亡くなった祖母の
49日法要がありました。
祖母は、何十年もの間、
ほぼ毎日ノートに小さい文字でびっちりになる程
日記を書いていました。
祖母が亡くなってから
初めて知ったことです。
そのノートを今回初めて見ました。
最後の方はいつもいつも
同じ言葉が繰り返されていました。
“
わたしはそとにでれません
からだがよわいから
”
“
からだがよわいから
なにもできません
”
身体が弱いんじゃなくて
もう、限界まで頑張って
身体が限界だっただけなのに
いつも働いていた祖母は
動けなくて働けないことが
もどかしく
自分はダメ人間だ
くらいに感じていたんだろうなと
思うくらいに
毎日毎日
同じことが綴られていました。
今とは時代が違って
外に出て朝から晩まで働くこと
が当たり前で
そうでなければならず
家にいるだけなんて
怠け者で
働かざるもの食うべからず
そういう時代や環境だった祖母には
具合が悪くて動けないことも
自己嫌悪だったんだろうねと
叔母と話しました。
亡くなる前にも
一度入院してたのですが
その時も、退院してすぐに
家を訪れたら
家事をしていた祖母
本当に本当に働き者で
自分が恥ずかしくなるくらい
本当に本当に
祖母ほど働いてる人は知りません。
そんな祖母の最後の日記には
今まで書かれていなかった一言があり
何か感じてたのかな⁇と思います。
お坊さんのお説教で
俗に死後49日までは
お世話になったみんなに
挨拶回りをする時間なので
皆さんのところにも行かれたと思います
と言っていましたが
私は夢で祖母に会いました
いつものニコニコな祖母でした
亡くなってから
初めて知ることが沢山あり
亡くなったからこそ
わかることなのかもしれないけれど
やっぱり生きてる時に
知っておきたかったことや
伝えたかったことって
いつまでも溢れるものですね
叔母が私に言ってくれました
nunの旦那さんは
あの人はいい人だわ
と
祖母の葬儀の時に初めて会い
ろくに話も出来てなかったのですが
そういう問題じゃなく
伝わるものがあったし
わかるんだ
と
彼も後悔だと言ってくれてますが
私も、
祖母が反対しようが
一度、彼を紹介すべきだったなと
それが一番の後悔です
そうすれば叔母のように
祖母も感じてくれたかもしれない
頭ごなしに
反対しなかったかもしれない
私も祖母を避けなくて
済んだかもしれない
たらればの話になりますが
祖母にもう一度会えるなら
彼を紹介したいです
もう、祖母には伝わっているかもですが
直接祖母に会って
祖母の反応が見たいし、知りたいです
祖母に会いたいです