん”って呼ぶよ?」
そう告げてみて、自分でおかしくなってくすって声が漏れた。
ぽんぽんってやっぱりいい。
本人は絶対嫌がるだろうけど、こうやって寝ている姿はよく似合う。
いや寝て無くてもお似合いか。
そんな私の内側を察知したかのように由依はくるっと寝返りを打って背中を向けた。
あーあ、嫌われちゃったか
結構楽しみにしていた最後の暇つぶしを取り上げられてしまったところで再びお腹が音を立てた。
それにしてもお腹すいた。
台所のほうを見渡してみる。
そこには私と由依の飲んだマグカップがそのまま置いてある。
さすがに勝手に冷蔵庫を開けるわけにはいけないから、やっぱり一人ぼっちで暇つぶしを続けながら待つしか無いという結論に戻ってくる。
ベッドの背もたれに首を預ける。
もう私もこのまま寝ちゃおうかな?
由依が寝返りを打ったことでベッドのスペースが半分空いた。
もし目が覚めたときにそこで私が寝ていたら、どんな反応を見せるんだろう。
ちょっと興味が湧いてきたところで、いたずら心を封印して時計を眺める。
”16:20”
窓の外の景色がややオレンジ色に変わり始めた。
うーん、おなかすいた。
何も無い、物語も無い、景色も見えない。
そんな真っ暗闇一辺倒の中でかすかにオルゴールの音色だけがゆっくりリピートし続けていた。
振り返ってみるとそんなイメージ。
ピリリリリリッ
心地いい静寂の中で電話の音が鳴り響く。
「…ぁ!!」
「っ、寝てた」
「…理佐!?」
「おはよ」
「あ、うん…ごめん電話マネージャーさんからだ」
「うん、出なよ」
由依は飛び起きていつもより一段と低い声でスマホに向かっている。
あー、結局寝ちゃってた
たぶん由依も今ので起きたんだろうな。
もうすっかり外は暗くなっていて、時計の針は18時を回っていた。
両手を思いっきり伸ばすと肩の辺りからコキっと音が鳴った。
「ごめん、私ずっと寝てた…」
「うん、電話なんだって?」
「別に…たいした用事じゃなかったみたい」
「そう」
「ごめん、今日予定大丈夫だった?」
「大丈夫。…今日のために空けてたから」
「え?」
「あ、いやなんでもない」
「……」
由依はスマホを机に置いてベッドにぽすんと腰かけた。
「疲れ溜まっちゃってた?」
「え?…あー、いやいつもこんな感じで寝ちゃうんだよね私」
「そうなの?夜寝れなくならない?」
「なる」
だよね、って呟いたところで一旦の静寂。
「遅れちゃっ」「あの…っ」
「あ、」
「理佐からどうぞ」
「あ、うん。遅れちゃってごめんね」
「全然いいよ…私寝てたし」
「寝てたね」
「理佐もだけどね」
「…由依は?」
「ケーキ美味しかった、本当にありがと」
「ああそのことか」
「今度は私が何か持っていくね」
「いいよ、由依にはいつも貰ってるし」
「えー、あげてるかな私?」
由依は首を傾げて不思議そうな顔をした。
いつも貰ってるってば。
何と言わずいつも。
「あ、それと」
「?」
「…おかえり」
「ふふ…ただいま」
二人してぼそぼそ呟き合うような会話をしたところで、またお腹が鳴った。
「お腹すいた」
「何か食べてく?」
「じゃあもらう」
「って言っても何も買ってないや…」
「じゃあ、私買いに出るよ」
よっこらせって立ち上がったところで、由依も私と同じ目線に上がってきた。
「一緒に行くよ」
「じゃあそうしよっか」
「理佐にお使いばかりさせてるみたいで嫌だから」
そういえば今日だけで出たり入ったり3回目だなって、不思議に思った。
ここに来るのだって大分久しぶりのことだったのに。
ハンガーから外した上着を羽織った由依と目が合う。
寝起きのうつつな目。
「ふふ…どうせなら」
長かった眠りからようやく覚めたばっかりのお姫様に向かって、ついそんなことが口から出てきた。
召使いにでもいかが?
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いつも読んでいただいているかたには分かったかと思います。
『千紫万紅のオノマトペ』の理佐side verでした。
もともとはこちらを完成形としてイメージしていたのですが
うまく妄想が形になリきらず、先にゆいぽん目線で投稿しました。
余談ですが、最近のけやかけが面白くて人生楽しいです(*^^*)
ゆいぽんも理佐も楽しそうでなによりです♪
ぽんぽんのくだりは何度も繰り返り見てしまいます。
推しのみなさんも同じですよね?(笑)
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