大和ミュージアムに行って来た(その1)「1/10大和は本当に巨大!」 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

広島出張のついでに、呉にある大和ミュージアムに行って来ました。

やっぱり1/10大和ってでけぇ!

さて、大和ミュージアムは呉駅から瀬戸内海まで真っ直ぐ歩いた先にあります。


道の向かいには潜水艦がありますが、あちらは海上自衛隊呉資料館のシンボルである「あきしお」。
1994年に除籍されたあと展示されたそうですが、もの凄く大きいですね。今回は時間がなかったので行けませんでしたが、あっちにも行ってみたいな。

で、入り口に到着。


1/10大和は大和ひろばに展示されています。

全長はなんと26.3m!
さて、日本海軍史上最大の戦艦大和を知らない人はいないでしょうし、たくさんの資料がありますので、細かい話はしませんが、1937年11月4日に起工、1940年8月8日に進水式を行ない、1941年12月16日に竣工しました。

そんな大和ですが、大和ミュージアムによれば様々な画期的な技術が導入され、それらは現在の技術の礎になっているのだとか。そこで今回は受け売りしてみようかなと思います。

まずは建造方法が画期的だったみたいです。
大和は建造期間を短縮するためにブロック工法を採用。また従来の進水してから艤装する方法から変更され、進水前に本体の組み立てと平行して艤装する先行艤装が取り入れられました。
これは戦後、造船業や高層ビルなどの建築に活用されているそうです。

また工数制御方式などの生産管理システムを本格的に導入。問題の早期解決や工事の進行具合を容易に把握。従来よりも重量比で低工数、低コストで建造しました。この技術はその後の造船技術の礎となりました。

装甲板は従来よりも対弾効力が高く、製造期間は半分という特殊なもので、製造コスト低減にも寄与。戦後の特殊鋼の製造に活用されたそうです。

大和は士官室と一部の兵員室に冷暖房を導入。夏でも27℃に保たれて快適性に優れ「大和ホテル」と呼ばれていたそうです。冷凍・冷蔵庫も223.4㎥もあり、乗組員が1ヵ月無寄港可能な食料を搭載することができました。この弱電技術は現在に継承されています。

発電機はディーゼル発電機4基とディーゼルターボ発電機4基を搭載。225V、600kWを発揮しました。この技術も大型発電機の技術に継承されています。

主機(メインエンジン)150,000PSの艦本式タービンエンジンを4基搭載。信頼性と安全性を重視した設計になっていました。

測距儀は世界最大の15mサイズ。2組の上下増合致式と、ステレオ式の3連装式でした。この技術はカメラなどの精密光学機器に大きな影響を与えています。

艦首はバルバルバウという球状艦首。

27ノット時に約8%の造波抵抗を低減させることができ、有効馬力の節約と航続距離の増大を実現しました。この球状艦首は現在も採用されています。

4基のスクリュー(推進器)は直径5mの3枚翼。

これは広海軍工廠の鋳造鋳物技術を結集したもので、前後の鋳物技術に活かされました。

舵は従来2枚を左右に配置していましたが、大和は15m間隔で前後に配置しています。

これは、同時に被害を受けることを避けることが目的でしたが、旋回性能も高かったようです。

46㎝3連装主砲は、約40秒毎に発射する能力を持っていました。

砲塔の重量は1基あたり2,760t。
この主砲を製造した工作機械は、戦後は大型船のクランク軸製造に使用されているそうです。
砲塔の組み立てと性能試験をしたピットは、現在も原子力の圧力容器の漏れをチェックする水圧試験に使用されています。

砲弾の重さは約1.5t.


スケールの大きさと技術にただただ圧倒されてしまいますが、大和は1945年4月7日に撃沈されました。
沈没の状態は近年の調査で明らかになりました。

宇宙戦艦ヤマトの夢を打ち砕くには充分な状況ですね。

そんな冗談はともかく、大和ミュージアムはなかなか見応えがありました。

(続く)