傾城道成寺
歌舞伎座二階のロビーに、先代雀右衛門の舞台写真(パネル)が飾られている。
彼が7~80歳のものだが、瑞々しさを感じる。
しかし、当代には瑞々しさを感じない。
代わりに感じるのは野暮ったさ。
悪口を言ってる?
全くそうではない。
言い換えれば“人間味“。
これがために共感できることが多い。
夏祭浪花鑑のお辰、め組の喧嘩の女房、今回の傾城。
一本刀土俵入りのお蔦。
先月の静御前。
気風の良さ、上品さ、可憐さ、切なさ、、、それらに加わる野暮ったさ。
これが人間味を醸し出す。
妹背山女庭訓のお三輪ちゃんとか野暮全開。
しかしそれがためにキャラは際立ち、見ている方は感情移入しやすい。
玉サマは完全に”あちらの人”。
誰も辿り着けない世界。
それを我々は眺める。
雀右衛門丈は近くて遠い。
遠くて近い。
だからお蔦の「おきみちゃん」って、ただあの一言で泣ける。
母性。優しさが自分の間近にやってくるから。
この舞台では維盛が離れていく寂しさを放っている。
それはこの世のものではなくなった己に対する寂しさでもある。
傾城なのに野暮ったい。
何とも憐れだ。
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追善とはいえ、雀右衛門一族の総出演は珍しいように思う。
というか大谷ファミリーが揃っているのを観ることがない気がする。
そこに音羽屋が付き合う。
久々の御大、尾上菊五郎。
正月の初台公演を観なかったので、マハーバーラタ以来だと思う。
声は良かったが、動きはいよいよ利かなくなっているようだ。
寂しいが仕方ない。
しかし、尾上菊之助の活躍がそれを補う。
良い形で菊五郎襲名がなされれば良いよね。