東京23区内に気動車がやって来ていた頃 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

現在の東京23区の鉄道を見ているとなかなか想像できないのですが、東京23区に気動車が走っていた時代はありました。それも1980年代に。

(「奥久慈」キハ28 2384・日暮里・1982年11月)
1960~1970年代ではキハ80系の「はつかり」「白鳥」「ひばり」「はくたか」などやキハ181系「つばさ」といったディーゼル特急も走っていましたが、電化の進展で電車特急に置き換えられていきました。そんななか東京23区にやってくるディーゼル急行が1980年代に残っていたのです。
「奥久慈」は非電化の水郡線に直通する急行だったので、気動車を使わないわけには行かなかったのですが、その関係で上野~水戸間で「奥久慈」と併結する「ときわ」も当然気動車でした。
なお常磐線の荷物列車もディーゼルカーを使っていました。

また東北本線系統、高崎・上越線系統にもディーゼル急行が残っていました。東北本線系統では、上野~秋田間を走った急行「おが」が有名でした。

(「おが」キハ58 550・日暮里・1982年11月)
この「おが」の何が凄いって、運行する全区間が電化されているのに気動車を使っていたということです。それは製造コストが高い交直流急行形電車の製造両数を抑制していたため、秋田エリアの急行形車両は気動車しかなかったのです。しかも奥羽本線の板谷峠を越えるためにグリーン車のキロ28形以外は2エンジン搭載のキハ58形で組成していたので、普通車の冷房化が不可能でした。つまり非冷房で上野~秋田間を走っていたわけです。

この「おが」と共通運用だったのが、高崎・上越・羽越本線経由の夜行急行「出羽」です。

(「出羽」キハ58 504・日暮里・1982年11月)
夜行なのに普通車は非冷房&ボックスシート。でも1980年代はまだこういう列車が珍しくなかったんです。
で、なんでこんなことを書いたのかというと、名古屋や大阪って今でも気動車が普通に走っているんだよなって思ったからなんです。
ともあれ時代は変わったなぁ。