高校時代から
特技を持ってて、あるいは美貌で羨ましがられて嫌がらせされるタイプの子に共感して
そういう子と仲良くしてみてめちゃくちゃ感謝されたり
その子のお母さんにまで感謝されたりってことが2度ほどあった。
何か同じにおいを感じる子たち・・・。
注) 私自身、そこまでの特技や美貌はありませぬが・・・!
自分もなんだかんだで妬まれやすい性質の持ち主だった。
(中学時代は、何故こんな奴(私)が先生方に褒められまくるのか?と
周囲に思われていて、それでいじめられていた。
それも今思えば自分の自信のなさが招いていたみたい。)
妬むってことが一番私のなかでは理解できない感覚だったのね。
羨ましい~って感じることはあるけれど
それは、自分が努力していない時に発する単語なんだってわかってて。
結局、羨ましいというのは、自分のことにフォーカスできていなくて
ほかの人の基準で、ほかの人を比較しまくっているだけに過ぎない。
妬みと偏見は表裏一体。
だから、これらが全て真っ平らになったらいいのにって
理想像を持っていた。
だから、妬むことはないし、偏見も持たない
これが私のポリシーだった。
だから、どんなバックグラウンドの子でも仲良くできる、そう思ってた。
偏見がないタイプ、そう思ってた。
そういう地域で育ったっていうのもあるし
しかし!モヤモヤするの最近。
いろいろなことを学習してきたら
危険を感じさせるものには、私だって偏見はあるし。
(野性的カン)
それは生きていく上で必要なことだろう。
そう!私のモヤモヤは、重大なことを知らせてくれた。
友人が、親に素直に頼っていたり
当然その権利があるように暮らしていたり
親がマトモだったり、良好な関係を築けるその心に
私は、嫉妬していたんだなって
うちの親さえマトモだったら・・・
って。自分の努力だけじゃどうにもできない事実を
すごくコンプレックスに感じていたのだなって。
(実際、すごく気苦労していると思うし)
親や兄弟と仲良く出来ている理想像が、私の心を窮屈にする。
何でも人のせい(親のせい)にしちゃあいけないって
わかっていますが
偏見とかあまりしないタイプ・・・と思っていた自分が
実は、一番、親や弟を
偏見の目で見ているのに気がついた。
これが私のモヤモヤ。