【国鉄形電車の思い出】Part31 今も西日本で活躍している103系初期車 | はやこま すていしょん!

はやこま すていしょん!

更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

新性能車第1世代の101系が、変電所容量の不足や製造コストなどの問題で、本来の性能を発揮できなかったため、製造コストの引き下げと電動車比率1:1での性能確保を目的として開発されたのが新性能電車第2世代の103系で、1963(昭和38)年に試作車としてクハ103、モハ102、モハ103が製造され、翌1964(昭和39)年に量産車としてサハ103を加えた4形式が登場しました。
$はやこま すていしょん!
(クハ103-1・美章園・2011年2月25日)
クハ103のトップナンバーは晩年阪和線で活躍していました。冷房改造、シールドビーム化、前面Hゴムの金属押さえ化や戸袋窓の廃止、スカートの設置などで印象が多少変わりました。この編成は2011(平成23)年3月11日で引退しましたが、まだ保管されているようです。
なお量産車の登場で試作車は900番代に改番され、1967(昭和42)年には量産化改造されましたが、後にクハ103が青梅・五日市線、モハユニットが採用線に転属しました。晩年に青梅線で乗車した事があるものの、フィルムをケチったために写真を撮らず、それが最後という展開になってしまいました。デジカメ時代ではあり得ない話ですね。

103系は通勤形に特化したシステムを採用したのが大きな特徴で、起動加速度は2.0km/h/sと旧形国電並みながら、減速度は3.5km/h/sとかなり高めてあり、同時期に都心部の通勤路線のホーム中間に信号機を設置したことも相まって、運転時分短縮に貢献しました。
製造コストダウンのために車体の床材を簡易化したり、主制御器を搭載したM車にパンタグラフも搭載して、直流1,500Vを引き通す高圧ケーブルの長さを短くしたのだとか。そのようなわけで103系は経済電車などと呼ばれていました。

主制御器は103系専用に開発されたCS20形を搭載。
$はやこま すていしょん!
(岡山電車区・2007年8月19日)

モーターは低中速域の性能を重視した110kW出力のMT55を採用。
$はやこま すていしょん!
(東京総合車両センター・2009年8月22日)
駆動方式は国鉄新性能電車標準の中空軸平行カルダン駆動です。

動力台車は車輪径をΦ910mmに拡大して軸距を延ばしたDT33を新開発。
$はやこま すていしょん!
(姫路・2010年11月6日)

付随台車はTR64を踏面ブレーキ化したTR201を採用しました。
$はやこま すていしょん!
(下関総合車両所・2009年11月7日)

1965(昭和40)年からは京浜東北線用にクモハ103が製造されました。当時の下十条電車区と蒲田電車区の検修庫の有効長が短かったため、編成を分割する必要があったためです。
$はやこま すていしょん!
(クモハ103-18・美濃太田車両区・2008年8月6日)
103系の一部は国鉄時代の1977(昭和52)年から神領電車区に転属して中央西線でも使用されましたが、JR東海に継承後リフレッシュ工事が実施されて塗色もJR東海オリジナルカラーに変更されましたほか側窓もユニット窓に交換されましたが、313系に置き換えられ、1999(平成11)年に定期運用を離脱しました。クモハ103-18は美濃太田車両区で保管されていましたが、リニア・鉄道館の保存車候補からは漏れてしまいました。

クハ103は元々方向転換可能でしたが、1966(昭和41)年からクモハ103と組むクハ103は偶数向き固定として、引き通しを省略したクハ103-500も登場。これもコストダウン策のひとつだったようです。
$はやこま すていしょん!
(クハ103-560・2005年6月11日)
前照灯はシールドビーム化されていますが、非冷房で前面の通風口がそのまま残っていました。なおこの車両は埼玉県の幼稚園で利用されていましたが、現在は解体されているそうです。

1967(昭和42)年からは常磐線など高速区間対応として、付随車の台車をディスクブレーキ付のTR212に変更しました。
$はやこま すていしょん!
(鉄道博物館・2009年5月13日)
このグループはクモハ103-134~155、モハ103-160~278、モハ102-293~433、クハ103-115~177、617~638、サハ103-226~305となっています。
また、同年には加速時の空転と減速時の滑走を防止するために制御段数を力行55段、制動51段と超多段制御とした主制御器CS30を搭載した超多段制御試作車103系910番代が登場しています。910番代の成果は地下鉄乗り入れ用の1000番代、1200番代で結実することになりました。910番代も何度となく乗車したのですが、写真は残っていません。

1970(昭和45)年には集中冷房装置AU75X(三菱電機製)、AU74X(日立製作所製)、AU73X(東芝製)を試作して、それらを搭載した103系試作冷房車が登場。ダクトの取り回しや扇風機の有無などを試験した結果AU75の量産に至っています。その他、103系として初めて側窓をユニット窓としていました。
$はやこま すていしょん!
(クハ103-178・代々木。1982年8月)
やっぱりシールドビームよりも白熱灯の方がいいですね。車号はモハ103-279~281、モハ102-434~436、クハ103-178~179、サハ103-306~307です。
なお試作冷房車編成は1978(昭和53)年に量産化改造されて、各車バラバラに配転されました。

103系初期車の冷房改造は1975(昭和50)年から始まり、車体補強の上AU75クーラーを搭載し、側面行き先方向幕を設置しました。先頭車は前面通風口を廃止しています。
$はやこま すていしょん!
(クハ103-500・東京・1979年1月)
中央線特別快速は103系によって冷房化率100%を達成しましたが、これも今となっては信じられない話かもしれませんね。

JR発足後は車体補強を省略できる集約分散クーラー車も登場。
$はやこま すていしょん!
(クモハ103-116・鎌倉総合車両センター・2005年9月10日)
JR東日本はAU712、JR東海はAU711を搭載。JR西日本もWAU102搭載車が存在していました。

JR東日本の初期車の最後の活躍の場は鶴見線でした。
$はやこま すていしょん!
(クハ103-523・鶴見駅・2005年3月5日)
103系初期車はいろいろなところで利用したのですが、気がつけばいなくなっていた感じでした。

JR東海はとっくに消滅していましたが、JR西日本ではまだ初期車の活躍を見ることができるようです。
$はやこま すていしょん!
(クハ103-9・新今宮・2007年2月11日)
とはいうもののこのクハ103-9も2007(平成19)年に廃車されていますが、あとはモハ102、103の初期車に運転台を取り付け改造した車両も存在します。
$はやこま すていしょん!
(クモハ103-3503・姫路・2010年11月6日)
増設運転台なので、初期車の顔ではないのですが、なぜか低運転台だったりします。とはいえ、第1次改良車ベースの体質改善車の顔になっていますが、この第1次改良車以降の話は次回へ続きます。