
(「奥久慈」キハ28 2834・日暮里・1982年11月)
常磐線から非電化の水郡線に直通する急行「奥久慈」が運転されていたからなのですが、この「奥久慈」と併結する関係で「ときわ」にもキハ58系使用列車が残っていました。しかし1985年3月14日のダイヤ改正で「ときわ」が特急「ひたち」に格上げ統合されたため、「奥久慈」の定期運転も終了しています。
また海水浴シーズンには臨時快速「あじがうら」が上野~阿字ケ浦間に運転されていました。

(「あじがうら」キハ28・鴬谷・1982年8月)
列車名と運転区間が示す通り「あじがうら」は勝田から茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)に乗り入れていました。3両編成の「あじがうら」は茨城交通では定期列車に連結されていたらしいです。今のひたちなか海浜鉄道では考えられない長編成が走っていたということですね。
1982年11月15日ダイヤ改正までは急行「おが」が上野~秋田間を東北・奥羽本線経由で運転されていました。

(「おが」キハ58 550・日暮里・1982年9月)
運転区間を見れば気がつくと思いますが、電化区間完結のディーゼル急行です。しかも板谷峠を越えるためにグリーン車以外は2エンジン付きのキハ58で組成。加えて東北地区のキハ58系は非冷房車がほとんどだったこともあり、グリーン車以外は非冷房という、現在では考えられない急行列車でした。ちなみに夜行急行「おが」は14系座席車を使用していたのでその設備差は歴然でした。
急行形電車455系は奥羽本線を走る「ざおう」には使用されていましたが、結局秋田まで足を伸ばすことはありませんでした。それどころか臨時「ざおう」にもキハ58系が使われていたりしたほどです。
なお「おが」と共通運用されていたのが上越・羽越線経由の夜行急行「出羽」。

(「出羽」キハ58 504・日暮里・1982年9月)
当然非冷房車ですから真夏の夜の旅はもの凄かったのではないでしょうか?
ある意味上野口の名物急行だったのですが、1982年11月15日のダイヤ改正で昼行急行「おが」は廃止され、夜行のみとなり(20系化)、「出羽」の名称は羽越線経由のブルートレインに昇格。
この2年半後に「奥久慈」「ときわ」がなくなって、上野からまたひとつ名物が消えました。