日本にJリーグが出来る前・・・僕が二十歳の頃に、初めてイタリアに行った時には、サッカー(カルチョ)はまったく別の世界でやっている別のスポーツだった・・・

技術、戦略、エンターテナメント性、闘争心、ティフォージの熱狂と心酔のすべてが別の次元だっただけではなく、
国と国との代理戦争、街と街とのいがみ合いや因縁の激突を目の当たりにして・・・
自分のチームが負ければ、次の日には駅が放火されて燃え上がっていたり、監督の車がひっくり返されポンコツにされ、自分のチームの愛する選手が移籍するときに町中が暴徒化したり・・・

イタリアで開催のW杯の時、イタリアが負けた翌日なんか、まるで空襲を受けた戦地のようだった。

そんなヨーロッパの中で僕は20代前半の半分を過ごし、ロベルト・バッジョのファンタジスタに酔い、僕が生きている間にこんな文化は日本では根付かないだろうと思い続けていた・・・

その後、日本にJリーグが誕生しても、日本が初めてフランスW杯に出場を決めた時にも、日韓W杯のときも、
100年以上も歴史のあるヨーロッパの本物のサッカーを目の前で肌で接していた僕はなんら期待もしていなかった。
だから、僕が生きている間に日本はアウェイの地で、勝利することも、流れから得点することも、相手を無得点で封じることが出来ることも見られないと思っていた。

本当に強くなった。
中沢のインタビューの顔を見ていたら、不覚にもわんわんと泣いてしまった・・・

*P.S.:南アフリカまで応援に行っているサポーターの方々の笑顔を見ていたら、もっと724の応援をしなくっちゃ、と思った。
南アフリカくんだりまで行ったからって、選手に会えるわけではなく、試合を単純に見て帰るだけなのに・・・
こっちは毎日、ご本人達と話も出来るんだから。