【国鉄形電車の思い出】Part47 北陸の485系大幅縮小! そして「白鳥」との再会 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

JR形特急の増備で活躍の場が狭められつつあった485系でしたが、金沢運転所に配置された683系2000番代が2003年3月15日から「しらさぎ」に投入され、485系の置き換えを始めたのです。そしてこの置き換えをきっかけにして北陸の485系に大きな動きが始まりました。北陸と言えば新疋田~敦賀が超有名な撮影ポイントですが、2003年5月10日に初めて彼の地を訪れました。
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(「しらさぎ」クロ481-2002・新疋田~敦賀・2003年5月10日)
置き換えが始まった「しらさぎ」は元「スーパー雷鳥」用パノラマグリーン車とハイグレード車を連結したY編成が使用されていました。
Y編成はオリジナルのカラーリングとなっていて、通称「あおさぎ」色とよばれていたようです。「しらさぎ」から撤退したパノラマグリーン車は、京都総合車両所に転属して「雷鳥」で最後の活躍を始めることになります。

Y編成は7両+3両の分割編成と7両固定編成がありましたが、この編成は固定編成なので電気連結器が装備されていません。
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(「しらさぎ」クハ481-222・新疋田~敦賀・2003年5月10日)
新疋田~敦賀間は上下線が分かれているのですが、複線化された際に新設された下り線は、新疋田からの連続下り勾配となるためループ線はありません。
ちなみにこのあたりは、柳ヶ瀬越えと呼ばれた北陸本線旧線の線路を利用して複線化しています。旧線はこの地点から新疋田に向かったあたりで分岐していました。

気がつけば485系特急唯一ボンネット形クハ481を使用する列車となっていた「雷鳥」。
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(「雷鳥」クハ481-122・新疋田~敦賀・2003年5月10日)
残ったボンネット形クハ481は京都総合車両所所属の100番代で、気動車併結改造されたためスカート部が無残な姿となったのは残念でしたが、そんなボンネット形クハ481も2003年が最後となりました。

新疋田~敦賀と言えば有名な上り線の疋田ループですね。新疋田経由の新線を建設する際に上り勾配緩和するためにループ線となりました。そして複線化後は上り専用線になっています。
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(「しらさぎ」クハ481-254・新疋田~敦賀・2003年5月10日)
初めての場所だったことと撮影者が多かったのでアングルが決まらなかったのは残念。「しらさぎ」は「雷鳥」と共に1964年に481系のデビューと共に運転を開始した由緒ある特急でした。

米原~金沢間を結んでいた「加越」は金沢総合車両所の485系国鉄色を使用。
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(「加越」クロ481-2201・新疋田~敦賀・2003年5月10日)
クロ481組み込みのK編成とサロ481組み込みのY編成があったようです。

「加越」は2003年9月に683系2000番代「しらさぎ」に統合されて消滅してしまいます。
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(「加越」クハ481-306・新疋田~敦賀・2003年5月10日)
485系を代表する特急がまたひとつ消えました。

京都総合車両所の485系雷鳥編成はサロ481組み込みでしたが、2003年にパノラマを含むクロの転属で大規模な編成組み替えを実施することになります。
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(「雷鳥」クハ481-228・新疋田~敦賀・2003年5月10日)
その結果、原形サロ481は消滅。大阪に連結されるクハ481もこの年が最後となりました。
北陸を飛び交った「雷鳥」「しらさぎ」「加越」でしたが、この撮影の半年後には「雷鳥」のみとなり、かなり寂しくなってしまいました。

2004年は何度か函館方面に行く機会がありました。
2002年12月1日の東北新幹線八戸開業後も485系は函館に乗り入れていましたが、列車名は「はつかり」から「白鳥」に変わり、15年ぶりに「白鳥」に再会しました。
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(「白鳥」クロハ481-3017・函館・2004年4月23日)
名門特急「白鳥」のまさかの復活でしたが、この時はてっきり東北新幹線新青森行きの列車を「はつかり」にするための移行期間だと思っていました。
それにしても485系3000番代の「白鳥」は違和感がありましたね。

かつての日本海縦貫線の2大巨頭である「白鳥」「日本海」が並ぶ姿。
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(「白鳥」クハ481-3022・函館・2004年4月23日)
「日本海」は日本海縦貫線エースであることには変わりなかったですが、「白鳥」は東北系に変わり、出会った場所は函館と隔世の感がありましたね。

秋田車両センターは上野発着東北特急を最後まで受け持っていた基地でしたが、この時は「かもしか」用3両編成3本のみの配置となっていました。
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(「かもしか」クロハ481-1007・新青森~青森・2004年5月3日)
「かもしか」は1997年3月22日に「たざわ」の名称を変更するかたちで秋田~青森間に運転を開始しました。独特な「かもしか」色で異彩を放っていましたが、3往復のみの運転でなかなかお目にかかれませんでしたね。

すっかり3000番代がメインになった青森車両センターでしたが、まだ国鉄色の485系が所属していました。
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(クハ481-1016・上磯~茂辺地・2004年5月15日)
団臨を中心に定期列車にも充当されていたA7編成ですが、青森から仙台に転属した後大変身してしまいますが、それはまた改めてお話しします。

789系と共に津軽海峡線の主役となった485系3000番代。
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(「白鳥」クロハ481-3017・上磯~茂辺地・2004年5月15日)
個人的には原形のまま最後まで走り抜いて欲しかったなと思ったものです。