最近連続して逃亡犯が捕まった、例の宗教団体について取材している。
といっても、過去の資料を片っ端からひっくり返して、結局あの人たちはなんだったのか、ってことを改めて振り返っているだけだけど。ほぼ新たな取材なしで、資料だけで記事を構成するのは、ちょっと違和感がある。こんなんでいいんかいな、と。
まあ、資料の量には全く困らない、というか多すぎて見切れない。日本、というか世界史に残るようなテロ事件だしね。あと、あの人たちが捕まる前に自分たちで作っていた発行物が面白すぎる。空中浮遊の仕方とか、瞑想による超越体験とか。
あのテロ事件が起きたとき、僕は中学1年生だった。チンカスと呼ぶのすら憚られるような、まあひとりの人間として認められないような存在だったころだ。思考力のカケラもないので、「ああ、なんか大変なガスがまかれたんや」という感想とも言えない感想しか思い出せない。ああ、そういえばみんなで「あいつらヤバイなー」とか話してたとき、同じ部活の友達が「しっ。あいつら、誰が信者で、どこで聞いてるかわからんねやで」と言っていたことがあった。そのときは「ホンマかい」としか思わなかったし、さすがに田舎の中学にはいなかったと思うけど、当時はマジでちょっと教団の邪魔だなと思われたらそれだけで命を狙われるような、本当にそういう団体だったと最近知った。
あの時代はバブル崩壊から数年たって、ノストラダムスがどうとか世紀末に滅びるとか言われていて、なんか閉塞感があったらしい。いまも、リーマンショックや欧州危機があって、日本全体の閉塞感は半端ない。似てるといえば似てるのかもしれないし、だからといって同じようなことが起こるとは思わないけど、「むう」と何か思うところがあるようなうめき声をあげたくなるくらいの感慨はある。
みんな、きっと何かにすがりたい。俺についてくれば大丈夫だ、この会社ならもう大丈夫だ、そんな風に言われたい、のかもしれない。でも、こうすれば大丈夫、なんてのは、いまこういう時代だから、じゃなく、きっといつの時代もそうじゃないのかな。しんどいけど、基本自分の足で立って、あとは人と支えあうしかないんだと思う。ただもたれるのでも、もたれ合いでもなく。