今から2年前の2011年3月9日、自分は出張で青森に出向きました。
自分が乗車した新幹線が新青森に到着後、岩手県で地震が発生。後続の新幹線が一時運転を見合わせたのを覚えていますが、さほど気にすることなく、青森での業務をこなして仙台に移動。その日は仙台に宿泊しました。
明けて3月10日は早朝に仙台を離脱して、そのまま博多まで移動するというスケジュール、仙台で「はやぶさ2号」に乗車しましたが、発車時刻に地震が発生。「はやぶさ2号」は7分遅れで仙台を発車しました。このときもそれほど気にもかけていませんでした。
そして3月11日。
博多から鹿児島へ移動しての業務開始。そして午後、桜島フェリーで鹿児島市内へ戻ろうと客室に入ったところ、乗船客が全員テレビに釘付けになっていました。
「いったいなんの番組だろう?」
と思って見てみたら、もの凄い濁流が何かを押し流している映像が飛び込んできました。
そう、東日本大震災発生後の津波が小名浜を襲い、車が流されていたのです。
遠く離れた鹿児島の地でしたが、この映像にはかなりのショックを受けました。
テレビによると関東でも被害が出ているということで、東京の家族や会社が心配になりましたが当然ながら電話はまったく繋がらず。しかしmixiやTwitterで家族や友人の無事は確認でき、不謹慎ながら非常時のSNS、インターネットの強さを実感。
地震の揺れとはまったく無縁だった鹿児島でしたが、この日の夕方、70cmの津波が到達。桜島フェリーは欠航、沿岸の道路は通行止めとなり、在来線も運休し、通勤通学客に影響が出ていました。
3月12日になって鹿児島の在来線は運休のまま、唯一この日全線開業した九州新幹線だけは定刻通りに運行。自分は次の業務先である大阪に難なく移動することができました。
東京に戻ってきたのは3月13日。
自宅と会社の無事を確認しました。自分は東日本大震災の揺れも帰宅難民も経験していませんが、もし出張のスケジュールがずれていたら。地震発生が数日早かったらどうなっていたのか?
あれから2年。
沿岸部を中心に震災の傷痕がたくさん残っているという現実。自分に何が出来るわけではないけれど、なんらかの形で復興支援をしていきたいと考えています。