僕とプロレス
僕とプロレスの最初の出会いはブラウン管の向こうのタイガーマスクだった。
タイガーマスクという選手の存在は僕らの年代で知らない「男の子」はいないだろうと思う。リアルタイムで試合をみたということがなくても、少年誌では彼の存在は取り上げられていたし、テレビでアニメも放送していた(2世だったかな)。
僕がみたタイガーマスクは、映画の「燃えよドラゴン」のブルース・リーのような軽いステップでリングをくるくると周り、そこから信じられないような跳躍力で、変形の後ろ回し蹴りを相手選手に喰らわせ、なおかつスタっと着地していた。
このムーブこそ、タイガーマスクの代名詞的な技の一つ「ローリングソバット」なのだが、当時は自身も少林寺拳法の少年拳士であったりと、プロレスにはあまり関心がなく、格闘技ファンであった僕は、その技の名前を知らなかった。
床にバネが仕込んであるんじゃないかと思うくらい、タイガーマスクは軽やかにステップを踏み、そして跳び、また飛んだ。そして空手をやっている人達よりも異様に素早くて綺麗なフォームの回し蹴りを連発してみせたかと思いきや、相手のバックから組み付いて垂直に持ち上げてから後ろに反り投げたのだ。
「力のあるヤツはスピードがない」。そんなステレオタイプな考え方でしか「強さ」の尺度を持っていなかった僕は、タイガーマスクの全てに魅了された。やがて黒いタイガーマスク「ブラックタイガー」が登場し、彼もまた独特のムーブで会場を沸かせたり、小林邦昭なる選手が、タイガーマスクのマスクを剥ごうとしたりと、尋常ではない盛り上がりに、思い切りのめり込んでいったのである。
当時もプロレスファンからすれば、有望な若手であった佐山サトルが海外遠征に行くということで日本を離れ、同じくらいの体格のタイガーマスクがデビューしたのだから、その正体はバレバレであったのだろう。だけど僕は佐山サトル自体を知らなかったので、タイガーマスクは全く正体不明のマスクマンであった。
数年後、タイガーマスクは新日本プロレスを離れた。その後、ザ・タイガー、スーパータイガーとして前田日明らと共にUWFを旗揚げし、格闘色の強いプロレスを追求し始めたのだが、興味はあれども、まだ専門誌は高すぎたし、テレビ放送もなかったので、自然興味は薄れていってしまった。
そしてそんな興味のフェイドアウトとともに、タイガーがプロレスを離れたという話を、専門誌の立ち読みで知り、さらに「ケーフェイ」なる暴露本でプロレスを八百長呼ばわりしたところで、僕の中で完全にタイガーマスクは終わった。
しかし、十年の月日を経て、ひょんなところで僕はタイガーマスクと再会することになった。しかもブラウン管越しではなく。
普通に中学高校を卒業して、大学に入った年のことだ。引っ越した先の近所には大きなクアハウスがあり、そこにスーパータイガージムなる格闘技のジムがあった。そここそが、初代タイガーマスクこと佐山サトルが指導する総合格闘技の道場だったのだ。
僕が、その場所の存在を知ったのは、中学の終わり頃から再びプロレスに興味を持ち始め、プロレスファンに回帰したからだった。当時は格闘技も並行して専門誌も購読しており、ブランクの間の情報も埋めていた。そこで佐山サトルがシューティング(修斗)なる格闘技を創設していることも知っていた。
そしてその頃には佐山サトルは僕の中で「元タイガーマスクで、今は別の格闘技の人」として整理がついていたし、タイガーマスクの伝説は伝説として消化していた。だが友人達とひとっ風呂浴びにいった先で、トレーニングウエア姿の佐山サトルがヌンチャクを持って、ウロウロしていたのだから驚いた。
その日は普通に帰ったのだが、格闘技仲間に大慌てで連絡をとり、気がつけば僕は何人かの人を経由して、佐山サトル「先生」の前に体験入門的な感じで立っていた。
インストラクターの人にミットを持ってもらい、蹴りや突きを受けてもらったりしていると、佐山先生は僕のところに来て「体重をのせるのはいいけど、蹴りが単調になるから速い蹴りと重い蹴りを使い分けた方がいいよ」とアドバイスをしてくれて、それから「こうね」というや、目の前で「あの」タイガーマスクのマシンガンのようにクイックな回し蹴りを見せてくれた。
ちなみに当時の佐山先生は、誌面で見るよりもはるかに太っており腹も出ていた。筋肉の量はともかくとして、当時であれば僕の方が明らかに痩せていたくらいだ。
だが、それにも関わらず、佐山先生の蹴りは僕のそれとは比べものにならないくらい速くシャープで、なによりも威力があった。何かの間違いのように太っていた佐山先生であったが、そのキックは間違いなくタイガーマスクのそれだった。「腐っても鯛」ならぬ「太ってもタイガー」といったところである。
数十分の体験入門が終わって、僕は着替えてスーパータイガージムを後にした僕は、すっかり興奮していた。その後も何度か友人にくっついて練習をさせてもらったり、ミットやグローブなんかを買いに行ったりさせてもらったのだが、そんな中で「タイガーマスクの蹴り」を教えてもらったりもした。
蹴り足の膝を上げて身体に巻き込むようにして振り抜き、インパクトの瞬間に蹴り足の踵を捻りこむ。いわゆる「コークスクリューキック」という技術だ。膝蹴りにも前蹴りにも変化させることが出来る万能型のキックであり、独自の技術だった。
無論一朝一夕でマスターできるようなものではなかったし、スーパータイガージムに通ってマスターするということも出来なかったのだが、仲間達との自主練習や大学のサークル、その後の道場がよいなどでも気がついた時には練習していたし、打てるかどうかは別として今も身体は覚えている。
小学校にあがるかあがらないかの頃に出会った虎仮面の超人は、少年時代の僕に憧れと伝説を残し、その十年以上後にマスクを脱いだ姿で青年になった僕の足に技術を授けてくれた。 そしてそれからさらに十年後に至った今では、こうして文章を書くときのネタを授けてくれている。
色々面白い人物や出来事をもたらしてくれるプロレスだが、その中でもタイガーマスクという存在が、僕にとって特に重要なのには、こういう理由があったりするのだ。
みやもと春九堂
タイガーマスクという選手の存在は僕らの年代で知らない「男の子」はいないだろうと思う。リアルタイムで試合をみたということがなくても、少年誌では彼の存在は取り上げられていたし、テレビでアニメも放送していた(2世だったかな)。
僕がみたタイガーマスクは、映画の「燃えよドラゴン」のブルース・リーのような軽いステップでリングをくるくると周り、そこから信じられないような跳躍力で、変形の後ろ回し蹴りを相手選手に喰らわせ、なおかつスタっと着地していた。
このムーブこそ、タイガーマスクの代名詞的な技の一つ「ローリングソバット」なのだが、当時は自身も少林寺拳法の少年拳士であったりと、プロレスにはあまり関心がなく、格闘技ファンであった僕は、その技の名前を知らなかった。
床にバネが仕込んであるんじゃないかと思うくらい、タイガーマスクは軽やかにステップを踏み、そして跳び、また飛んだ。そして空手をやっている人達よりも異様に素早くて綺麗なフォームの回し蹴りを連発してみせたかと思いきや、相手のバックから組み付いて垂直に持ち上げてから後ろに反り投げたのだ。
「力のあるヤツはスピードがない」。そんなステレオタイプな考え方でしか「強さ」の尺度を持っていなかった僕は、タイガーマスクの全てに魅了された。やがて黒いタイガーマスク「ブラックタイガー」が登場し、彼もまた独特のムーブで会場を沸かせたり、小林邦昭なる選手が、タイガーマスクのマスクを剥ごうとしたりと、尋常ではない盛り上がりに、思い切りのめり込んでいったのである。
当時もプロレスファンからすれば、有望な若手であった佐山サトルが海外遠征に行くということで日本を離れ、同じくらいの体格のタイガーマスクがデビューしたのだから、その正体はバレバレであったのだろう。だけど僕は佐山サトル自体を知らなかったので、タイガーマスクは全く正体不明のマスクマンであった。
数年後、タイガーマスクは新日本プロレスを離れた。その後、ザ・タイガー、スーパータイガーとして前田日明らと共にUWFを旗揚げし、格闘色の強いプロレスを追求し始めたのだが、興味はあれども、まだ専門誌は高すぎたし、テレビ放送もなかったので、自然興味は薄れていってしまった。
そしてそんな興味のフェイドアウトとともに、タイガーがプロレスを離れたという話を、専門誌の立ち読みで知り、さらに「ケーフェイ」なる暴露本でプロレスを八百長呼ばわりしたところで、僕の中で完全にタイガーマスクは終わった。
しかし、十年の月日を経て、ひょんなところで僕はタイガーマスクと再会することになった。しかもブラウン管越しではなく。
普通に中学高校を卒業して、大学に入った年のことだ。引っ越した先の近所には大きなクアハウスがあり、そこにスーパータイガージムなる格闘技のジムがあった。そここそが、初代タイガーマスクこと佐山サトルが指導する総合格闘技の道場だったのだ。
僕が、その場所の存在を知ったのは、中学の終わり頃から再びプロレスに興味を持ち始め、プロレスファンに回帰したからだった。当時は格闘技も並行して専門誌も購読しており、ブランクの間の情報も埋めていた。そこで佐山サトルがシューティング(修斗)なる格闘技を創設していることも知っていた。
そしてその頃には佐山サトルは僕の中で「元タイガーマスクで、今は別の格闘技の人」として整理がついていたし、タイガーマスクの伝説は伝説として消化していた。だが友人達とひとっ風呂浴びにいった先で、トレーニングウエア姿の佐山サトルがヌンチャクを持って、ウロウロしていたのだから驚いた。
その日は普通に帰ったのだが、格闘技仲間に大慌てで連絡をとり、気がつけば僕は何人かの人を経由して、佐山サトル「先生」の前に体験入門的な感じで立っていた。
インストラクターの人にミットを持ってもらい、蹴りや突きを受けてもらったりしていると、佐山先生は僕のところに来て「体重をのせるのはいいけど、蹴りが単調になるから速い蹴りと重い蹴りを使い分けた方がいいよ」とアドバイスをしてくれて、それから「こうね」というや、目の前で「あの」タイガーマスクのマシンガンのようにクイックな回し蹴りを見せてくれた。
ちなみに当時の佐山先生は、誌面で見るよりもはるかに太っており腹も出ていた。筋肉の量はともかくとして、当時であれば僕の方が明らかに痩せていたくらいだ。
だが、それにも関わらず、佐山先生の蹴りは僕のそれとは比べものにならないくらい速くシャープで、なによりも威力があった。何かの間違いのように太っていた佐山先生であったが、そのキックは間違いなくタイガーマスクのそれだった。「腐っても鯛」ならぬ「太ってもタイガー」といったところである。
数十分の体験入門が終わって、僕は着替えてスーパータイガージムを後にした僕は、すっかり興奮していた。その後も何度か友人にくっついて練習をさせてもらったり、ミットやグローブなんかを買いに行ったりさせてもらったのだが、そんな中で「タイガーマスクの蹴り」を教えてもらったりもした。
蹴り足の膝を上げて身体に巻き込むようにして振り抜き、インパクトの瞬間に蹴り足の踵を捻りこむ。いわゆる「コークスクリューキック」という技術だ。膝蹴りにも前蹴りにも変化させることが出来る万能型のキックであり、独自の技術だった。
無論一朝一夕でマスターできるようなものではなかったし、スーパータイガージムに通ってマスターするということも出来なかったのだが、仲間達との自主練習や大学のサークル、その後の道場がよいなどでも気がついた時には練習していたし、打てるかどうかは別として今も身体は覚えている。
小学校にあがるかあがらないかの頃に出会った虎仮面の超人は、少年時代の僕に憧れと伝説を残し、その十年以上後にマスクを脱いだ姿で青年になった僕の足に技術を授けてくれた。 そしてそれからさらに十年後に至った今では、こうして文章を書くときのネタを授けてくれている。
色々面白い人物や出来事をもたらしてくれるプロレスだが、その中でもタイガーマスクという存在が、僕にとって特に重要なのには、こういう理由があったりするのだ。
みやもと春九堂