
(「しおかぜ」キハ181・高松・1981年8月)
母親の実家が愛媛県土居町にあるため、普段は伊予土居に停車する急行「うわじま」「いよ」を利用していましたが、1974年に伊予三島から高松まで乗車し、宇高連絡船~寝台特急「瀬戸」という連絡ルートで利用しました。余談ですが、3番目に乗車したのは「瀬戸」となります。
1972年に登場した「しおかぜ」。初めて乗ったときはまだ3往復しか運転されていませんでした。
幼かったため最初に乗った印象は残っていません。ただ2枚折戸が開く際の空気の音にびっくりした記憶が残っています(笑)
ディーゼル特急と言えば一般的にはキハ82が有名ですが、自分としてはキハ181の方が印象深いです。
国鉄分割民営化直前の1986年、老朽化した急行形ディーゼルカーの置き換えと、急行の特急格上げを目的としてキハ185系が投入され、キハ181系とあわせて「しおかぜ」は13往復となりL特急化。1987年にJR四国が発足してキハ185系は帯色を変更。さらに1988年に瀬戸大橋が開通して「しおかぜ」は岡山始発の「しおかぜ」、高松始発の「いしづち」に系統分離されました。
この頃はキハ185系の「しおかぜ」にも乗る機会がありました。

(「しおかぜ」キハ185-1000・観音寺~豊浜・1988年8月)
なんとなく地味な前面デザイン。しかもステンレス車体と、いかにも国鉄末期を象徴していましたが、正直印象が残っていなかったり(笑
キハ181系もJR四国カラーに塗り替えられましたが、正直好きにはなれませんでした。

(「しおかぜ」キハ181-41・観音寺~豊浜・1988年8月)
瀬戸大橋開業直後のこの時は、JR西日本車を借り入れて増結していたので、国鉄特急色が混結されていました。
JR四国は制御付き自然振り子システムを搭載した2000系を導入しましたが「しおかぜ」で乗車はしていません。

(2107・多度津工場・2009年5月23日)
そして予讃本線電化で登場した8000系。開発当時は160km/h運転を目標としていましたが、レールブレーキが強力すぎたこともあり、実際には130km/h運転をしています。

(「しおかぜ」8003・美濃~高瀬・2009年5月23日)
8000系は結構乗車する機会がありましたが、体感スピードはかなりのものです。
四国のエースである「しおかぜ」ですが、自分的にはやはりキハ181系が一番印象深いですね。