飛鳥は自分から苦難に飛び込んでいくようなタイプじゃない。
どっちかと言えば、望んでない苦難の中で育ててもらうタイプだよ。
いつしか誰かにそう言われた。
だとすれば今いる環境は苦難なのか、それともそこから逃げた先なのか。
私自身が現状に満足しているかどうなのかさえ分からない。
どちらにしても、これは自分が選んで決めた先であることは間違いないのだけど。
現状が間違っていると思う?
いや、それすら考えるのを辞めた。
でもたぶん答えはノーだと言いたい。
誰に聞かれるでもないその問いに、正直にイエスと言えないくらい強がり人間なのだろう、私は。
救いの手なんてのもあった気がする。
その手が救いの手だとハッキリ認識できていればまた違ったのかもしれない。
でも無理だ。
どう目を凝らして眺めてみても、私にはそれが救いの手には見えなかった。
強がりってのもあるけど、正しくは“あまのじゃく”か。
小さいころからそうだった。
学校の先生にあれしなさい、これしなさいと言われればそれとは真逆のことに興味を持った。
優しい人からは好奇心旺盛なんだね、なんて思ってもないであろう弁解の言葉をかけてもらった。
でもほとんどは“ひねくれもの”とか、“素直じゃない”とか、私に対してまっとうな否定的な意見が大半を占めていた。
私以外にはわからないだろう。
本当に救いの手が悪魔の手に見えてしまうのだ。
けど、周りの人間にそうだと主張するのがめんどくさくなってやめた。
この結果は齋藤飛鳥が真面目に考えて決めたんだって、それだけは間違いなく胸をはって言えるのに誰にもその声は聴きとってもらえない…
「お腹すいた」
ここは一人暮らしの狭い部屋。
玄関から部屋に向かってそんな言葉を発してみても、誰かが料理を作って待ってくれているわけではない。
ただ、いつもと同じ深夜帯に仕事を終えて帰ってくれば、玄関を開けて一番にそれが口を裂いて出る。
壁掛け時計に目を向けると針は午前2時を指していた。
「…ふぅ」
トートバッグをその辺にテキトーに放り投げる。
もう9月だっていうのに外を歩いて帰ってくれば汗でシャツがびっしょりだ。
「暑過ぎ…」
エアコンの電源をピッと鳴らして同じくその辺へ放り投げる。
着ていたパーカーや靴下をひっぺがすように脱いで身軽になる。
それでもまだ暑苦しくて、シャツの内側に手を入れて身を捻じ曲げながらブラを引き抜く。
ベッドに背中からダイブしてみれば、さっきまでの重たさが嘘のように体が軽く感じた。
もうこのまま寝てもいいかも…
完全に脱力した状態で体からそう命じられてしまえば、もう抗う気はよそに飛んでいってしまうではないか。
人間って単純な生き物だ。
ほぼ無意識にスマホを取り出して画面を開く。
すると丁度バイトをしていた時間にLINEにメッセージが入っていた。
「…またかよ」
そこには“秋元真夏“と発信した人物の名前がある。
>元気―?
>こっちは変わりないよ
>毎日講義に出るのは退屈だけど楽しくやってるよー
>でも、
>ちょっと寂しいかな、飛鳥がいないのは…
>飛鳥はどう?
>楽しくやってる?
「…はあ」
この秋元真夏というのは大学時代の友達だ。
私と真夏を含めた3人でいつも一緒だった。
大学生活も一度経験してみれば、捨てたもんじゃないな、と思える。
それは真夏の存在があったからといっても過言ではない。
ただ、そこから抜け出してからも同じように友達でいる必要はないと思う。
ましてや真夏は友達が多い。
いつも誰か他の友達からお昼いっしょに行こうよって誘われていたのに、私に気を遣って断っていた。
断ったときの友達の私を見る目が嫌だった。
こっちに一目視線を這わして途端に何かを察したような表情に変わる。
私だって真夏を独占していたつもりなんて無いし、一緒にいるのを強要した覚えもないけど、真夏と私ともう一人でいつも一緒だったから。
そっち行ってあげなよ、なんて気の利いた言葉なんて出てきやしなかった。
でも今はもう違う。
私はもう同じ大学の友達じゃない。
私に気を遣う必要もないし定期的に連絡をとる必要はない。
私みたいな“ひねくれもの”の相手をすることはない。
卑屈な考えが次々を湧いて出るのを自覚してLINEアプリを閉じる。
そのままメッセージを返すこともなく眠りについた。
「おはようございます」
「おー、齋藤来たか」
「今日はホール13時からの予定です」
「ああ…それでちょっと、齋藤に頼みたいんだけど…」
「…?何を?」
今日はここ、市内のパチンコ店のバイトだ。
この人は設楽マネージャー。
いつも軽い口調で単直に指示を飛ばしてくる。
カラオケの店長とは違って無駄なコミュニケーションが少ない分、やりとりはそう難しくない。
「いやちょっとさ、新人のバイトが入ったから齋藤に付け勤務頼みたいんだけど…」
「付け、ですか」
付け勤務というのは、通常の一名に加えて新人を教育のために張り付けるというものだ。
パチンコ屋の仕事も客商売だから、新人がいきなり一人で接客するというのは難しい。
だから何日かは慣れたスタッフに同行させて見て学ばせるという仕組みになっている。
正直言って、私はこれが好きじゃない。
まず二人一組というのが嫌だ。
基本的なことも含めて事細かくルールを教えなければならないから、当然ある程度のコミュニケーションが取れなくては話にならない。
同じバイトであってもどうせ会話が続かないのが目に見えてるし、他人に教育をするというのも性分じゃない。
もう何回か経験して失敗しているのを設楽マネージャーも知っているはずだ。
出来れば他の人にお願いしてほしかった。
「私、これ苦手なんですよ」
「んー、まあ今回は女の子だし年も齋藤とほとんど一緒だから、な?」
「まあ、どうしてもっていうなら…」
「一応、簡単なマニュアルは目通してもらったから、さっそく13時から入ってもらうわ」
「了解です...それで、その人は?」
「ああ、こっちこっち」
ちょっと不貞腐れぎみな態度を隠すつもりもなく設楽マネージャーについて行くと、新人らしき女の子がお辞儀するのが見えた。
「今日から入ってもらうことになった、…えーと」
「堀未央奈です。よろしくお願いします!」
続く。