【思い出の国鉄・JR特急】Part4「いしかり」 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

小学2年生だった1976年8月。父親の転勤で札幌に引っ越ししました。そんな札幌で出会ったのがL特急「いしかり」。自分が初めて見た485系の特急電車です。そして初めて写真を撮ったのも「いしかり」でした。
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(「いしかり」クハ481-1500・白石・1977年12月)
小学3年生がポケットカメラで撮ったのでまぁこんな写真しか撮れませんでしたが(笑)

当時、北海道は函館本線小樽~旭川間が電化され、711系やED76形500番代が運用されていました。ビジネス的に重要視されていた札幌~旭川間には急行「かむい」のほかノンストップ急行の「さちかぜ」が運転されていましたが、全国的なL特急要望の声に応える形で電車特急の運転が決まりました。

当初は711系をベースに北海道向け交流専用特急形電車の開発を予定していましたが、主変圧器の冷却油として使用されていたPCBの毒性による使用禁止を受け、電車の開発は先送りされて、その間の暫定車両として485系をベースに新型主変圧器TM20形を搭載し、酷寒地対策を施した485系1500番代を投入。L特急「いしかり」として2時間ヘッド、7往復の運転が開始されました。

しかしパウダースノーによる雪害は深刻で、485系1500番代は主電動機のフラッシュオーバーを始めトラブルが続出。その結果、冬季の運転間隔を4時間ヘッドにするという事態となっていました。
また酷寒地ではレジン制輪子を使えず、鋳鉄制輪子を使っていました。電動車のDT32台車はブレーキ力を補完するために両抱き式にしていましたが、最高速度は100km/hに制限されていました。それだけ北海道の環境は厳しかったと言うことでしょう。

ともあれ、冬季以外では「いしかり」はその俊足ぶりを発揮。
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(「いしかり」クハ481-1501・白石~厚別・1980年7月)
自分としてはこの四つ目ライトがとても印象に残り、今も485系1500番代が好きな理由になっています。

この頃は札幌運転所にも入れてもらえたので、予備編成の写真も撮ることができました。
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(「いしかり」クハ481-1500・札幌運転所・1979年)
この頃はまだのんびりした良い時代でしたね。

1978年に北海道向け交流専用特急形電車781系900番代が登場。冬季の試運転で性能を確認して、営業運転を始めました。
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(「いしかり」クハ780-901・白石・1980年)
しばらくは781系と485系1500番代が混用されていましたが、1980年に781系量産車が登場して営業運転を開始。
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(「いしかり」クモハ781-1・白石・1980年7月)
これによって485系1500番代は「いしかり」から撤退し、青森運転所へ転属。
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(「いしかり」クハ481-1504・札幌運転所・1980年8月)
子供心に寂しいと言えば寂しかったのですが、これも仕方のない話ですよね。
もっとも1980年10月のダイヤ改正で千歳線と室蘭本線が電化され、「いしかり」が「ライラック」に発展的解消を遂げてしまい、北海道の電車特急はここで刷新されています。
自分は1980年8月に新潟県小出町に引っ越しましたので「いしかり」のラストは見ていません。でも初めて乗車したL特急「とき」と一番身近だったL特急「いしかり」が自分にとっての原点だったのかなって思います