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沼津でいこう。ameblo版

良いも悪いも沼津を愛せばこそです。

≪前回のあらすじ≫
城下町らしくか、規則正しく敷かれた道の中で、唯一?あからさまに?斜めになっている道があります。
『海軍工廠』の形状がやや歪に見えるのは、この『斜めの道』を避けて作られたからだそうです。

Q.この道が斜めなのは何故なのでしょうか??

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正解はこちら。

A.『弾丸列車』の線路建設予定地。

んで「『弾丸列車』って何??」って方に、素人の北口なりに分かりやすく言うと、後のコイツって感じです。

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=弾丸列車計画================================================================================

昭和14年には「鉄道幹線調査会」が勅令をもって設立され、輸送力拡大のための方策が具体的に検討されるようになり、11月に結論として早期に同区間に別線の高規格鉄道を敷くことが必要であるということになった。

この時、既に鉄道省内部では新しい幹線を引くということから「新幹線」「広軌幹線」という言葉でこの計画を呼んでいたが、新聞など世間一般では弾丸のように速い列車が走るということから「弾丸列車」と言う用語を使用するようになった。

なお「新幹線」という言葉はこの時用いられたのが最初とされ、戦後に当初「東海道新線」と呼んで立案されていた「東海道広軌別線敷設計画」も、後にこの表現を用いて「東海道新幹線」と呼ぶようになっている。

構想として、将来は対馬海峡に海底トンネルを掘削し、満州国の首都新京(現:長春)や中華民国の北京までの直通列車を走らせるというものもあった。太平洋戦争(大東亜戦争)によって日本軍がシンガポール(昭南)を獲得すると、そこまでの延長も画策されたという。

しかしながら太平洋戦争の戦局が悪化したため、昭和18年度をもって工事は中断されてしまった。新丹那トンネルや東山トンネル等の工事は進んでおり、用地買収も東海道区間については戦時体制による半ば強制的な形で多くが完了していたため、戦後の東海道新幹線建設計画においてそれらは活用されることになる。

※いつも通りウィキペディアより加筆修正。
 てーか、長々と読むのがイヤな人は『ニコニコ動画』の以下動画をご覧ください~(冷汗)


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んでは『弾丸列車』を思い描きながら、その斜めの道を西から東に歩いてみたいと思います。

■マックスバリュ 沼津沼北店 付近

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■新沢田交差点 付近

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■JAF沼津事務所 付近 *幟道通りと交差。

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■蕎勝人沼津店 付近

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■ブックオフ沼津リコー通り店 付近 *リコー通りと交差。

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■雅心苑金岡店 付近

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■特別特徴的では無い場所 付近 <??

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■しまむら学園通り店 & ドコモショップ沼津学園通り店 *学園通りと交差。

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■100えんハウスレモン沼津店 付近

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って、あからさまに一直線な部分は、あらかたこのくらいなのですが、
広域地図で見ると、国一バイパスの一部や、現在の新幹線の一部とかぶったりするようなしないような。

計画された『弾丸列車』のルートは、現在の『新幹線』とほぼ同じで、線形の悪さか、地盤の脆さか、
停車駅も、現在の路線で作られなかったのは、ただひとつ『沼津』だけだそうです・・・。

当初の計画が順調に進んでいたら、この道を『弾丸列車』が、そして『新幹線』が走っていたのかもしれません。

北「シッ、シッ、シッ、新幹線~~ン!!!」

叫んでみても『新幹線』はここより随分と上の方(愛鷹山麓)を走っています。
神奈川在住当時はほとんど意識しなかったのに、今はこんなにも『新幹線』に愛着(?)が湧いています。

んでは、ここで突然クイズです。

Q.くるおしい程に『新幹線』に愛着が湧いちゃった北口が次に向かう場所は何処でしょうか??

答えは・・・・・・・・またまた次回に続きます~。

つーことで、To Be Continue。
戦時中、沼津駅北の広大な土地に『沼津海軍工廠』が在りました。
※白地図は『明治史料館』に掲示されている物です。

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その跡地は住宅地になっており、そこに『海軍工廠』が在った事をなかなかに感じさせませんが、
ほぼ唯一と言えるであろう、その存在を伝える場所があります。

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その場所は、正に住宅地に溶け込んだ『神田町公民館』の隣り(&奥)です。

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入口には『金岡護国神社』と彫られた石が建っており、奥に参道が繋がっています。

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参道を進んで行くと、艶がかかった石碑が建っているのが見えます。

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その石碑には『沼津海軍工廠 工員養成所跡地』と彫られ、
この辺り一帯に『沼津海軍工廠』が在った事を教えてくれます。

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右手を見ると『金岡護国神社』の鳥居が見えます。
そして鳥居をくぐり、社の右手にある石碑を見て、この神社の由来を理解したのでした。

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そこには「日清露から太平洋戦争までの戦争に倒れた、金岡出身の英霊二百六十有余柱を祀る」とあり、
ここが神社である事はもちろん、慰霊塔であり、もしやお墓という意味合いも持っている事に気づきます。

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いくつかの意味でこの場所が『戦争遺跡』である事を悟り、やや複雑な思いで手を合わせお参りしました。

     

=沼津海軍工廠================================================================================

沼津海軍工廠(ぬまづかいぐんこうしょう)は、かつて静岡県沼津市にあった海軍工廠。
沢田、熊堂にまたがる広大な土地に、1943年(昭和18年)6月開設。
約20000人の工員が働き電波探信儀や航空用無線機が製造されていた。
なおこの開設に伴い沢田にあった家屋は全戸強制移転させられた。

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※いつも通りウィキペディアより加筆修正。

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「上手く行くことが少ない」と嘆いてみたり、
「何かいい事ないかなぁ」などと呟く事の多い日常ですが、
平和でいられている今は、とても幸せな事なのかもしれません。

いつまでも、いつまでも、この平和が続きますように。



なんちて、先般の『御成橋』&『砲台公園』と同じ終わり方を試んでみましたが、
今回は、もうちょっとだけお話がつづきます。

まずは、この地図を見て「あれっ??」って思うところを探してください。
※ヒント=『金岡護国神社』付近が分かりやすいです。

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どうでしょう、お気づきでしょうか??
城下町らしくか、規則正しく敷かれた道の中で、唯一?あからさまに?斜めになっている道があります。

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『海軍工廠』の形状がやや歪に見えるのは、この『斜めの道』を避けて作られたからだそうです。

では、ここで突然クイズです。

Q.この道が斜めなのは何故なのでしょうか??

答えは・・・・・・・・思わせぶりに次回に続きます~。

つーことで、To Be Continue。
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なるほど『菊川●』を青く塗ったのですか。
『ブルーレイ』だけに『青い怜』ってダジャレで攻めるのですね。

んでも「してやったり感(?)」は有りつつも、ワリ~と目立つ場所に書かれた、
名前のフォントが妙に大きい辺りで、企画した人の自信のなさを感じます。

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ある物事が『粋』かどうかは、ほんのちょっとした事で差が出る物。
「分からない人は、分からなくて結構」って潔さを持って生きてゆきたいと思います。<なんだそりゃ。

PS.そろそろ『沼津』の記事を書きますよー。<このポスターは富士市で見たのでした~。
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震災の影響が有るのか無いのか、なだらかに沼津続投が決まった。
良いも悪いも、恐らく新記録と言えるであろう期間。

とは言え、これまでの事、そしてこれからの事を考えると、
正直なところ「異動(=転勤)でも良かったのになー」なんて思ったりしている。

僕はこの場所で失望や絶望を感じた。
そして、人間不信みたいな物に陥ったりもしてる。

沼津での5年間で、僕は何も手に入れていない。


今日は、なんとか馬鹿の日です。

きっと大丈夫。