東急東横線と東京メトロ日比谷線の相互乗り入れが49年の幕を降ろします | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

3月16日から東京メトロ副都心線と相互直通運転を開始する東急東横線ですが、引き替えに東京メトロ日比谷線との相互直通運転が廃止され、同時に東急1000系は東横線、日比谷線から撤退します。
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(1001/1004・新丸子・2013年3月7日)
1000系同士が併走することってあるんですね。

営団地下鉄日比谷線は1961年3月28日に南千住~仲御徒町間が開業しました。
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(3001・綾瀬検車区・2012年11月11日)
車両は営団初のセミステンレス車3000系。

1962年5月31日には北千住~南千住間、仲御徒町~人形町間が開業して東武伊勢崎線との相互直通運転を開始しました。
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(2000系・上野・1982年11月)
東武は普通鋼製車体の2000系を投入。

その後1963年2月28日に人形町~東銀座間、1964年3月25日に霞ヶ関~恵比寿間、7月22日に恵比寿~中目黒間が開業。
そして8月29日に東銀座~霞ヶ関間の開業で全線が開通し、東急東横線との相互直通運転がスタートしました。
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(7013・自由が丘・1983年)
東急は日本初のオールステンレス車7000系を開発。回生ブレーキも備えていましたが当時の乗り入れ協定では電気ブレーキは発電ブレーキのみ許されていたため、日比谷線内では電磁直通空気ブレーキのみを使用する構造となっていました。

当然ながら日比谷線からも3000系が直通。
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(3057・自由が丘・1983年)
3000系は東武ATS搭載編成が22本、東急ATS搭載編成が7本、両ATS搭載編成が9本あって運用は限定されていました。そのため日比谷線では3社直通列車は存在せず、東武~日比谷線、東急~日比谷線、日比谷線内完結の3系統の運転となっていました。
今と違って、昔は3社直通するのは地下鉄車だけで、私鉄や国電が3社直通する例はなかった時代ですが(神戸高速鉄道は例外)、日比谷線は地下鉄車も原則3社直通運転しないという点では珍しい路線でもありました。

1988年、東急は7000系の後継車として1000系を投入。
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(1005・新丸子・2012年3月7日)
VVVFインバータ制御の9000系を中形化したような車両でした。なおこの1005Fは1000系で唯一スカートを装着していません。

同年、営団も03系を投入しました。
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(03 805・新丸子・2013年3月7日)
当初は高周波分巻チョッパ制御車として登場。後期形はVVVFインバータ制御車に変更されています。

さらに東武もAFEチョッパ制御の20000系を投入。
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(28803・西新井~竹の塚・2011年12月21日)
3社で世代交代となりましたが、運行形態は相変わらずでした。

03系や20000系には編成両端を5扉とした編成も登場。
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(03 812・新丸子・2013年3月7日)
東武も5扉車の20050系を投入。両形式はVVVFインバータ制御車となりました。
しかし5扉車は東急1000系には登場しませんでした。
実は日比谷線開業当時は東横線からの直通客が多いと見積もられ、東急直通編成は8両編成、東武直通編成は6両編成として計画されていたのですが、開業してみると東武からの直通客は増加の一途を辿り、結局全列車8両編成化された経緯があります。
5扉車も東武直通客への対応策がメインの理由だといえるでしょう。ちなみに20000系列には3扉の20070系も登場しています。

3月16日のダイヤ改正以降、日比谷線の東横線直通運転はなくなり、東武伊勢崎線との相互直通運転のみとなります。
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(03 839・西新井~竹の塚・2011年12月21日)
今までは東武動物公園までの直通運転が基本でしたが、この改正から南栗橋までが基本となります。

その一方で東横線での活躍の場を失うことになる東急1000系。
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(1004・新丸子・2013年3月7日)
今のところ1000系の処遇は発表されていません。
東横線の1000系は両先頭車が制御車なので単純に単編成化することができず、池上・多摩川線への転用や地方私鉄への譲渡の場合は改造する必要があります。
果たして1000系は今後どうなるのか?