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リーマン編集者の「その日暮らし」

某オウンドメディアの契約編集者の仕事の記録、および身辺雑記

最近連続して逃亡犯が捕まった、例の宗教団体について取材している。


といっても、過去の資料を片っ端からひっくり返して、結局あの人たちはなんだったのか、ってことを改めて振り返っているだけだけど。ほぼ新たな取材なしで、資料だけで記事を構成するのは、ちょっと違和感がある。こんなんでいいんかいな、と。


まあ、資料の量には全く困らない、というか多すぎて見切れない。日本、というか世界史に残るようなテロ事件だしね。あと、あの人たちが捕まる前に自分たちで作っていた発行物が面白すぎる。空中浮遊の仕方とか、瞑想による超越体験とか。


あのテロ事件が起きたとき、僕は中学1年生だった。チンカスと呼ぶのすら憚られるような、まあひとりの人間として認められないような存在だったころだ。思考力のカケラもないので、「ああ、なんか大変なガスがまかれたんや」という感想とも言えない感想しか思い出せない。ああ、そういえばみんなで「あいつらヤバイなー」とか話してたとき、同じ部活の友達が「しっ。あいつら、誰が信者で、どこで聞いてるかわからんねやで」と言っていたことがあった。そのときは「ホンマかい」としか思わなかったし、さすがに田舎の中学にはいなかったと思うけど、当時はマジでちょっと教団の邪魔だなと思われたらそれだけで命を狙われるような、本当にそういう団体だったと最近知った。


あの時代はバブル崩壊から数年たって、ノストラダムスがどうとか世紀末に滅びるとか言われていて、なんか閉塞感があったらしい。いまも、リーマンショックや欧州危機があって、日本全体の閉塞感は半端ない。似てるといえば似てるのかもしれないし、だからといって同じようなことが起こるとは思わないけど、「むう」と何か思うところがあるようなうめき声をあげたくなるくらいの感慨はある。


みんな、きっと何かにすがりたい。俺についてくれば大丈夫だ、この会社ならもう大丈夫だ、そんな風に言われたい、のかもしれない。でも、こうすれば大丈夫、なんてのは、いまこういう時代だから、じゃなく、きっといつの時代もそうじゃないのかな。しんどいけど、基本自分の足で立って、あとは人と支えあうしかないんだと思う。ただもたれるのでも、もたれ合いでもなく。


年をとるごとにブログを更新してきたけど、今年は遅れた。最近、パソコンを自宅で開くことがめっきり少なくなったからだ。


先日パソコンを買って、今日初めて立ち上げた。そのついでに何か書きたくなった。


31といったら、もう問答無用に30代です。30まではなんか往生際悪く「まだ30代初心者ですから」「まだ20代に片足突っ込んでるようなもんですから」といった感じが無意識にしろ心のどこかにあったが、もうそんなもんはない。ぶっちゃけ、39とそんな変わらんような気さえする。アラサーなんて言葉は20代後半からせいぜい30までの人を指す言葉であって、31のオッサンはもうそんなカテゴリーには入らんのではないか。


僕はフリーランスだから、会社員と違って将来の保障もいま何かあったときの保障もない。それを考えると、正直稼げるときに稼いでおかないと人生の終盤で文字通り路頭に迷うことになる。自分だけならそれでもいいが、どういう因果か家庭をもってしまった以上、なんとか人並みの生活を送る責任がある。


そんなわけで考えることは「なんか稼げる仕事ないかなー」ということばかり。30代にもなったら、普通はもうちょい、会社全体のこととか、部下にどう気分よく働いてもらうかとか、あるいは余裕ぶちかまして趣味に没頭するとか、そーいうのじゃなかったのか。部下もったこともないわ。


どこで人生間違えたのか。なんて言ってはみるが、本当はそんなこと毛ほども思わず、過去の自分の選択を後悔してないのがどうにもならん。そもそも生き方を間違っているという話だけど、楽しいと思えることをやらずに生きる意味を感じないから仕方ない。


もうちょっと、余裕がほしい。そうしたら、いろいろなことがもっと落ち着いてできるのに。いま生きるのに必死っていうのは、20代前半の生き方だよなあ。残念。


日が明けて、いま2012年3月12日。


震災から1年と1日ということで、いちおう何か書き残しておこうかとも思ったけど、そんな情緒的なものは実はあまりない。亡くなってしまった人たちの鎮魂を祈る気持ちはもちろんあるけど、それ以上心にぐっとくる何かがあるわけじゃない。諸事情を踏まえた自分の決断で、被災地へ取材に行っていないことも関係あるかもしれない。ないかもしれない。


世の中は反原発、推進派と騒いでいるけど、これも正直なところ、そんなに関心ない。自然エネルギーで世の中がうまくまわるのならそれに越したことはないけど、それで日本の経済力が本当に落ち(るかどうかは本当によくわからないけど)、技術力や雇用が失われるのなら段階的に原発を減らしていけばいいと思うし、それは専門家がよく議論して決めてくれればいい。


いわゆる「原子力ムラ」は以前は絶対的な力を持っていたかもしれないけど、いまとなっては何もできない。きちんと第三者が監視するシステムの上で、オープンな議論をすれば、たぶん「ほどほど」のところで落ち着く。20~30年で完全に原発を廃炉にするとし、それまでは最新かつ何重にも安全策を強化した原発を10基前後で稼動する。そんなところじゃないかな。


どうしても稼動はなりませんとなったら、それはそれでその中でやりくりするしかないし、たぶんどうにかできるだろう。いろんなところにいろんなしわ寄せはいくかもしれないが、それは仕方ない。痛みを受け入れながら、やっていく。反原発でも推進でも、どっちの選択肢を選んだって、それなりのリスクなり痛みなりは負う。そのデメリットの総合的な価値はたぶんそんなに変わらない。だから、それは誰かが決断してくれればいいと思う。


被災地の、「被災者の物語」もあまり見聞きしようという気にならない。それよりは、これからどう社会として復興するのか、被災地の経済はどうするのか、大きなシステム、流れ、社会的な動きのほうが気になる。これからどうするのか。どうなっていくのか。過去の映像を繰り返し流されても、もういまさら何も変わらない。


こんな風に考える自分を自分で冷たいと思う。なんで被災者にもっと寄り添った目を持てないのかと自分でも思う。


つまるところ自分の関心事は、個人単位で言うと自分がどうなるか、どうしたら成長できるかということで、その興味の範囲はせいぜい自分の周囲まで。その次は、アカの他人や町村単位をすっ飛ばして国なり社会全体になる。たぶん、全体をよくすることが多くの個人の人生をよくすることにつながると考えているからだ。だから個々の小さなケースには目がいかない。自分および自分の周囲を除いて。


ひどい人間だと思う。でも、こういう人間も必要なんだと思いながら、明日もせっせと仕事をする。たぶん、どこかで誰かにつながっている。


最近、インタビューの仕事が多いが、これが楽しい。何度も書いている気がするけど、この仕事の醍醐味って、やっぱりいろんな人に会えることだ。これは本当に、換金もできなければ何にも変えられない。質の高いコミュニケーションは最高のエンターテイメントだなと思う。


でも、成功している人とかなにがしかを成し遂げた人(もしくは成し遂げているさなか)の人に割に共通することがちょこちょこある。インタビューしてて、「あれ、同じようなこと○○さんも言ってたな」みたいなことがままある。


最近でいうと、「とにかく笑えばいい」「とにかくノー天気でいい」「ただ自分にできることは何かを考えて、前向きに実行すればいい」なんてこと。最近、日本というと暗い話題ばっかりで、どうにもならんと思うことばかりだけど、頑張れている人は結構楽観的だし、前向きだ。


ダメだと思う前に、いま自分にできることは何か。いまの自分の選択肢は何があるか。自分の内面と話してみる。案外、大したことではないかもしれないけど、できることは何かあるもんです。特別な能力なんてなくても。


個人的なことでいうと、きつい批判記事や皮肉った記事より、前向きなインタビューをうまくまとめたときのほうが気分がいいし、前向きになれるね。今日はまさにそんな感じだった。

年が明けた。もう2012年。31歳になる年だ。


職場に若い人がいない状況がずっと続いているので、雰囲気的には35までは若手みたいな空気になっているけど、31っていったらもう中堅だよな。自分で考えて自分で動いて、自分で儲け話を持ってこないといけない。言われたことをやっていればいいって年じゃない。本当は25くらいからそのぐらいの意識で働いてなきゃいけないと思うけど。


最近よく考えるのは、起業するか、会社員になるかということ。まあ、個人事業主として3年近くやってきたから、いまさら会社員ってのも何かつまんないかな、と思っているだけで、起業のアイデアも開業資金も、何もないんだけど。


人の欲について考えた。よく人間の三大欲望として食欲、性欲、睡欲とかいうけど、いちばん強い欲って、単純に「モテたい」ってことじゃないかと思う。モテたいってのはただ性欲だけではなくて、チヤホヤされたいとか、人に好かれたいとか、その好意によっておいしい思いをしたいとか、なんかそういうトータル的なものをすべて含んでいるんじゃないだろうか。極論、大してうまいもの食えなくても、いいとこに住んでなくても、魅力的な女の子(あるいはイケメン?)に好かれて、先輩に可愛がられ、後輩に慕われて、友達と楽しく安い酒でも飲んでられれば、それで十分楽しいんじゃないか。逆に、メッチャ稼いで、いいもの食っていいとこ住んでても、彼女も友達もいない人生なんて楽しくないと思う。


あと、この三大欲望に含まれてなくて、あんまり普段意識しないけど実は結構強いのが、成長したい欲と人の役に立ちたい欲。人間、成長を実感しないと充実感がないというか、快楽的な生活をするだけじゃ得られないものがそこにある気がする。あと、人の役に立って「ありがとう」と言われると嬉しい。これは、別にいい人ぶってるわけじゃなくて、案外みんなある気がする。単純な欲望とは少し次元の違うところにある、でもけっこう大事な欲望。


で、これらの欲望をトータル的に満たすのって、結局他者とのコミュニケーションじゃないだろうか。悪意や表面のコミュニケーションじゃなくて、なんか薄っぺらい言葉だけど人と心を通わせたコミュニケーションというか。つまり、他者と質の高いコミュニケーションがとれたとき、なんとなく相手と相思相愛になった気持ち(モテ)になって、ちょっと人として成長した気になって、人の役に立った気がする。


こういうことをうまく使った商売を何かメディア業界でできないだろうか。あ、つーかそれってSNSちゃうの。もうあるやんけ。


ってところでいま思考がとまっています。たぶんSNSでカバーできてないことが色々あるんじゃないかなと思うんだけど、まだまとまってません。


やっぱり、本当は起業してみたいな。まだ自分が何をしたいのか、何ができるのか、具体的な準備どころかビジョンも定まってないからまだまだ先の話だと思うけど。メディアがダメならカフェダイニングみたいなのでもいいな、ってぼやーっと思うだけ思ってる。


なんにせよ、今年は何か新しいことに挑戦してみたい。口だけになりませんように。