彼女が実家に帰って以来、作らなくなったお弁当を最近、また作り始めました~

とりあえず、僕の定番のパスタ。

豚軟骨とタケノコ、えんどう豆のバジル・ソース~
豚のカシラとか軟骨とかはバジル・ソースと良く合うんだよなぁ・・・

Kumasan49のブログ

昨日遅ればせながら、ALWAYS 3丁目の夕日の3部作をまとめて見た。
そう、あの頃は、本当に夕日が眩しかった・・・


僕は生まれも育ちも東京都23区内の片隅の練馬区で、一度もこの地を離れたことはなく、江戸時代の頃から僕の家系の地元でもある。
そんな僕には帰るべき”ふるさと”がない。
お正月やお盆に帰るところがあるひとはいいなぁ~と特に子供の頃の夏休みには思っていたものだ。
でも、正確に言うと、”ふるさと”がないんじゃなくて、僕の故郷はここ東京都23区の片隅の練馬が僕の”ふるさと”。

でも、なぜか今、家の周りを見渡しても、ご近所さんたちはほとんど変わりもしのに”ふるさと”の匂いは全くしなくって、つい”ふるさと”はない、って思ってしまう・・・

僕の生まれは戦後たったの14年の1959年(昭和34年)、ALWAYS 3丁目の夕日の1、2部の時代設定は僕の生まれた1年前で、3部の時代設定は僕が小学校1年の時だ。

残念ながら僕の家からは建設中の東京タワーは見えなくて、その代わり、東京防空の要だった飛行場があったところだったから、米軍の空襲の跡が多く残るところで、飛行機の防空壕跡や焼夷弾の不発弾があちこちから発掘される、といった敗戦国”日本”を強く感じてしまう風景だった。
映画の方は東京都のど真ん中の東京タワーのお膝元で、僕の家は23区の外れの違いはあれど、
でも、やっぱり同じその頃の東京の生活感や匂いは同じ。

近所で一番先にテレビを買った僕の家の縁側にテレビが届いた日に近所中のひとたちが集まって一緒に大騒ぎしながらも見たし、オリンピックに近所中が日の丸の旗を振って一喜一憂して騒ぎ、初めて冷蔵庫なるものがうちに届いた日には冷蔵庫に頭をみんなで突っ込んで涼しいと驚嘆したっけ^^

ふと思えば、竹馬もスイカ割りも、花火も雪だるま作りも、怪獣ごっこもみ~んな、僕のうちの縁側のある庭で遊んだっけ。
そして、その日の遊びの終わりは必ず、夕日が眩しく僕たちを包見込んでいったっけ。
豆腐売り、竹竿売り、金魚売りも、缶けり、泥警、馬乗りも、こんちゃんのオロナミンCやキンチョール、の看板も、そしてなぜか切ないカネゴンもシーボースもメトロン星人、み~んな、あの夕日の中に溶け込んで・・・

いつの間にかご近所さんの人は変わらなくても家は全て建代わり、近所の家は軒並み高層化が進み、畑や森も全部消え、小川は全て遊歩道で塞がれて・・・
僕の故郷である東京23区内の外れがもしかするとこの50年間で最も風景を変えてきたところかも知れない。
そう、僕の本当の”ふるさと”はあの頃の夕日の中にしかもうないんだ、と。
縁側のある庭とあの頃の夕日が僕の心のふるさとだと、この映画から教えてもらいました。