
(クハ167-6・大船~藤沢・1983年)
モハ166+モハ167が15ユニット、クハ167が22両、全車汽車製造で製造されました。目的は関東対近畿圏と山陽対近畿圏向けだったため、田町電車区に4両編成4本を配置し、下関運転所には4両編成3本と6両編成4本が新製配置されたようです。ちなみに写真のH13編成は田町の生え抜き編成です。
1974~1975年にかけて167系下関車は転出。田町電車区に4両編成5本が転属し、宮原電車区にはクハ167が4両と電動車6ユニットが転属しました。冷房改造は1978年頃から始まっている一方、1978年に修学旅行色が廃止されたことによる直流急行色(湘南色)への塗り替えは1979年頃から始まっています。
自分が初めて167系を見たのは1979年8月。田町車が臨時急行「伊豆」に使用されている姿でした。ちょうど修学旅行色から直流急行色(湘南色)への塗り替えが始まった頃のようですが、この編成はまだ冷房改造されていませんでした。

(「伊豆」クハ167・品川・1979年8月)
隣に停車しているのは総武快速の113系1000番代。当時はまだ横須賀線との直通運転は実施されていませんでした。113系1000番代も冷房準備車が走っていた時代でした。。
波動輸送がメインだった167系でしたが、1981年からは165系に代わって急行「ごてんば」に使用されるようになり、毎日167系の姿を見ることができるようになりましたが、167系の定期急行唯一の例となりました。このH19編成は下関からの転属組です。

(「ごてんば」クハ167-18・国府津)
155系、159系と異なり車体断面は165系と同一で、モハ166のパンタグラフ部分のみ低屋根となっていました。ただし乗降扉は700mmと狭く、デッキには補助席と飲料水タンクと洗面台を設置、仕切り壁には時計が設置され、ボックスシートには大型テーブルが備えられていましたが、冷房改造時に撤去されました。
「ごてんば」は東京~国府津間を153、165系「東海」と併結運転していました。

(「ごてんば」クハ167-17・大船・1983年)
「東海」「ごてんば」併結列車は16編成という堂々たる姿。当時東海道本線の電車で最長編成で急行列車の風格を感じました。しかし1985年3月で「ごてんば」は廃止となり、167系定期急行運用は消滅しました。
「ごてんば」の他に伊豆方面への臨時快速としても167系が使用されるようになり、167系を見る確率、乗車できる確率が一気に高まったのも1980年代。

(クハ167-11・東京・1982年8月)
167系の中にもシールドビーム化された車両がいたのですが、やはりシールドビームは好きになれませんでしたね。

(クハ167-7・東京・1982年8月)
当時は急行形を使用した快速というのが特別に感じたもので、何度か利用しました。
宮原電車区に転属した167系はクハ167が4両のみだったということもあって、クハ165と混結された4両編成6本が組成されていました。167系宮原車は1988年の瀬戸大橋フィーバーの際に狩り出されて「マリンライナー」に使用されていたことがあり、167系を撮影! と思いきや、偶数側は全車クハ165だったことを最近知ってがっかり。

(「マリンライナー」クハ165・児島~坂出・1988年8月)
2両目のモハ166が低屋根でかろうじて167系がいることが確認できます。JR西日本承継車は1997~2001年までに全車廃車されました。
田町の167系はその後アコモ改造車が登場したりしましたが、全然食指が動かなくて撮影に行かないまま、2003年までに全車廃車となりました。
実車は残っていない167系ですが、実車さながらのモックアップが存在します。

(鉄道博物館・2012年10月31日)
これは交通博物館の展示用として日本車輌のスタッフが実車の部品を使用して製作したもので、交通博物館閉館後に鉄道博物館に移設され、ノースウイングでの展示を経てエントランスに移設されました。
交通博物館当時よりも車体が短くなっているそうですが、修学旅行色を堅持しています。

(鉄道博物館・2012年10月31日)
客室などは修学旅行電車時代をしっかり再現しています。

(鉄道博物館・2012年10月31日)
700mm幅の乗降扉と補助椅子、飲料水タンクもあります。

(鉄道博物館・2010年11月14日)
学習用大型テーブルって本当に大きかったんですね。

(鉄道博物館・2010年11月14日)
167系は意外と馴染みがあった形式だったので、モックアップでも残っているのは嬉しいのですが、やはり実車が残っていればなって思います。

(「ごてんば」クハ167・大船~藤沢・1983年)