北海道ワイド周遊券での旅を振り返る(序章)「青森から北海道へ鉄路で初めて上陸」 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

JRの周遊きっぷが3月31日で発売終了となります。
周遊きっぷというのは全国13箇所の周遊ゾーンで使用するゾーン券と、ゆき券、かえり券で構成されたフリーきっぷの一種。1998年4月1日に周遊券制度を変更する形で発売が開始されたそうです。
当初は周遊ゾーンを67箇所設定していましたが、年々利用客が減少。ついに廃止されることになりました。
実は自分は周遊きっぷを利用したことはありませんが、その前身となる周遊券はよく利用しました。というわけで1989年、大学の夏休みに北海道ワイド周遊券を利用した時のことを振り返ってみました。
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(C62 3・倶知安・1989年8月)
といっても完全な鉄旅でしたが(笑)

北海道ワイド周遊券は往路の乗車券と周遊エリアで利用するA券と復路で利用するB券で構成されていました。基本は往復とも鉄路利用ですが、片道を航空機利用可能な立体ワイド周遊券も発売されていました。この時まで渡道は飛行機しか経験がなかったので、鉄路での渡道はこれが初めてでした。
往復は急行の自由席が利用可能だったので「八甲田」などを利用するのが一番得だったのですが、583系寝台特急「ゆうづる」を利用。実は兼ねてから583系寝台特急を体験したかったからです。
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(「ゆうづる」クハネ583・青森・1989年8月)
初めて乗った583系寝台特急。2段式の24系25形の登場以降3段式の583系は酷評されていましたが、下段寝台を確保したので寝台幅は広く、しかも窓の部分へ向かって中段寝台の舟が傾斜しているため、狭いながらも身体を起こすことができる空間があり、なかなか快適でした。昼行特急のように速かった印象がありましたが、これは電動車でMT54主電動機のうなり音が聞こえていたからかも知れません。

早朝の青森駅に到着。すでに青函連絡船は廃止されていたので「津軽海峡冬景色」の様な乗り換え風景は見られませんでした。しかし583系「ゆうづる」と485系「はつかり」が並ぶ光景を見ると、東北特急健在という印象を受けますね。
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(「ゆうづる」クハネ583/「はつかり」クハ481-1000・青森・1989年8月)
1982年11月15日のダイヤ改正以来新幹線接続特急となった「はつかり」でしたが、2002年12月まで北東北のエースとして活躍しました。

夜行列車大削減のなか現在も生き残っている「あけぼの」ですが、この頃はまだ本来の奥羽本線経由で運転されていました。機関車もEF65PF、ED75、ED78/EF71、そしてED75形700番代のリレーで運転。
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(「あけぼの」ED75 714・青森・1989年8月)
客車も白帯の24系24形原形車の時代でした。奧には583系「はつかり」の姿も見えます。

ED75形700番代は奥羽本線の主力で、「あけぼの」だけでなく、50系普通列車や貨物列車の牽引にも活躍していました。
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(ED75 759・青森・1989年8月)
今の様に701系しか来ない味気ない時代ではなく、まだ汽車の終着駅という雰囲気がありましたね。
なおJR東日本に承継されたED75形は全て700番代。そして現役のED75形も同社の700番代だけとなってしまいました。

この当時「日本海」は2往復運転されていましたが、1、4号は函館まで運転。さらに夏期シーズンはオートバイを積載した「日本海モトとレール」用マニ50形5000番代を連結していました。
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(「日本海モトとレール」マニ50 5001・青森・1989年8月)
バイクを搭載するマニ50形5000番代は110km/h対応改造され、「日本海」編成の最後尾に連結されていました。これはバイクなどから出火した際に、マニ50を切り離して離脱するためです。
そのため、方向転換する青森駅では複雑な入れ換え作業を実施していました。まず、津軽海峡線で「日本海」を牽引するED79形がマニ50を連結して「日本海」編成から分離します。
ED79形はそのままマニ50を側線に押し込みます。
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(ED79 11・青森・1989年8月)
ED79は青函トンネル区間用として、ED75形700番代を改造。青函ATC-Lを搭載し、無電弧低圧タップ切替制御器の磁気増幅器をサイリスタに交換し、交流回生ブレーキを付加した0番代と、これらの改造を省略し、函館側の運転にのみATC-L受電器を装備した貨物列車補機専用100番代が存在しました。100番代は全廃されましたが、0番代の一部とJR貨物が新製した50番代はまだ残っています。

続いて大阪から「日本海」を牽引してきたEF81形がマニ50を連結して「日本海」編成の最後尾につなげます。連結を完了したらEF81は再び切り離されて側線に引き上げていきました。
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(「日本海」EF81 105・青森・1989年8月)
このように何度も連結したり切り離したりして「日本海」は函館へ向け発車していきました。
青森駅の東側には青函連絡船用のヤードがありましたが、レールはすでに撤去されていました。現在はこの辺りも再整備されています。
EF81形は日本海縦貫線の主力機として大活躍していた時代です。

青函トンネルが開通し、青函連絡の役割は快速「海峡」へと移りました。「海峡」用の編成は専用改造された50系5000番代の他、14系座席車も使用されていました。この時乗車したのは14系座席車の編成。「はまなす」の間合い運用として使用された札幌運転所の500番代車です。
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(「海峡」スハフ14-500・青森・1989年8月)
波動輸送用として製造された14系座席車のうち59両を1981年から北海道向けに改造したのが500番代。乗降扉の折戸を引戸に改造したほか、旧型客車と連結するために蒸気暖房の配管を引き通すなどの改造が施されました。現在は「はまなす」編成とSL列車用編成が残っています。

本当は50系5000番代に乗車したかったのですが、14系座席車も好きでしたのでまあいいかなと思ったり。
津軽海峡線は単線なので色々な駅ですれ違いをすていました。青森行きのED79形牽引の50系5000番代「海峡」の編成も長かったなと改めて実感しますね。
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(「海峡」ED79 21・蟹田・1989年8月)
50系5000番代は、50系をベースに固定窓化、冷房装置搭載、転換クロスシートを装備した「海峡」専用車。さらに乗客増加に対応するために北海道用50系51形を追加投入。当初51形は日冷房でしたが、後に冷房装置の搭載改造を実施して5000番代になっています。
この頃の青函トンネル区間は「はつかり」以外は全部客車列車で、ED79形が牽引していました。ちなみに津軽海峡線が、JR最後の普通客車列車(正確には快速客車列車)が運行された区間となりました。
青函トンネルを抜けてようやく北海道に上陸。函館山がだんだん近づいてきて「海峡」は函館駅に到着。そんな「海峡」も2002年で廃止。そして今では思い出の列車となってしまいましたね。
(続く)