
(クモハ419-3・谷浜・1989年8月)
初めて419系を見たのは1989年に新潟へドライブに行った時のこと。当時は高頻度運転電車をアピールするために各地区でニックネームがつけられていましたが、北陸地区は「TOWNトレイン北陸」と命名し、ヘッドマークを掲出していました。
後に若い人達から食パン電車と呼ばれるようになったこの顔ですが、当時の鉄道ファン誌は「国鉄ひょうきん族」と呼んでました。まさにジェネレーションギャップですね(笑)
次に419系に出会ったのは1998年のことですが、この頃には塗色も北陸色になっていました。この時初乗車も果たしています。

(クモハ419-13・敦賀・1998年)
419系は改造当初配置されていた金沢運転所から1996年に福井地域鉄道部に転属。国鉄時代末期に10年程度使えば良いとされていた簡易改造車ですが、すでに登場から10年以上が経過し、715系はこの年で消滅していましたが、419系の置き換えの話はまったく出ていませんでした。
そしてクハネ581形改造のクハ419形と初対面。419系の制御車は15両存在しましたが、クハ419形は6両と少数派。

(クハ419-3・敦賀・1998年)
クハ419-3はタイフォンシャッターがない暖地仕様。またヘッドマークの地色がクモハ419形と異なりますね。
2003年にボンネット「雷鳥」を撮りに行った際、クハ419-3と再会しています。

(クハ419-3・敦賀・2003年5月10日)
TWONトレインのヘッドマークは既になく、この頃は貫通扉も溶接されていました。
制御車の多数派はサハネ581形改造のクハ418形。

(クハ418-1・新疋田~敦賀・2003年5月10日)
乗降扉は2箇所とも新設されましたが、既存の扉に合わせていずれも700mm折戸です。
北陸トンネルを抜けてきたラストナンバーのクハ419-6。

(クハ419-6・敦賀~南今庄・2003年5月10日)
クハ419形のほとんどはタイフォンシャッター付でした。
419系の珍車っぷりは中間車にも現れています。

(モハ418-10・敦賀・2003年5月10日)
寝台電車583系は車両限界一杯の屋根に対してパンタグラフ部分を低屋根としていますが、撤去された第2パンタグラフ部分は低屋根のまま。
北陸には何度か行く機会があり、そのたびに419系を見かけるようになりました。

(クハ419-1・新疋田~敦賀・2005年11月19日)
疋田ループの大カーブを走る419系ですが、3両編成では短すぎてさまになりませんね(笑)
北陸本線は交直切換のデッドセクションが2箇所ありました。米原方は坂田~田村間に設けられましたが、1991年に長浜~虎姫間に移設。さらに2006年には敦賀~南今庄間に移設することになったため、この区間も直流化されました。

(クモハ419-9・新疋田~敦賀・2005年11月19日)
北陸本線もうひとつのデッドセクションは糸魚川~梶屋敷間にありました。

(クハ418-4・糸魚川~梶屋敷・2009年5月19日)
この2箇所のデッドセクションがあったことが419系登場の所以なわけですが、700mm折戸を始めとした構造が遅延の原因となるとされ、運用範囲は米原~福井間と富山~直江津間が中心となっていきました。

(クモハ419-7・有間川~谷浜・2007年9月15日)
移設された敦賀~南今庄間のデッドセクション区間を行く419系。デッドセクション区間では空気遮断器を作動させて停電状態となり、前照灯も屋上の1灯のみが点灯しています。

(クハ419-5・敦賀~南今庄・2009年6月25日)
クハ419-5はスリットタイフォンに耐雪カバーを装着していました。
N延命工事も実施され、いつまでも活躍していそうな感じがした419系でしたが、2006年10月から投入された521系に置き換えられ、運用区間が減少。そして2012年3月12日のダイヤ改正で引退しました。

(クハ419-2・金沢・2011年2月8日)
晩年のクハ419形は貫通扉と表示幕を埋め込み改造され、さらに異彩を放っていました。
国鉄末期を象徴した419系も今では見ることはできません。

(クモハ419-12・石動~福岡・2011年2月8日)
583系時代よりも遙かに長く生きた419系でしたが、食パン顔は永遠に見ることができなくなりましたね。