その道は、北口が伊豆半島を目的地にし、国道414号が混雑している際、
沼津市大平~函南町へ抜ける、北口にとっては文字通り「抜け道」みたいな道です。
法定速度は30km/hの道なので飛ばす事はできませんが、
極端な渋滞はなく、また対向車と変われるスペースもボチボチあるため、それなりに便利に使っています。
そして、恐らく30km/hな理由は、中程にある『市立第三中学校』の存在。
本日ご紹介するのはその『市立第三中学校』の前にある『海軍技研址』です。
特に意識せずに走っていたら、きっと気付かない事でしょう。
その跡地はほとんどが住宅地になっており、そこに『海軍技研』が在った事を全くに感じさせません。
それを伝える、ほぼ唯一と言えるであろう、その存在を伝えるのがこの『石碑』です。
もしここが、北口の地元であるならば「地主が先祖代々のお墓だけを残し土地を売却した」という風情で、
辺りの住宅や駐車場とを見比べると、どうしても違和感を感じずにはいられません。
ところが『石碑』の裏面に回り、そこに彫られた文言を読むと「空爆の犠牲~往時を偲び」とあり、
前述の北口の戯言も、あながち見当はずれというワケではない事に気付きます。
これは単純に『海軍技研址』を示す石碑ではなく、ある意味”墓標”と言えるものなのかもしれません。
いくつかの意味でこの場所が『戦争遺跡』である事を悟り、やや複雑な思いで手を合わせお参りしました。
=沼津海軍技研================================================================================
大正12年に東京に設立された海軍の兵器開発・研究機関です。
沼津に設置されたのは音響研究部門で、昭和16年のことです。
(現第三中学校とその周辺約82,000坪が敷地でした)
この研究所のほかに工員宿舎・実験用水槽・作業場・倉庫なども配置されていました。
江浦、淡島、大瀬崎、長井崎、多比、下土狩などにも用地・設備を保有し、
実験用船舶も10隻以上あったと言われています。
この研究所では空中・水中聴音機、潜水艦探知機などの開発研究が行われたと言われます。
沼津の水道の基礎となったと伝えられます)
※沼津市HP「ぬまづの宝」より。
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物理的には何も残っていなくても、語り継がなければならなに事があり、
それを語り継ぐため、残される「何か」が、この『石碑』なのでしょう。
「上手く行くことが少ない」と嘆いてみたり、
「何かいい事ないかなぁ」などと呟く事の多い日常ですが、
平和でいられている今は、とても幸せな事なのかもしれません。
いつまでも、いつまでも、この平和が続きますように。
09303102