私はとにかく"田舎"とか"大自然"が好きではない。

河川敷のような人工物、加工された自然美なら平気なのだが。
 

その理由はただ一つ。

暮らしていけない。

 

僅かな時も過ごせない。

そういう所での生存知識が無い。

当然、技術が無い。

 

免許を持たないので、車の運転ができない。

馬にも乗れない。

この時代に駕籠はない。

 

田舎の電車はボタンを押さないと扉が開かない、ということも知らなかった。

バスは1日に数本だって。

 

 

とにかく何もできない。

恐怖しかない。

 

 

談志家元も仰っていた"夜の静けさ"が襲ってくる感覚。

森も川も田んぼも庄屋も地頭も怖い。

 

裏山の向こうには"死"しか感じない。

山小屋や雑木林には"不気味"しか感じない。

 

オカルトとは違う。

命を放り出されたような恐怖だ。

 

 

 

 

ならば、何故、この作品を観たのか。

それは自然風景の芸術作品が好きだからだ。

 

美しいと思う。

 

雄大で素朴な景色は迫力があるし、癒される。

そういう作品は好きだ。

 

写真でも映像でも。

絵画、その他なんでもいい。

 

つまり、

芸術家に表現してもらわねばならない。

観光客にシェアしてもらわなければならない。

 

誰かの助けがなければ芸術を楽しむことはできない。

 

 

恵比寿の東京都写真美術館。

 

 

 

本展はとても良い雰囲気だった。

 

木々に花に虫に人に。

思わず笑みが溢れる。

また切なくて泣けてくる。

 

どうやら作品に対して、脳裏で物語が組み立てられている。

私の意識下には無いが、脳が自然勝手に行っている。

睡眠時に”夢を見る”のと同じ作業だ。

 

 

 

今森光彦は、里山という言葉を”人や生き物がいる自然空間”と定義していた。

 

つまり、撮影されているのは、人の手が付いた自然ということだ。

最低限の人工物。

即ち、人と自然の共存空間ということ。

 

 

吉野の風景に感動した。

奈良県の位置は最近知ったが、吉野の位置は知っていた。

”奈良県=吉野”であることを知らなかった。

 

 

後醍醐帝が京を離れ、この地で政務を執った。

さぞかし聡明な御方だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

あれ?

南北朝時代の映像って残っていたっけ?

 

まぁともかく尊いのだ。

 

 

そんな吉野にどうやって行けばわからないし、多分、怖くて行けない。

だからこそ、インターネットはありがたい。

 

ちなみに今、こういうイベントが行われているらしい。

 

 

 

旅好きの方には、是非訪れていただきたい。

そして見聞したことをシェアしていただきたい。