まだ心臓がばくばくいってる。
これは急にパニックに陥ったからなのか、それとも腕を引っ張る存在がそばにいてくれてるからなのか。
意識がぼーっとする中で由依さんの存在感だけはやけにはっきりと残っていた。
「今日は泳ぎすぎだね、もう終わりにしたほうがいいよ」
「…はぁ」
「無理なオーバーワークは事故のもとだから…」
「それって由依さんも」
「経験あるよ」
そうなんだ。
由依さんでもこんなこと経験あるんだ。
一人で舞い上がって身体からの信号を読み違えていたなんて恥ずかしいことこの上ないけど、同じように過ちを犯したことがあるんだって思えて、少し気分的に楽になった。
足が攣ったときはひたすら伸ばすといいよって体育座りした私の背中を押してくれた。
ぎゅって身体が密着してまた心臓がどきりと跳ねる。
もうこれ完全にアレだよね…?
由依さんは座り込んでぐてっとしてる私を覗き込んだ。
「もし、…」
「え?」
「あの、もしよかったら、今度一緒に泳いでみない?」
「……」
「そのときに私にわかることなら教えてあげられるから。もし嫌じゃなかったら、ね」
え、これって…
私が一番期待していたやつ。
まさかまさかの由依さんからの提案に言葉が詰まった。
「嫌、だった?」
「そんな嫌だなんてとんでも!是非!」
「よかった、じゃあ今日はこれでね」
「っうん!」
由依さんの背中にありがとーって発すると、予想以上にプール全体に声が響き渡って周りの人から注目を浴びてしまった。
ちょっぴり恥ずかしかった。
それから数週間が経った。
数週間前がまるで何年も前かのように感じるくらい私たちはあっという間に意気投合して仲良くなれた。
由依さんじゃなくて由依。
理佐さんじゃなくて理佐。
お互いの呼び名も変わって、距離感もぐっと近くなった。
由依は私より一個年下で隣町にある国立大学に通う大学生だった。
年下って聞いて少しびっくりしたけど、本人曰く周りからは大人びて見られるって聞いてなるほど、って頷けた。
年下だと思えると少し可愛らしい。
そう言うと、ぷく顔で一年早く生まれただけじゃないって返された。
絶対可愛い。
水泳のほうは、私のほうが教わる形でほぼ毎日由依の背中を追っている。
由依のレッスンはすごくわかりやすくて参考になった。
「クロールは楽な気持ちで泳げばいいよ」
「楽な気持ち?」
「身体を楽にして水面に浮かせるようにして手を伸ばすんだよ」
「手を楽にする…」
「やってみよっか」
由依の言った通り、水面に浮かせるよう心がけて泳いでみた。
いろんなことを一斉に意識してみる。
バタ足は足幅程度の小さい範囲で行う。
掻く手は水を手のひらで掴むようにして水中を通す。
意識してやってみると、意外なことに今まであったような気だるさが無くなっていった。
凄い、不思議。
それによって息継ぎに楽になって、長い間泳げるようになった。
「由依、すごいこれ天才かよ」
「天才じゃないってば」
「でも教えてもらってからすごく楽になったよ」
「どういたしまして」
由依の教えは私をまたたく間に上達させていった。
ものすごい進展だった。
それとともに私の気持ちのほうも気づかないうちに進展していっていた。
「由依ってさ、」
「ん、なに」
「…その、恋人とかっているの?」
「いないよ」
「好きな人とか、付き合ってみたいとかないの?」
「んー、どうなんだろう?」
「じゃあどんな人がタイプ」
バカみたいに質問攻め。
これじゃあ私が気があるみたいに見て取れるじゃないか。
違う違う、ちょっとした好奇心。
「水泳やってる人がいいかなぁ…」
「そう、なの?」
「やっぱり一緒に泳いだりして時間を共有できる人がいいよね、私って水泳しかやってないから」
「それなら…」
私でも一応候補にあたるんじゃない。
年上かましてそんなジョークで包み返そうとして、やめた。
なんでやめたのかはわからない。
でも、なんだか安請け合いに取られると嫌だと思った。
由依もそういうの好きじゃないような気がして。
今日も一時間くらいぶっ通しで泳ぎ続けた。
前までならほんの30分が限度だったってのに、由依と一緒にいるようになってからはこれでもまだ泳ぎ足りないくらいになったいた。
由依と一緒に洗い流し場のシャワーを浴びながらふと疑問に思った。
いつもなら私がだいたい先にあがって待ってるから、この瞬間をともにすることなかったけど今はどうだろう。
この後のことも一緒にすることになるんだろうか。
隣に目をやると由依と視線がぶつかった。
二重幅のきれいな垂れ目がキレイ。
そんなことは今はどうでもよくて…
このままじゃ、一緒に着替えることになるんだけど、いいの?
同性なんだから別におかしなことなんてなくて、意識なんてする必要もないはずなのになぜだか私はどきどきしている。
由依にその温度は感じ取れなかった。
そのまま特に会話も交わすことなく更衣室に入った。
由依は私と隣りのロッカーからバスタオルを取り出しておもむろに身体を拭きだす。
なんだろう。
由依の前で水着脱ぐの嫌だな。
同性なのに、同性なのに。
そればっかり自分に言い聞かせて何度も念仏のように唱える。
とりあえず髪だけわしゃわしゃと拭いてやることにする。
先に由依が髪を乾かし終わって競泳水着の肩紐部分に手をのばす。
バスタオルに頭を包みながら隙間からその姿に目をやると由依とまた視線がぶつかった。
「あのさ…」
「ん」
「理佐見てるでしょ?」
「見てないよ」
「さっき隙間からこっち見てた」
「別に、女の子同士なんだから見られても構わないんじゃないの?」
「だったら、理佐から先に脱いでよ」
「え…」
「早く」
それはなんだか困った。
確かに同じ女の子同士なんだから別に気にする必要もないはずなんだけど…
他の女の子だったら気にしないのに、なぜだか由依だけには見られるのを拒んでしまう。
これって…
「わ、私も恥ずかしいや」
「なにそれ」
由依は顔を真っ赤にしてロッカーを別の場所に移すために荷物をがばっとロッカーから取り出した。
対角線上にある遠い場所へ逃げていく。
たぶん、私も今顔真っ赤なんだろうな。
顔が焼けるように熱い。
なんで由依だけには見られたくないと思ったのか。
さっきの質問じゃないけど、由依には安請け合いしたくないと思ったのか。
それなら、なんで安請け合いがいけないのか。
変に意識してしまうのは一体どこからなのか。
答えは全部決まっていた。
私は由依のことが好きだった。
続く。