横浜・臨港パークで開催された復興支援まつりは天気にも恵まれて大盛況でした。

「食べるカタログ」の表紙、2〜3ページの制作が来年春から新しい委託先に代わる関連で、高橋は生活クラブビギナーズの委託先が、生かきの生産者・丸壽阿部商店の取材をするのを手伝っておりました。正直「自分でやった方がよっぽど手間がかからなくてラク!」と思いつつもジッとガマン…。新しい委託先は関西の会社で、効果的に売り上げを伸ばす…がウリなのですが、東北人のウエットで情の深いメンタリティがどのくらい理解できているのかは、正直よく分からないなあ〜というのが、率直な感想でした。


と、私の仕事の話はどうでも良いので本題に。


提携先の三生産者が壇上であいさつしてました。













重茂漁協(岩手県宮古市)の山崎くんです。後川次長のもと、生活クラブの直接の窓口部署の20代職員です。カンペを見ながらも堂々のあいさつでした。我らが大下くんはこのスピーチを販売テントで待機しながら厳しくも温かい目で見守っていたようです。

丸壽阿部商店(宮城県南三陸町)の阿部専務のあいさつ。同社のある宮城県南三陸町では、高台移転や復興住宅は完備し、仮設住宅が解体されるようになったとの話でしたが、一方で、人口が震災前から比べると3割減った、というように過疎化が大きな課題との話でした。






高橋徳治商店(宮城県東松島市)の総務・高橋さんです。英雄社長のご長男です。営業のほうでお世話になっているご次男とはタイプが大分異なりますが、最新の水産業界のことから、就労支援などで地元社会に貢献している様子などを、自分の言葉で話す様子が印象的でした。社長曰く「遅咲きの子だから…」とのこと。感受性の面などは社長譲りなんだと思います。

高橋徳治商店のブースで配っていた近況報告。
横にして読んでくださいまし。





震災復興って言葉でイメージするものは人それぞれ違いますが、改めて私自身が思ったのは
●元どおりになるわけではない
●大抵の場合においてサイズダウンが求められている
●低空飛行であっても自力で飛べるようになったところで「復興した」と判断せざるを得ない

ということです。
支えたいと思った時に最も効果的でわかりやすいのは、月並みだけど「食べていく」こと、これに限りますね。

この祭りに対しては、これから何年、「復興支援」というカンムリを付け続けるんだろうと、素朴な疑問としては思います。
日本国だってオリンピックやって、「もはや震災後ではない」としてしまおうとしているんです。巷間の話題にのぼらなくなればどんどん過去のことになります。
それに抗って「我々は震災を忘れない」というのをベースには持ちつつも、震災から10年めあたりで節目を刻んで、新たな形の祭りに発展して行けたら、かえって長く続けていけるものになるんじゃないかな〜と。個人的にはそう思いました。