去年長崎で開催されたロバート・キャパ[その生涯と作品]を見に行きました。
でも一番印象に残ったのはキャパではなく、
特別出品されていたジョー・オダネル氏の「被爆した弟を背負う長崎の少年-1945年」
「焼き場に立つ少年」とも言われているみたいです。
撮影されたのが日本、長崎だからより心を打たれたのかもしれません。
原爆投下直後に、アメリカ軍の報道写真家ジョー・オダネルが撮影。1999年に発見、公開され複数の教科書に掲載されるなど大反響となる。撮影された少年と場所は不明。
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。男たちは60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。男達は幼子の手と足をもつとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい炎がさっと舞立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。少年があまりにきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような赤い炎が静まると、少年はきびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。
(インタビュー・上田勢子)
[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]
少年の悲しみをこらえての気丈な表情や態度に胸を打たれます。
子供にはいつの時代にも笑顔でいてもらいたいものです。
今日は朝から晴れていて清々しい。
11時2分、今年は黙とうをしようと思った8月9日の朝。
