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今回は寂しいブログです
前のブログで義理の父の肺がんのことを書いた
結局のところ、先週の金曜の夜11時くらいに病院から連絡があって、すぐに妹の妻のところにも連絡があった
ちょうど近くのドラッグストアに買い出しに出ていた妻はそこで連絡を受けたから、そのまま病院へ向かうと僕に電話してきた
僕はかなり妻が気が動転していたから約1時間の道のりを気をつけていきなよと伝えた
妻は子供たち2人をすぐに追っかけてきてと
子供達にじいちゃんが危ないから、すぐに着替えて出るよと、すぐに出た
約1時間後に50キロ走り病院へ着いた
そこの病院のガードマンとして管理する会社に勤めている妻の姉の次男
本家の次男だから直系の孫だけど、緊急の入り口に◯◯さんのご家族ですと、自分の苗字を言いながら病棟のナースステーションへ連絡してくれた
次男は目が赤くなってたけど仕事してるからまだ間に合うと思い病室へ向かったらナースステーションで止められた
案内された場所は多目的室というところ
入るとベットが1つでお義父さんが向こうを向いて寝てる
点滴もしたままで稼働してたから、どんな状況なのか理解できなかった
でも、妻がじいちゃんと泣きながら呼んでるが動かない
そこで看取れなかったんだと、もう亡くなってるんだとわかった
仕事してた次男は自分の苗字を言いながら向かえないこと辛かっただろうな
それから医師が来て亡くなったことの確認をしようとしたから、まだ長男夫婦が来てないからと待ってもらった
おそらく連絡をもらった時には亡くなっていたんだと思う
実の孫が下で仕事していたのに、上司に連絡がつかなくて病室に行けなかったらしい
すぐに向かえば間に合ってたかもしれないのに
10日に入院して15日から抗がん剤を薄めて一回と放射線を3日やっていた
心臓にペースメーカーが入っている84歳の身体は心臓も悲鳴をあげていて、少しの抗がん剤でもダメージがあって心不全を起こしてたらしい
腎臓も機能しなくて、心臓を守れば腎臓が、腎臓を守れば心臓がとなっていた
胸水が溜まるのが早く抜いても追いつかなくなっていたとのこと
亡くなる週の月曜には姉夫婦と説明を聞きに行っていた
HCUという部屋にいたが、医師からは治療を止めれば、緩和ケアをしながら在宅でも少しは過ごせると言ってたのにな
月曜に説明を受けて次の日には一般病棟へ行ったけど、水曜には危ないからどんどん会わせたい人を会わせてあげてくれと医師から連絡があった
それが金曜の9時くらいのラウンドの時の看護師は普通に寝てたとのこと
その次のラウンドで意識もなく呼びかけに反応しなく連絡してきた
結局のところ妻が1番に着いたけど、既に亡くなっていた
介護みたいになって迷惑かけるんだったらそのままいった方がいいと言ってた
でも、抗がん剤でもなんでもやって少しでも生きて畑で野菜をつくりたいと言ってたのにな
妻の実家は酪農をして生計を立てている、昔ながらの古い家で周りとの繋がりも強い
この1週間の間は通夜から葬儀までその後も参列出来なかった人が毎日のように来る
妻のお母さんは、当たり前だけど意気消沈してしまってる
恰幅のいい人だったけど20キロは痩せただろうなってくらいお父さんが生きていた時から痩せ始めてた
妻はこの1週間泊まりっぱなしで僕もほぼ泊まっていた
猫がいるから1日に一回はエサとトイレ掃除に帰ってきてたけど
酪農の朝は早い
エサをあげるのも4時にはあげてる
お母さんの仕事は子牛のミルクをあげること
ボケ防止のためにやらせてるとのこと
4頭いるから、ミルクを作って僕もあげるのを手伝った
息子たちも手伝ってた
僕は帰る最後の日はお母さんの手伝いのミルクやりと搾乳は出来ないから、フン掃除を手伝った
以外と草食動物だから似合わない、うちの猫の方が臭いくらいだ
仕事は辞めたいと思っているけど、この仕事だったら人間関係はあまりなくて動物相手っていいなと思った
365日毎日の仕事だから甘くはないけど楽しいって思った
本当は免疫治療してるし感染しやすいから土いじりとかダメと言われてるから、酪農の手伝いもダメなんだろうけど
無事にお義父さんの葬儀も終わり明日から仕事が始まる
辞めたい病が出てるけど、もう限界だったら仕事辞めてもいいかなと思えた出来事だった
お義父さんはぶっきらぼうだけど、その中にも優しさがあってすごく愛される人だったな
天国でゆっくりしてほしいな
僕も治療しなければ数ヶ月と言われたから他人事とは思えない
大丈夫、今日も生きてる