はろう。アルバイト先に浴衣を着たカップルが入ってきて、なんとも言えない気分になった私だ。
もう夏祭りの時期になったのか、と行けなかったことを多少は勿体なく思いながらも、なんとなく足をそちらには向けられないでいるのだ。なぜなら、私は人混みが好きではないからだ。出店を始めとした祭りの雰囲気は好きなのである程度の暑苦しさは何とも思わないが、コロナウィルス収束後の爆発で、以前よりも寧ろ大幅に増えた人混みに身を投げたいとはどうしても思えないのだ。
これなら、収束以前の方がよっぽど身軽に動けたとすら思ってしまう。
旅行も同様だ。
観光地に出向けば、今となっては長蛇の列に並ぶことが避けられなくなっている。このままでは旅行をすること自体が億劫になってしまう日も、そう遠くはない。
これは旅行好きの私にとって、由々しき事態なのだ。
どうにも本題に結びつけるのを手こずってしまったので、力技を使わせていただく。
旅行といえば、
先日の記事(第5話)にあるように、懐かしいという感情は心地が良いのだ。そして私にとって大切な感情である。そんな懐かしさであるが、手軽に何かを懐かしむことができるようになった今、その感情がいとも簡単に壊れてしまうようになった。
旅行先で出会った思い出の曲を、幼い頃に観ていたアニメの主題歌を手軽に探し、聴くことができるようになった今、心地良さを求めてリピートした結果、それが懐かしくはなくなってしまうのだ。
ほどほどの頻度で楽しむことが大切だと今更気づいた私である。
実際にその、懐かしさの崩壊を経験した私は、我慢をするのではなく懐かしさの量産に手をかけた。
旅行をする度に旅行先のイメージに合った曲を選び、若干無理矢理にその曲をリピートする。打率は高くすらないものの、これで何とか懐かしさを量産できているというわけだ。
この時、今後ともよく聴くであろう個人的良曲は選ばないことだ。旅行後にもリピートしてしまっては本末転倒なのだから。
なんとなく悪徳業者感が溢れてきたところで、ここいらにしておく。
p.s. 写真は先日、母と高山に行ってきたときのものだ。とても雨が降っていた。
